第28話 鎮魂の条件

 階段を上りきると、視界が開けた。


 まるで宮殿の広間のような空間。

 その中央に、アージュがいた。

 なにか細い糸のようなもので全身を吊るされ、立ったまま拘束されている。

 服のあちこちが無残に切り刻まれており、気を失っているのか、ぐったりとうつむいていた。


 そのアージュの前に、ふたつの人影があった。


「――待っていたわ、神官」


 つばの大きな魔女帽子に真紅のローブ、大きく開いた胸元と紅蓮の髪。ぞっとするほど妖艶な美貌の持ち主。


 《七人の勇者》のひとりにして、伝説の魔法使い。そして、リザを殺した女。


「イオナ・ヴァーンダイン……」


 その隣には小柄な老人――司教ゼオラルの姿もあった。

 俺と目が合うと、ゼオラルはイオナの陰に隠れるように慄いた。


「イオナ様、や、やつです……! どうかお気をつけくだ――」

「黙っていなさい、ジジイ」


 イオナはかしづくゼオラルを無下に遮ると、優雅な笑みを浮かべ俺たちに歩み寄った。

「まさか生きていたなんて、とっても驚いたわ。

 えっと……あなたの名前はなんといったかしら?」


「レイズ・アデッドだ」


「ああ、たしかそんな名前だったわね。それにしても……酷い顔の傷ねぇ。可哀想に……いったい、誰にやられたのかしら?」


「レイズへの侮辱は許さない」


 先に反応したシルファを、俺は手で制した。


「あら……あなたはもしかして、魔族?」

「だったら、なに」


「ふふっ、ならちょうどいいわ。この塔にはあなたのお友達がたくさんいるのよ。せっかくだから会わせてあげたいわ。きっと彼らも喜ぶでしょうね。あっ、でもちょっとだけ見た目が変わっているかもしれないけど」


「……!!」


 イオナはすべてを知った上で挑発している。

 そんなものに付き合う必要など微塵もない。


「イオナ・ヴァーンダイン。俺はお前から、すべてを奪う」

「ふふっ……そう慌てないで。実はあなたに、贈り物があるの」


 イオナはそう言うと、地面に手をかざした。


「こういうのはどう?」


 暗闇が一帯を覆った。

 地面に魔法陣が浮かび上がり、妖しげな光を放つ。

 そこに、小さな人影が倒れていた。


 それが誰なのか、俺は瞬時に理解した。

 見間違えるはずもない。


「リザ……」


 そこにいたのは、紛れもなく妹のリザだった。

 服も髪型も、あの日のまま。


 リザが目を開けた。

 ぱちくりとまばたき、不安そうに周囲を見渡している。


「どう? 喜んでくれたかしら」

「レイズ、騙されないで。あれは……」

「わかってる。あれは、死霊魔法だ」


 ネクロマンシー――死者や死霊を操る《魔法》。

 その力でリザをあの世から呼び起こしたのだ。


「あたしはすべての《魔法》を習得しているのよ。当然、こっち系の《魔法》だって得意なのよ」


 つまり、あのリザは幻覚でも偽物でもなく――本物だ。


「お兄ちゃん……」


 リザは俺を見てぽかんとしていた。リザはなにも知らない。

 きっと自分が殺されたことも、その殺した本人の手で、死霊として呼び起こされたことも。


 なにも知らなくていい。


「お兄ちゃん、どうしたの? はやくおうちに帰ろう? ご飯も作ってあるんだよ。お兄ちゃんと一緒じゃなきゃ、つまんないもん」


「リザ、ごめん。俺は……一緒に行けないんだ」

「どうして……? やだ、お兄ちゃんと一緒がいい」


 俺は首を振った。

 リザは悲しそうに俯いたが、やがて朗らかに微笑んだ。


「うん、じゃあリザ我慢する。いい子にしてたら、神さまがご褒美くれるもんね!」


 あのときと、なにひとつ変わらない笑顔。

 それが、俺が守れなかったものの大きさだった。


 感傷に浸るのも、そこまでだった。


 リザの身体に異変が生じた。

 腕や足が泥のよう急速に溶け始める。

 リザはなにが起きているのかわからず、恐怖に顔を歪ませる。


「あれあれ……おかしいよお兄ちゃん……。助けて、お兄ちゃん助けてたすけて……タスケテタスケテタスケケテケテケテテテテテテテテテテ……!!」


 溶けた身体が、今度は何倍にも膨れ上がった。

 さきほど見たあの異形の兵士のそっくりに、リザの死霊は、人間とはかけ離れた怪物へと変貌した。


「さあ、行きなさい。その男があなたの敵よ」


 イオナの命令とともに、怪物が俺に向かって飛びかかる。

 腕と脚ともつかない太い四肢が叩きつけられる。

 それを素手で受け止めると、あまりの膂力に足元が陥没する。


「あははははっ! ねぇ神官、どうするの? 今度はあんたの手で妹を殺す?」


 イオナはまるで子供のように無邪気にはしゃいでいた。

 俺は怪物の腕を受けとめながら、小さく嘆息した。


「……なにか、勘違いしているようだな」

「はぁ?」

「こんなもので、俺が動揺すると思うのか」


 後悔など、もうとっくに済ました。

 涙もとうに枯れ果てた。

 

 あのとき魔族の地の底で、シルファが寄り添ってくれた、あの場所で。

 だから今の俺が感じるものは、たったひとつしかない。


 怒りだ。


「【レクイエム】――魂よ、天に召され、安らかに眠り給え」


 怪物の動きが止まった。

 途端、その身体が清らかな光に包まれる。

 怪物の姿が透けはじめ、やがて霧のように消えていった。


 俺は心のなかで、リザに最後の別れの告げた。


「ふぅん……鎮魂の《魔法》ね。そういえば、それも神官の能力だったわね」


 イオナはつまらそうに鼻を鳴らした。

 迷える魂に救いを与え、天に召す。

 神官が必ず習得しなければならない《魔法》――それが【レクイエム】だ。


「ひとつ教えておこう。神官が【レクイエム】で魂に真の安息をもたらすには、いくつか条件がある。その魂の持ち主の肉体を一度でも癒した経験が、神官に必要となる」

「あっそう。どうでもいい情報をありがとう」


 俺はイオナたちに悠然と歩み寄る。

 動じないイオナとは正反対に、ゼオラルは慄き慌てふためいた。


「そ、それ以上近づくでないっ! 小娘がどうなってもよいのか!?」


 ゼオラルが拘束されたままのアージュの首元に、短剣の刃を向けていた。

 今さらながら、神職の風上も置けない俗物だ。


 俺がぴたりと足を止めると、ゼオラルは耳障りな哄笑を上げた。


「かかっ! お、愚かな若造よ……! 所詮一介の神官である貴様が、《七人の勇者》様に逆らうことなどできんのだよ!」


 ゼオラルは嘲笑とともに勝ち誇っている。


「言いたいことはそれだけか? なら、アージュに感謝するんだな」

「…………なに?」


「肉と骨を断て――【オルタ・キュア】」


 ゼオラルの手足があり得ない角度に折れ曲がった。


 実に耳障りな悲鳴を上げ、ゼオラルは顔面からその場に倒れこんだ。


「汚らわしいお前の血をアージュにかけるのは忍びない。代わりに、お前の手足の骨と肉の腱を断ち切らせてもらった」

「ば、ばかな……!」


「そこで這いつくばっていろ。最後にちゃんと殺してやる」

「ひぃぃっ……!」


 途端、ゼオラルの姿がかき消えた。


 転移魔法で慌ててこの場から逃げ出したのだろう。だが、今はどうでもいい。

 あんな小物よりも大きな獲物が、俺の目の前にいる。


「へぇ、それがあんたの力ってわけ。たいしたものね」


 イオナは驚きも恐れもせず、感心するような笑みを浮かべている。


「いいわ。聖女様はもうすこしいたぶってあげたかったけど……返してあげる。ここではちょっと窮屈だから、上で待っているわ」


 イオナの姿が陽炎のように揺らめき、霧のように消えた。

 シルファが首をかしげる。


「魔法使いも逃げたの?」

「いや、あれは擬態魔法の一種だ。あの女は、この塔の最上階で待っている」


 イオナが最初からここにいないことはわかっていた。

 でなければ出会った瞬間、俺が奴の首をねじ切っている。


 イオナの姿が消えると、アージュの拘束は解かれ、その場に倒れていた。

 アージュは意識を失っており服は無残に斬り裂かれているが、目立った外傷はない。


「よかった……」

「シルファ、ひとつ頼みがある」

「なに?」

「アージュとここで待っていてくれ」


 俺は立ち上がり、頭上を仰いだ。

 シルファはきっと、最後まで俺の傍にいたいと思うだろう。

 けれど、今の俺にはただひとつの目的しか見えない。


「うん。任せて」


 シルファは俺を信じ、素直に頷いてくれた。


「その代わり……レイズ」


 シルファが俺の頬に手を添えた。

 唇が触れあいそうな距離で、彼女が俺の目を覗き込む。

 すると、大量の情報が頭に流れ込んできた。


「さっき、あの女の力を【魔眼】で見た。隠蔽された能力が多いけど、気をつけて」

「ありがとう、シルファ」

「なにも気しなくていい。レイズは、レイズのために戦って」


 シルファの激励に、俺はまた救われたのかもしれない。

 俺は迷いなく立ち上がり、シルファたちに背を向けて歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る