第24話 死の誘い

 暖炉の前で、シルファがアージュの髪を編んでいた。


「レイズ、おはよう」

「れ、レイズ様……!? こ、これはその……」


 隠れ家で迎えた朝。俺が二階の部屋から降りてくると、シルファが椅子に腰かけたアージュのうしろに立ち、彼女の長い金髪に櫛を入れていた。


「どうかしたのか」


 俺に気づくと、アージュは恥ずかしそうに頬を染めた。


「髪を結っていたら、シルファさんが手伝ってくれると仰って……」

「だれかのお世話をするの、好き」


 早速ふたりが仲良くなっているのを見て、俺は安堵した。

 もっとも、素直なシルファと優しいアージュのふたりだからこそ、種族の壁を越えて打ち解けられたのだろう。


ふと、シルファがアージュの髪に鼻を近づけた。


「アージュの髪……いい匂いがする。くんくん……」

「し、シルファさん!? い、いけません!」

「レイズも、かぐ?」

「ふえぇっ……!?」


 アージュが俺を見て、さらに顔を真っ赤にした。

 俺はわずかな好奇心をこらえ、丁重にお断りすることにした。


      △▼


 結局、そこで二日ほど身を潜めた。


 その間にシルファとアージュはまた親交を深めたり、ふたりの知られざる一面を見たりすることになったのだが、それはまたべつの話である。


 朝霧に包まれた宵時。俺とシルファは、隠れ家を後にした。

 行先はすでに決まっている。

 北部の山岳地帯にあるという《魔女の塔》。そこが決戦の地となる。


「アージュ、世話になった」


 見送りに来たアージュの前で、俺は言った。


「レイズ様。私は祈っております。レイズ様たちの幸運を」

「アージュも必要になったら、俺を頼ってくれ」


 それだけを言い残し、俺とシルファは濃い霧のなかに向かって歩きだした。


「――レイズ様!」


 ややあって、アージュが叫んだ。

 遠目からでも、その面持ちが哀しみに包まれているのがわかった。


 今生の別れではない。

 もし、すべてが終わったのなら、彼女ともまた会える日が来るだろう。


「どうか、ご無事で……」


 俺はなにも答えず、アージュを振り返ることもしなかった。


     △▼


 寒々とした風が小屋を揺らしている。


 俺とシルファは《魔女の塔》目指し、王国の北部へと向かっていた。

 途中、山道で偶然見つけた古びた廃屋で暖を取った。おそらくこの山で仕事をしている木こりたちの休憩所として使われていたのだろう。


「レイズ、眠れないの?」


 薄い壁に背を預けて宙を見つめていると、隣で寝ていたシルファが目を開けた。


「……いや、眠くないんだ」

「子守歌なら、得意」

「不要だ。それより早く休め」


 俺が横になったシルファの頭をなでると、彼女はくすぐったそうに目を細めた。

 ふと、彼女のこめかみから生える角に指先で触れてみた。


「やっ……れ、レイズ、そこは……」

「すまない、嫌だったか?」


「ううん。でも魔族の角は、本当は親しい人にしか、触らせたりしない」

「そうだったのか」

「……でもレイズなら、嬉しい」


 俺はほっとし、そっと彼女に触れた。

 その度に、シルファは安心したように目を細め、ときおり身体を震わせた。


「ねぇ、レイズ」

「なんだ?」

「アージュの隠れ家に泊まった最初の夜、なにしてたの」

「え?」


 あまりに予想外の質問に、俺は面食らってしまった。


「レイズ、アージュの部屋に行ってた」

「……気づいてたのか」


「なにしてたの。あやしい」

「変なことじゃない」


「わかってる。でもわたしも……わたしだって、ちゃんとできる」

「できるって、なにを――」


 シルファはおもむろに起き上がると、急に俺の腰にまたがった。


「初めてだから、うまくできないかもしれないけど……わたしも、レイズとしたい」


 シルファがゆっくりとドレスをはだける。

 ほっそりとした鎖骨と、華奢な身体に対して発育のいい双丘があらわれる。


 シルファは俺の手を握ると、その片方へと誘った。

 豊かな膨らみが手のなかで形をやわらかに押しつぶれる。シルファが小さく喘ぎ、身体を震わせた。


 けれどそこで、俺はシルファをそっと押し返した。


「待て、急にどうしたんだ?」

「だって……アージュとはこういうこと、したんでしょ?」

「……なにか、大きな勘違いをしているようだな」


 俺はあの晩起きたことを、アージュの身体に埋め込まれていた術式魔法の件と、それを【トリト】で浄化したことを伝えた。


「えっと…本当に、それだけ?」

「ああ」


「………………ご、ごめんなさい」


 シルファが毛布にくるまりながら、めずらしく恥じらっていた。

 魔族の王女でも勘違いすることはあるようだ。


「気にするな。思い違いは誰にでもある」

「でも……レイズにとって、アージュは大事な人なんでしょ?」

「大事にも色々ある。それに俺との彼女では、立場がちがう」


 たぶんシルファの言う大事というのは、異性としての恋愛感情のことだろう。

 だが俺がアージュに抱くのは、どちらかといえば尊敬や憧憬に近い感情だった。


 かつての互いの関係性に少々の変化はあったものの、俺個人としては、彼女にはどうか変わらないでいて欲しい。


 たとえ復讐の果てに、俺がどんな存在に成り果てようとも。


「この話は終わりだ。さあ、今日はもう休め」

「うん。レイズはへいき? また、苦しくなったりしてない?」

「問題ない。むしろ調子がいいくらいだ」


 俺の胸に埋め込まれた魔王の心臓は、穏やかに鼓動を打っている。

 エルフの隠れ里でのとき以来、発作は起きていない。


「おやすみなさい、レイズ」

「ああ。おやすみ、シルファ」


 シルファは安心したように、俺の膝元で小さな寝息を立てはじめた。

 それから俺にもようやく緩やかな睡魔が訪れた。


     △▼


 翌朝、俺は屋根の隙間から差し込む光と鳥の声で目覚めた。


 腕のなかで、シルファが健やかな寝息を上げている。

 俺は彼女を起こさないようそっと起き上がると、ひとりで小屋を出た。


 そのまましばらく山道を歩き、小屋が見えないところまで離れたところまで来て、ようやく立ち止った。


「――シルファを起こさなかったことに免じて、楽に殺してやる」


 俺は善意からそう告げた。


 直後、高所の枝の上に立つ気配に向かって【オルタ・キュア】を発動した。


 くぐもった破裂音が響いた。

 耳障りな悲鳴とともに、人間が木の上から落下する。


 以前は肉眼で捉えなければ使えなかったが、今の俺は対象のおおよその気配さえ感じ取れれば、反転魔法を命中させることができる。


 音のしたほうに歩み寄り、さきほどまで生きていた死体を見下ろした。


 全身の肉が爆ぜ、胴体に大きな風穴が空いている。

 どうやら暗殺者だったらしい。

 

 だが奇妙だった。初手に失敗したとしても、続く第二、第三の攻撃もないとは。


 俺は眉をひそめながら、黒衣の暗殺者の死体を見つめた。

 この装い、忘れるはずがない。あの夜、俺とリザを襲った者と同じだ。


 なるほど……そういうことか。


「レイズ……!」


 遠くから、慌てた様子のシルファが駆け寄ってきた。


「心配するな。それよりこいつはたぶん、ただの伝達だ」

「伝達……?」


 俺はしゃがみ、暗殺者の黒いローブを引き剥がした。

 その裏に文字が描かれていた。

 読んだ瞬間、拳に力がこもる。



 ― 聖女は捕えた。助けたければ、魔女の塔まで来い ―



「レイズ、これって……」

「ああ。間違いなく、あの女からのメッセージだ」


 イオナ・ヴァーンダイン。


《七人の勇者》のひとりにして、伝説の魔法使い。リザを殺した仇。

 イオナがアージュをさらう理由。そんなものは、ひとつしかない。


「人質、か……」


 実に狡猾なあの女らしい。

 アージュが敵の根城にいる以上、まとめて広範囲を殲滅するような手段は取れない。

 直接乗り込んで来い、ということか。


 俺の復讐にアージュを巻き込みたくなかった。だがそれが裏目に出るとは。


「ククッ……」


 乾いた笑いが漏れた。

 俺は腹の底が沸き上がってくる衝動に身を委ね、肩を揺らした。

 シルファは俺がなぜ笑っているのかわからず、困惑している。


「レイズ……?」

「せっかく招待を受けたんだ。堂々と正面から行こう」

「でも、罠に決まってる」


「知っているさ。だから行くんだ。やつらは大きな勘違いしている」

「え……?」


 人質を取れば優位に立てる?

 あの女がアージュの命を握っている?

 ちがう。

 まったく度し難い。思い上がりも甚だしい。


「教えてやろう。アージュのおかげで、奴らが生き長らえているということを」


 彼女をこの手に取り戻した瞬間が、あの女の最期だ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る