第22話 隠れ家

「――ひとまず、追手は撒けたようですね」


 マリアージュの提案だった。

 俺たち三人は、王都の外れにある寂れた一軒家に身を潜めていた。


 外見はごく普通の民家だが、外見に反し、中は埃が積もっている以外は驚くほど綺麗だった。聞くところによると、マリアージュだけが知っている隠れ家らしい。大神殿の部屋にあった隠し通路といい、聖女という立場ゆえの特別な警護策なのだろう。


「どうやら、そのようだ」


 窓越しに外を監視していた俺は、ひとまず緊張を解いた。


「ですが、すぐには動かないほうよいでしょう。今頃、王都は大騒ぎになっているはずです。幾晩かは、ここで様子を見たほうが賢明だと思います」

「わかった……世話になる」


 大勢の人間が普通に暮らしているこの王都で、無暗に戦火は広げられない。

 もし万が一無関係な子供でも巻き込めば、俺はあのイオナと同類になってしまう。


 それに俺の最優先目標は、騎士団ではない。


「では、あのときの質問の続きを」


 俺はマリアージュに改めて向き直った。


「《七人の勇者》の居場所について、知っていることを教えてくれ」

「……《七人の勇者》の所在を、正確に知る者はおりません。ですが、ひとつ確かな情報があります」


「なんだ」

「北部の山岳地帯に、《魔女の塔》と呼ばれる王国の研究施設があります。大勢の超一流の魔法使いたちが、そこに集められたという噂をお聞きしました」


「魔女の塔……」


 魔法使い――その言葉が俺の心臓を突き刺した。


「それだけの人間を集めることができるのは、《七人の勇者》しか考えられません」


 全身の血が沸々と熱を帯びていく。

 高位の魔法使いを束ねる存在。あの女しかいない。


「これから、どうなさるおつもりですか?」

「知れたことだ。俺は、《七人の勇者》に復讐する」

「……レイズ様の、あのお力で、ですか」


 マリアージュは、必死に恐怖を押し殺しているように見えた。


 無理もない。

 俺が王国最強の騎士たちを素手で引き千切るのを、その目で目撃したばかりなのだから。


「ああ、そうだ」

「ならば、わたくしにもレイズ様のお手伝いをさせてください」

「なに……?」


 彼女の瞳は真剣そのものだった。

 だが、そんな世迷言を、俺がすんなりと歓迎するはずもない。


 すでに俺の手は血塗られている。


 俺は却下しようとしたが、そこにシルファが割って入った。


「あなたは、レイズのことが好きなの?」

「え?」


 マリアージュが固まった。

 しん、とその場に奇妙な沈黙が横たわる。


 俺もどういう反応をすればいいのかわからなかった。

 だがしだいにマリアージュの頬が紅潮していき、やがて耳まで真っ赤になった。


「ななななっ、なにを、おお仰るのですか……!?」

「ちがうの? そうだと思ったけど」


「違いません! はっ……!? いえ、ち、違いませんというのはそういう意味ではなく、えっとその、あの、違わないのですが違うのですっ!」

「? なに言ってるか、よくわからない。好きか、嫌いかで答えて」

「そ、それは……」


 マリアージュは今にも茹で上がりそうな顔色だった。


「わたしは、レイズが好き。だから一緒にいる。あなたもそうなら、一緒にいればいい」

「あ、貴女はいったい……」


「わたしは、勇者たちに滅ぼされた魔王の娘」

「……!」


 マリアージュが息をのみ、言葉を失う。

ただの魔族でさえ恐れるのが普通なのだ。当然の反応だった。


「魔王の……。ならば、なおのことです。貴女は……人間が憎くないのですか?」

「どうして?」

「え……」

「わたしは、わたしのお父さんを殺した勇者と、魔族の敵が嫌い。でもだからといって、人間が嫌いにはならない。種族ごと嫌ったり憎んだりするのは、人間だけ」


 マリアージュは絶句している。

 これは種族の価値観の違いであり、シルファの気高さでもある。


「レイズ、この人のことは、大事?」

「……そうだな」

「なら、わたしにとっても大事」


シルファが薄く微笑んだ。

 魔族の王女が見せる優しき笑みに、マリアージュは目を瞬かせていた。


「ふたりで、ゆっくり話して。外で見張ってくる」

 シルファがすたすたと出ていく。わざわざ気を遣わせてしまったようだった。


「レイズ様、あの方は……」

「シルファは、あの通りの子だ。こういった言い方が正しいのかはわからないが……よかったら、話し相手にでもなってくれ」


 俺がシルファにしてやれることは少ない。

 もしここにいる間だけでも、彼女がそれを補ってくれるのなら、俺にとっても望ましいことだった。


 マリアージュはようやく肩の力が抜けたように、安堵の笑みを浮かべた。


「わかりました。では、そうさせて頂きます。できたら、女の子同士のお話なども」

「そうか」


 雨の勢いが弱まっていた。明朝には上がっているだろう。


「あの、レイズ様。初めてお言葉を交わしたときのことを、憶えておられますか?」

「? ああ……」


 突然の質問に、俺は記憶をたぐり寄せた。


 たしか大神殿の裏庭で、俺は怪我をした小鳥の手当をしていたときのことだ。


 その小鳥は羽から血を流していて、自力で巣に帰ることもできなくなっていた。


 ただ神官の癒しの《魔法》は、人間以外に対して使うことは禁じられている。

 他の種族の生死に介入することは、神が与えし生命への冒涜であるという考えがあるからだ。

 だから俺は、包帯を薬で小鳥を手当てした。

 それからしばらく、大神殿でその小鳥の世話をしたのだ。その甲斐もあって、数週間後、小鳥は無事に巣立っていった。


「あのとき、私はレイズ様に、なぜ小鳥を癒すのかとお尋ねしました。そのとき、レイズ様は、こうお答えになりました」


 マリアージュは目を伏せ、その胸に手を当てた。


「自分の手は、癒しのための手であるからです、と」

「……」


 答えるべき言葉は、見つからなかった。


 この手がすでに癒しの手ではなく、破壊の手であることを、彼女は悲しむだろうか。

 この血濡れた手を、赦してくれるだろうか――


「あのときから、私は、レイズ様のことが好きになりました」

「…………え?」


 数秒の間、なにを言われたのかわからなかった。

 マリアージュの前でぽかんとしていると、彼女の顔が見る見るうちに紅潮してい

く。彼女の瞳は潤み、首もとまで真っ赤になっていた。


「わ、私は、あのときからレイズ様のことを、ずっと想い、慕っておりました」

「それは友人として……」

「ちがいます! つまり、その……」


 言葉は尻すぼみに消えていく。


「私は、聖女です。そしてレイズ様は、神官です。お互い、なによりも清くあるべき身。ですから、そのような関係は決して許されません。それゆえに、お伝えするつもりもありませんでした。ですが……」


 ぽたり、と大粒の水滴が埃の積もった床に落ちた。

 マリアージュの涙だった。


「今言わなければ……もう二度と……レイズ様にお伝えすることができないような気がして……」


 本当に聡明で、そして優しい人間だ。

 彼女の懸念は正しい。

 なぜならここを出たら、俺は二度と彼女の前に現れないつもりだった。


「……どうか、顔を上げてくれ」

「レイズ、さま……」


「ありがとう。気持ちは受け取ったが、今は答えられない」

「……はい。それで構いません」


 マリアージュは充血した瞳のまま、美しく微笑んだ。

 まさしくそれは、すべての者に救いを与える聖女の姿だ。


「それと…もうひとつだけ、よろしいでしょうか?」

「なんだ」

「……アージュと、呼んではいただけませんか?」

「え?」


「家族や友人からは……そう呼ばれます。どうか私を、友人として扱ってほしいのです。お願いいたします」


「わかった。アージュ」


 俺の反応に、アージュは恥ずかしそうににはにかんだ。


 それは神々しい聖女としてではなく、ひとりの少女としての笑顔だった。

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