第25話 囚われの聖女
目覚めて最初に感じたのは、寒さだった。
「んっ……」
アージュは自分がどこにいるのか、なぜいるのかも理解できなかった。
だがすぐに、身体の自由が一切効かないことに気づく。
「気分はいかがですかな? 聖女様」
目の前に、よく知った老人の姿が浮かび上がる。
大神殿の司教、ゼオラル・キリク。
「ゼオラル、様……。……こ、これは……!」
舞踏会場のような広い部屋。
その中央で、アージュの全身は細い糸のようなもので吊るされていた。
両の手首を縛られ、立ったまま腰を突き出すような姿勢を強要されている。
さらに身を幾重にも包む聖衣は、ふとももが露出するほどめくり上げられている。暴れようにも、ぴんと張りつめた糸はびくともしない。
苦痛と恥辱、そして恐怖が同時に沸き起こる。
「あまり動かれないほうがいいですぞ。その糸は、彼女の使い魔の蜘蛛糸です。たとえ屈強な大男であっても、自力で切るのは不可能とのことです」
「貴方は……! な、なぜこのようなことを――」
「騒ぐな、小娘。所詮、お前は最初から最後まで、儂の道具なのだよ」
「……!」
ゼオラルの邪悪な笑みに、もはやかつての面影はない。
いや、それは最初から自分が見通せなかったこの男の本性だった。
「さて……では、正直に話すがいい。あの神官、レイズ・アデッドについて」
「レイズ様の……」
「答えろ。あれは本当に人間なのか? やつとなにを話した?」
「……」
レイズがあれほどの力を持つに至った理由。
それは彼が妹を殺され、シルファたち魔族に助けられ生きながらえた経緯とともに聞かされた。だがおいそれとその事実を口にはできない。
「おやおや、あの男をかばうつもりか? では、仕方あるまい」
ゼオラルがアージュに近づき、手をかざす。
「お前は儂に逆らうことはできぬはずだ。さあ、すべてを白状するがいい」
ゼオラルの確信の満ちた笑み。
だがアージュは、毅然とした視線を返した。
「なっ……なに? なぜ術式が起動しない……」
「……やはり、貴方が私の身体に細工をしていたのですね」
「っ……! 貴様、どうやって儂の術式魔法を……!」
ゼオラルが激昂し、アージュの頬を打った。
軽い衝撃と痛み。だがアージュは無言でゼオラルを睨み続ける。
彼が味わったであろう絶望に比べれば、こんなものは痛くもない。
「なんだその目は……! ただかお飾りの聖女の分際で!」
ゼオラルが再び手を振り上げたときだった。
「そこまでにしておきなさい」
コツッ、と靴が床を打つ音がした。
現れたのは、紅の髪とローブに身を包んだ長身の少女。
背筋が凍るような美貌の持ち主。
この国でその名を知らぬ者はいなかった。
「イオナ・ヴァーンダイン……」
魔王を倒した《七人の勇者》のひとりにして、伝説の魔法使い。
そして、レイズの妹を殺害した張本人。
「いい恰好ね、聖女様。敬虔な信徒が見たら、卒倒するんじゃないかしら?」
「貴女たちは……いったいなにをしようとしているのですか!? 《七人の勇者》ともあろう貴女が、このような歪んだ行いを……」
「あなたに個人的な恨みはないのよ。でも、あなたの友達に用があってね」
「……! レイズ様に、なにをしたのですか!?」
「そう興奮しないで。ただ招待状を送っただけよ。来てくれるといいのだけど」
口の端を歪めるイオナに、アージュの全身に冷気が走る。
最初に感じた寒さの正体――イオナが発している気配そのものだった。
「で、この子はなにか吐いたわけ?」
「いえ……それが、なぜか【精神支配】の術式魔法が解除されており……たとえ、高位の神官がどれほど集まっても解除できぬはずなのですが……」
「あらそう。使えないわね」
イオナはゼオラルの弁解を無下に切り捨て、アージュに近寄った。
彼女の細い指が、アージュの頬をなぞり顎を持ち上げる。
「じゃあ、もうすこしべつの方法で試してみましょうか」
「な、なにを……」
イオナがすっと手を上げる。
どこからともなく現れた蛇が、拘束されたアージュの足元に這い寄った。
「っ……!!」
「あはっ♪ 蜘蛛や蛇は、魔法使いにとっては家族のようなものよ」
蛇はアージュの足首にしゅるりと巻き付くと、螺旋状に脚を昇っていく。
一匹だけでなく何匹も。
蛇は遅滞なくアージュの内股の奥に潜り込んだ。
「っ……うぅ……!」
無数の蛇がアージュの全身を這いまわり、その牙で服を食い破る。
直接傷を与えられずとも、それ以上の嫌悪感と苦痛がアージュを苛む。
「ふふっ……ああ、なんていい顔、いい声……。あの神官の妹を殺したときも、とても素敵な音色で哭いてくれたのよ」
「……!!」
肉体が蹂躙されるおぞましさに、アージュは涙を零しながら耐える。
「すべての《魔法》を究めた伝説の魔法使いである貴女が、なぜこんな……」
「ああ、そのこと? よく勘違いされるんだけど……。あたしはべつに魔王を倒すために《魔法》を究めたわけじゃないのよ?」
「え……?」
「あたしはね、《魔法》がどれだけ生き物に苦痛を与えられるか、それを確かめたいだけなの。たとえば、こんな風にね……」
恐怖と戦慄の只中で、アージュは理解する。
自分の目の前にいるのは、人間ではない。
千年に一度と呼ばれる天賦の才能を、己の快楽のためだけに研鑽し究めた、正真正銘の怪物だ。
「――あら、さっそく来たわね」
イオナは探知魔法【スコープ】を使い、目の前に外の景色を浮かべて見せた。
凍てついた白き凍土を歩く、ふたつの人影がある。
それはアージュが知っているふたりだった。
「レイズ、様……」
「さあ、聖女様。ここでゆっくりと見物しましょうか。あのふたりが無事にこの塔の最上階にまで、辿り着けるかどうかをね」
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