第30話 破壊の手
緋色の空。燃え盛る大地。
そこに見えるのは、大きさも形もちがう様々な道具だった。
鞭や鋏に始まり、鉄の檻、絞首台、ギロチン、無数の釘が突き出た棺桶。
それらがまるで墓標のように、大地を覆い尽くしている。
「ずいぶんと悪趣味だな」
「ふふっ……ここがどこかわかるかしら? ここはもう、さっきまでの塔の上じゃない。まったく別の場所よ。こんな《魔法》は見たことがないでしょう?」
「幻惑の《魔法》……いや、ちがうな」
俺の【絶魔法】は、幻惑系の《魔法》をすべて無効化する。
しかも俺自身、なにかの《魔法》による妨害を受けた感覚は一切なかった。
となれば、干渉されたのは俺ではなく――
「ここは、すべてがあたしの思い通りになる、あたしの世界よ」
「世界を上書きする《魔法》だと? そんな《魔法》は存在しない」
「ええ、存在しなかったわ。だから創ったのよ」
イオナの誇大な言葉を、俺は決して笑い飛ばさなかった。
この女なら――それは決して妄言にはならない。
「【理の創造主】……《魔法》を新たに創造する力か」
「ご明察ね、神官」
おそらく、この世界でただひとりの《スキル》。
まさに神をも恐れぬ力。
「あたしは《魔法》を使うことよりも、実は創ることのほうが得意なのよ。あたしに創り出せない《魔法》はないわ。つまり神官のあんたに癒してもらわなくても、あたしは自分の傷を自分で癒すことができた。けど、あえてそうしなかった。なぜだかわかる?」
「わからないな」
「あんたがあたしに尽くす姿が、無様で滑稽でたまらなかったからよ! あははっ!!」
イオナは頬を歪めて哄笑した。
醜悪さもここまでくると、いっそ清々しいほどだ。
「ふふっ……ここはなんでもあたしの思い通りになる世界。さっそくだけど……あんたはそこで指一本動かさないで」
イオナがそれを口にした瞬間、俺の身体は金縛りにあった。
指一本どころか、瞬きすらできない。
たしかにこの世界はイオナの思い通りになるらしい。
だが俺は、大きくため息をついた。
「それだけか?」
ぴたりと、イオナの笑い声が止まった。
「なんですって?」
「こんな紛いものの風景を作り出す程度が、お前の全力か?」
「強がりを……! いいわ、ならすぐに愛し女に会わせてあげるわ……!」
イオナがぱちん、と指を鳴らした。
するとイオナの眼前に、シルファの姿が現れた。
拷問器具の鎖が大地から生き物のように伸び、シルファの全身を空中で固定していた。
「あたしの【ワールド・エミュレイター】の効果範囲は、この塔すべてよ」
「れ、レイズ……」
どうやら階下にいたはずのシルファまで、イオナの疑似魔法世界に取り込まれてしまったらしい。
しかし、なぜアージュではなくシルファを選んだのか。
「さて……ひとつ質問なんだけど…あんたは、なぜここに来たの?」
イオナは首を傾け俺を眺めている。
その仕草の奥に隠された真意がなにか、俺は推測する。
「ふふっ……あたしに招待されたから来た、と言いたいところでしょうけど……残念ながらね、あたしの主賓はね、あんたじゃないのよ」
イオナが拘束したシルファを手招きした。
鎖が生き物のように伸縮し、シルファをイオナのもとへと差し出した。
イオナは愛おしそうにシルファの頬をなぞり、顎に手をやる。
リザを殺したあの女のおぞましい手が、今度はシルファに触れている。
「これがなにか、あんたにはわかるかしら?」
イオナなローブの懐から、なにかを取り出した。
それは黒く尖った骨のような形をしており、幾重にもねじくれていた。
それを見たシルファが目を見開く。
「それは……お父さんの……!!」
「正解。これはね、魔王の角よ」
イオナの禍々しい笑みに、シルファの顔から血の気が引いた。
そのとき、俺の心臓がひときわ大きく脈打った。
反応している。間違いない。
あれは本物。本物の、この心臓の持ち主の一部だ。
「ちゃんと標本は保存しておくべきよね」
「うううっ、あああああああああ……!!」
シルファが怒りを堪えられず暴れるが、イオナの操る鎖はびくともしない。
「あたしたちは、魔王の死体を保管している。もちろん、この場所じゃない、べつのところにね。でも魔王の力を使うには、それだけじゃ足りない。もっと素材が必要であると考えたのよ。たとえば……そう。魔王の血を継いだ娘とか、ね」
俺の脳裏には、さきほどこの塔のなかで目撃した、魔物の部位を保存した研究室の光景が蘇っていた。
あの研究の対象は、魔物だけではない。
《七人の勇者》が魔王城に攻め入った本当の目的。
シルファを逃がし、そして姿を消した魔王の真相。
ようやく合点がいった。
「ねぇ神官、知っているかしら? 千年前、この世界はもともと魔族のものだった。それどころか、《魔法》という力を生み出したのも、人間ではなく魔族なのよ」
いつかシルファが語っていた話と似ていた。
この世界の成り立ち。人間や他の種族がどのようにして生まれたのかは、多くの謎に包まれている。だがイオナが口にした言葉は、なぜか強い確信に満ちていた。
まるでその目で見てきたかのように。
「だから、あたしたち《七人の勇者》が成し遂げたことには、世界を救うとか平和とか、そんなちっぽけなものより、もっと大きな意味がある。そう、人間はもっと変わることができるのよ。それこそ、かつて世界を支配していた魔族のようにね」
イオナが指先でシルファの唇をなぞる。
身動きの取れないシルファは、必死に耐えるしかない。
「あははっ! でもようやく手に入れたわ! これであたしの《魔法》は、より究極に近づく! ふふっ……あたしのこの【ワールド・エミュレイター】も、使用時間に難があってね。魔王の力を得れば、無限に世界を作り変えることも……。ねぇ、すごいと思わない? そうしたら……苦しみを永遠に与え続けることだってできるのよ!」
イオナは恍惚とした顔で狂喜する。
だが俺は、そろそろ茶番に付き合うのも飽きていた。
「お前のくだらない妄想など、俺にはどうでもいい」
「はっ……つまんないわねぇ。もうすこし賢い男だと思っていたけど、この状況が理解できていないようね。指一本動かせないくせに、なにを強がっているの?」
「そんな必要はないさ」
俺は意識を、自分たちがいるこの場所、この世界そのものに集中させた。
この手はかつて、癒しの手だった。
だが今はちがう。
この手はすべてを否定する。
この手はすべてを、破壊する。
「【オルタ・キュア】――世界よ、砕けろ」
パキィン――
燃え盛る空に、赤い焦土の風景に、亀裂が走る。
直後、すべてが教会のステンドグラスのように、無数の光彩を放ちながら粉々に砕け散った。
ほんの一瞬で、周囲にはさきほどまでの塔の最上階の光景が広がっていた。
「そ、そんな……!?」
イオナが最大級の狼狽を見せ、後ずさる。
滑稽だ。俺の能力を、根本的に見誤っている。
「まさか……あんたとあたしの力が互角……? そんなことありえないわっ!!」
「互角だと? なにを勘違いしている」
俺はくつくつと笑い、肩を揺らした。
「俺がお前に言うことは、たったひとつだけだ」
イオナが慌てて【アビスウォール】を展開する。
どんな天変地異の一撃すら防ぐであろう最上位の防御魔法。
だが関係ない。
次の瞬間、俺は転移魔法でイオナの眼前に出現した。
イオナが限界まで目を見開く。
「俺のシルファに、手を触れるな」
零距離で【オルタ・キュア】を発動。
シルファの全身を縛っていた鎖と、シルファに触れていたイオナの腕が、同時に弾け飛んだ。
ひじの先から千切れた腕を、イオナは信じがたいように見つめた。
「ぎゃああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああぁぁっ……!!!」
遅れて耳障りな悲鳴を上げた。
血が噴き出す腕に、みずから回復魔法をかける。
だが痛みや止血はできても、すぐに修復することはできない。
「ひれ伏せ。お前の目の前にいる、ただの神官に」
「ひっ……! く、く、来るなっ……!!」
イオナがでたらめに【ヨタフレア】を連発する。
だがすべてが【オルタ・フォース】によって威力が消滅する。
だが炎を煙幕とし、イオナが姿をくらます。
同時に膨大な魔力の収束を感じた。
途端、空が暗く覆われた。
さきほどの【ワールド・エミュレイター】ではない。
俺たちは天を仰いだ。そこに、景色を変えるほどの物体が出現していた。
「あははははっ!! ゆ、油断したわね……!」
灼熱に燃え盛る巨大な岩。
その大きさは、目測では到底測りきれない。
ひとつの城ほどはある。
「あたしの創り出した最大威力の攻撃魔法――【メテオ】よ!! ここに墜ちれば、なにもかもが消し飛ぶわ!!」
イオナが唾を吐き出しながら吠える。
「みんなまとめて死ぬのよ! ひ、ひひっ、残念だったわねぇ!!」
イオナの瞳は狂気に染まっている。
だが所詮、それは弱者の――人間の狂気に過ぎない。
転移魔法でシルファとアージュを連れて逃げることもできる。
だがそれでは目的を果たしたことにはならない。
なにより、この女には徹底的に理解させる必要があった。
力の差というものを。
「レイ、ズ……」
俺の腕のなかでぐったりとしたシルファが、弱々しく呻いた。
目に見える負傷はないが、ひどく消耗している。
あのイオナの【ワールド・エミュレイター】内で、拘束される前に抵抗する体力を奪われたのだろう。
「レイズ……ありがとう。わたしを……取り戻して、くれて」
「俺は、俺のものを取り返しただけだ」
「うん……それが、嬉しい……」
シルファは微笑み、俺の手を握った。
「レイズ……わたしを、使って……」
「いいのか」
「うん。だってそれが……わたしのすべて。わたしはもう、レイズのものだから」
「そうか。そうだったな」
俺はシルファの唇を奪った。
口内に彼女の体液が流れ込み、俺を身体に取り込まれていく。
それは俺にとって、あらゆる痛みと苦しみを遠のかせ、無尽蔵の力をもたらす血だ。
大地が、大気が、世界が震えていた。
灼熱の隕石の輪郭はさきほどよりも遥かに巨大化し、視界を完全に覆い尽くそうとしていた。
あと数十秒も経たず、ここに墜ちる。
墜落すれば塔はおろか、この一帯そのものが消し飛ぶにちがいない。
けれど、恐れるものはなにもない。
俺とシルファは手を重ね合わせ、ふたりで空に向かって手をかざした。
できることはすでにわかっている。
だから、跡形もなく消し飛ばそう。
「【オルタ・キュア】――星よ、砕けろ」
光が世界を覆い尽くした。
凄まじい轟音が、すべてを圧し潰す。
灼熱の隕石は、遥か上空で粉々に砕け散っていた。
いくつも生まれた流星が彼方の地上へと降り、空中で燃え尽きていった。
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