第21話 聖教騎士団

 迷路は開けた場所につながっていた。

 

 大神殿の足元にある広場のすぐ傍だ。

 いつもは聖女の言葉を聞きに集まる民衆がいる場所に、その本人がこうして降り立っているのは奇妙な光景だった。


 だが俺たちは、すぐに足を止めた。


「――よもや、聖女様をかどわかすとは」


 ただならぬ気配とともに、白髭を蓄えた老人が、行く手に立ちはだかった。

 大神殿の長、司教ゼオラル・キリク。


「ゼオラル……」

「生きていたとは。レイズ・アデッドよ」

「ああ。ここにこうしてな」


「ふん、ずいぶんと態度まで尊大になったものよ。だが、死者は蘇らぬ。お主はすでに生者ではない」

「どういう意味だ」

「魔族とともに行動し、みずから魔の気を放つ者が、人間であるはずがあるまい」


 その言葉を合図に、ただならぬ気配が出現した。


 広間の外周を取り囲むように、十人ほどの白い影があった。


 全身を覆う白銀の鎧と外套。そこには神官服と同じく、十字の紋様が描かれている。兜により素顔はまったく見えないが、わずかに覗く眼光が、人間離れした威圧感を放っている。


 聖教騎士。

 大神殿に仕え、王国を守護する最強の騎士たちだ。


「レイズ・アデッドの姿を借りた悪魔よ。王国の地を穢し、あまつさえ聖女を略奪しようなど、断じて見逃すわけにはいかぬ」

「ゼオラル様! それはちがいます!」


 マリアージュが声を上げた。


「どうかレイズ様のお話をお聞きください! 彼が《七人の勇者》によって受けた残虐な行いを! 平和を願う彼の御心に偽りはございません!」


「おやおや……聖女様は、すでに彼の者の術中に落ちておられるご様子」

「なっ……!」

「どんな妄言を吹き込まれたか存じませぬが、それが卑劣な魔族の手管なのです」

「そんな……そんなことは……」


 マリアージュは言葉を失う。

 どうやら俺たちの話に耳を貸すつもりはないらしい。それどころか――


「聖教騎士団……」


 一分の隙もなく包囲する白き騎士たちを見渡す。

 王国最強の戦力。その力は、凶悪な魔物を退ける一流の冒険者さえも凌ぐ。 


「神官の身でありながら魔に墜ちるとは……なんと愚かしい」

「俺たちを生かして帰すつもりはないようだな」


 ゼオラルが邪に笑み崩れ、目を細めた。

 それは俺が見てきた穏やかな聖職者のものではない。


 ゼオラルは、リザを殺したのときのイオナと、同じ目をしていた。


「聖女様、ご乱心もほどほどに。なに、ご安心くだされ。我らの聖教騎士が、魔族とその手のものを粛清してご覧に見せます」

「いいえ。そんなことは、私が許しません」


 毅然とした態度でマリアージュが前に出る。


「聖女マリアージュの名において命じます! 聖教騎士たちは今すぐに武器を収め、この方たちを――」


 突然だった。

 マリアージュが、喉を押さえて苦悶している。


「ぁっ……な……」

「おやおや、どうされたのでしょう。やはり考えを改められたということですかな?」


 マリアージュは青ざめ、言葉を発することができない。

 沈黙の妨害魔法か。

 いや、ちがう。これは――


 彼女の異様な様子に、俺は思い当たるものがあった。


「そういうことか……下衆め」

「言葉に気をつけろ、若造。さあ、騎士たちよ。魔族に寝返った逆賊を粛清せよ!」


 聖教騎士たちが間合いを詰める。

 俺はシルファとマリアージュをかばいながら、手をかざした。


「【オルタ・キュア】」


 人間の肉体を無条件で殲滅する破壊の力が、聖教騎士を捉えた。



 【オルタ・キュア】:対象の詳細不明 《スキル》により無効化。効果なし。



 頭の中に【戦闘経験】による情報が綴られる。

 実際、聖教騎士たちは微動だにしなかった。


「レイズの攻撃が効かない……!?」


 俺の戦いをだれよりも近くで見てきたシルファが、驚きをあらわにする。


 人間の身でありながら、【オルタ・キュア】が効かないとは。

 俺は試すことにした。立て続けに反転魔法を発動する。


「【オルタ・トリト】――穢れろ」



 【オルタ・トリト】:対象の詳細不明 《スキル》により無効化



 結果は同じだった。

 冒険者たちのあらゆる装備を腐食させた【オルタ・トリト】さえ、彼らの白銀の鎧を傷つけることはない。


「ふん、なにをしている? それで我らの聖教騎士に抗えるつもりだったのか?」

「レイズ、あの騎士には、わたしの【魔眼】が通じない……」


シルファの言葉で、俺はすぐに確信した。


「なるほど、【福音】か」

「ほう、さすが元は大神殿の若き俊英。よく知っているではないか」


 人間が授かることのできる、最上位の《スキル》のひとつだ。


 それは聖教騎士である限り、あらゆる異種族の力から、その身を守護すると言われている。魔王の魔力を有する俺やシルファの能力が通じないのも当然だ。


「我らの聖教騎士は、遥か古来より魔族どもを滅ぼし、この地を守護してきた存在。【福音】を授かり騎士にとって、貴様たちの邪な術など恐れるに足りぬわ」


「ククッ……」


 尊大に勝ち誇るゼオラルを前に、俺は思わず口元を緩めた。


「……なにがおかしい」


 怪訝なゼオラルの問いを無視し、俺は肩を揺らし愉快な気分に身を任せる。


「レイズ……?」


 ああ……まったくもって愚かしい。

 滑稽とは、まさにこのことだ。


「なにがおかしいと聞いている……!」


 俺はようやく笑い終わり、ゼオラルを見据えた。

 びくり、とゼオラルが俺の眼光に射貫かれてのけぞる。


「恐れを知らぬというのなら、俺が今、教えてやろう」

「……っ! き、騎士たちよ!!」


 ゼオラルの焦りの声と同時に、聖教騎士たちが一斉に剣を抜く。


 彼らの武器はただひとつ――十字型の両手剣。

 その一振り一振りが、勇者の持つ《聖剣》に匹敵する強度と威力を有する。人間の造りし、至高の兵器のひとつだ。


「恐れを知らぬ愚か者たちよ、俺を殺してみるがいい」


 俺は両手を広げ、彼らを歓迎した。

 直後、騎士の姿がかき消える。


 まばたきするよりも速く、無数の斬光が俺の左腕と右足を切断した。

 さらに白銀の刀身が全方向から俺の身体を貫いていた。


 同時に刀身にエンチャントされた神聖魔法が発動。

 剣の刃を伝い、俺の身体が一瞬にして浄化の炎に飲み込まれた。


「レイズ様ぁ!!」


 マリアージュ様の悲鳴を、俺はどこか他人事のように聞いていた。

 実に見事な連携、そして剣聖級の剣技。


 もちろん即死だ。


「……な、なに……?」


 ゼオラルがしわがれた顔に、初めて困惑の色を浮かべる。


 痛みは感じなかった。

 俺の痛覚は、戦闘時には自動的に遮断されている。

 四肢を断たれ、聖なる炎に焼かれても、俺は痛痒ひとつ感じない。


「あぁ……この身体は実にすばらしいな」


 俺は炎越しにゼオラルと聖教騎士を一瞥した。

 騎士たちが初めてその動きに焦りを見せる。


 魔王の心臓からとめどなく溢れる魔力の煌めきが、斬り裂かれ、焼き尽くされようとしている身体を包み込む。


「ひとつ教えてやろう。俺の身体には【キュア】、【フォース】、【トリト】……いくつもの魔法が常時発動している。この意味がわかるか?」

「なっ――」

「それを使えば……この通り」



【不滅者】:自動発動。欠損部位を再生開始。所要時間、0・6秒



 俺の左腕と右脚、その血と骨と肉すべてが瞬時に再生する。

 さらに聖なる炎すらも吹き飛ばし、俺は傷ひとつない五体満足の姿で、彼らの前に降臨した。


「ば、馬鹿な……!? 【リキュア】かっ!? いや、だとしてもこのような回復速度などありえるはずが……」


 これは【キュア】でも【リキュア】でもない。


【不滅者】――実質的な不死の力。


 これは《七人の勇者》への復讐を果たすまで、決して斃れないという誓いだ。


「ば、バケモノ……!?」

「俺は人間だ。覚えておくがいい。お前たちは、魔族でも魔物でもなく、同じ人間に殺されるのだということを」


 俺は悠々と足を踏み出す。

 不動のはずの王国最強の聖教騎士たちがひるんでいる。


「【福音】は、確かに強力無比な《スキル》だ。すべての敵対魔法が無効化されるというなら仕方ない。では……こういうのはどうだ?」


 聖教騎士の動きは、確かにまばたきよりも速い。

 それなら――


 俺は彼らが思考するよりも速く動いた。


 間合いが刹那で消失。

 片手で彼らの頭部を掴み、その速度のまま無造作に地面へと叩きつけた。

 衝撃で石畳が砕け、地面に縦横無尽の亀裂が走る。


 中身を押しつぶした兜の残骸から、俺はゆっくりと腕を引き抜いた。


 数秒の間を置いて、ようやくゼオラルが反応した。


「な、ななっ――!?」

「言ったはずだ。俺の身体には常時【フォース】が働いていると。身体能力は極限まで強化されている」


  神官にとって、身体や武器を強化する【フォース】は基礎中の基礎だ。

 そして、その効果はその者の魔力に影響される。


 魔王の持つ莫大な魔力で、神官の持つ強化の魔法を発動するとどうなるか。

 その答えが、今ここに散らばっている王国最強の騎士たちの屍だった。


 背後に迫る気配。今の俺には、あまりに遅い。


 聖教騎士が俺を斬り裂いたと誤認した瞬間に、俺はすでにその腹部を臓物ごと素手で貫いていた。


「がぁああぁっ……!?」

「俺の天敵は、だ」


 俺の身体には、魔王の権能によって発現した《スキル》である【人類悪】により、極大効果のが付与されている。

 素手で人間の身体を貫くことなど容易い。


「術が効かない? なら、ただ力で押し潰せばいいだけのことだ」


 次の一瞬で、俺は三人の聖教騎士の肉体を上下に引き千切った。

 宙を舞ったその肉体の一部が落下をはじめる前に、さらにもう三人の心臓を貫き手で串刺しにする。


 容赦も慈悲も必要ない。


 明るい光あふれる大神殿前の広間が、瞬く間に赤黒い血に染まっていく。


「ば、バカなっ……!? こんなことが……!」

「俺を止められると思うな」

「くっ……! き、騎士団よ! 総力を結集せよ!」


 ゼオラルは鬼の形相で唾を飛ばしながら叫んだ。

 それに呼応し、さらに倍の数の聖教騎士が姿を現す。


 一瞬のうちに、俺は敵の増援に包囲されていた。


「これよりすべての《魔法》の使用を許可する! 街を火の海に変えても構わん! 奴を必ず殺せっ……!!」

 

 聖教騎士のひとりが剣を振るった。

 その刃から迸った光は、俺の【オルタ・フォース】より無効化される。


 だが生じた周囲の余波だけでも凄まじく、民家の屋根を真っ二つにした。


 遅れて人々の悲鳴が聞こえてくる。

 だが聖教騎士はまったく意にも介さない。


 ここで戦争をするつもりだろうか。

 奴らを皆殺しにするのは容易いが、ここで無関係な人々を巻き込むことは、俺の望みではない。この場で戦闘を続けることは得策ではなかった。


「シルファ、いったん退く」

「それがいいと思う。レイズの判断は正しい」


 俺は力なく座りこんでいるマリアージュのもとへ歩み寄り、彼女を抱きかかえた。


「聖女マリアージュ、無礼を許せ」

「え――ひゃぁっ!」

「に、逃がすな……!」


 ゼオラルが聖教騎士たちを盾にしながら吠える。

 俺はそれを鼻で笑いながら告げた。


「安心しろ、ゼオラル。貴様は最後に殺してやる」

「なっ……!?」


 いよいよ老人の顔から血の気が引いた。


 俺はアージュを抱きかかえたまま、大神殿の正面に立ち、その柱に手を触れた。


「【オルタ・キュア】、柱よ崩れろ」


 主柱に亀裂が走る。


 大神殿の天井を支える柱が、破片をまき散らしながら倒壊。

 大量の粉塵が当たり一面に広がる。


 もうもうと巻き上がる塵と煙にまぎれ、俺たちはその場から姿を消した。

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