第20話 アージュ

 大衆が聖女の演説に興味を奪われてる隙に、俺とシルファは神殿内に潜入した。


 すみやかに内部を進み、最上階にある彼女の部屋に忍び込み、主の帰りを待った。


 やがて、複数の足音が聞こえてきた。

 俺は付き人が部屋から出ていくのを待って、部屋の主である少女の背後に回り込んで、口を押えた。


「んむっ……!?」

「静かに。騒がなければ危害は加えない」


 少女が華奢な身体をびくりと震わせる。

 力で押さえつけるまでもなく、彼女は恐怖と驚きのあまり凍りついていた。


 聖女マリアージュ・クライスト。


 彼女を安堵させるべく、俺はなるべく穏やかに言った。


「聖女マリアージュ、俺はレイズ・アデッド。この大神殿の神官だ」


 ぴたり、と彼女の身体の震えが止まった。

 ゆっくりと手を放す。

 マリアージュがこちらを振り返る。

 俺の姿を目の当たりにし、大きく目を見開いた。


「れ、レイズ様……?」


 彼女は俺の名前を知っているようだった。

 まさか聖女ともあろう高位の人間が、一介の神官を覚えているとは。


「これは夢では……ないのですね。生きて……いらっしゃった……ほんとうに……」


 唐突に、彼女の瞳から涙がこぼれた。

 意外な反応に虚を突かれた。

 いったいなぜ俺の生存を知って、彼女が泣くのだろうか?


「レイズ様、そのお顔の傷は……」


 彼女は俺の顔の半分を覆う火傷痕を、痛々しく見つめた。


「俺のことを、誰かから聞いたのか?」

「それは……ゼオラル様から、貴方は魔族に襲われて行方不明になったと……」


「それは偽りの事実だ」

「そんな……。いったい、なにがあったのですか?」


「……知らないほうが、貴女のためだ」

「いえ、お教えください。私は知らなくてはなりません。聖女として……いえ、貴方の、その……友人として」


「友人……?」

「い、いけません、でしたでしょうか……?」


 マリアージュは頬を上気させ、ちらちらと俺のほうを伺っていた。


「いや、構わない」

「よかった……」


 彼女が胸に手を当て、深い安堵の表情を浮かべる。

 あまり経験したことない状況に、妙な戸惑いを感じた。


「なにこの雰囲気」


 いつのまにか、シルファが俺とマリアージュの間に立っていた。

 俺も驚いたが、マリアージュの驚きはまったく別の類のものだった。


「あ、あなたは……まさか、魔族!?」


 青白い肌に頭部の角、紅い瞳。

 シルファの容姿を見て彼女が血相を変えるのは、至極当然のことだった。


「落ち着いてくれ。彼女は味方だ」

「レイズ様、これはいったい……」


 俺は困惑する彼女に、ようやく大事な一言を告げた。


「俺は、《七人の勇者》に裏切られたんだ」


      △▼


「そんな……ひどすぎる……」


 長い話を聞き終え、マリアージュは悲痛な涙を流した。


《七人の勇者》の目的が、この世界の支配にあること。


 俺がその事実を知ってしまったこと。


《七人の勇者》のひとりであるイオナ・ヴァーンダインに、妹を殺されたこと。


 凄惨な話で彼女の心を痛めたくはなかったが、すべて真実だった。

 今や世界を救った英雄とされる《七人の勇者》たちの、おぞましい所業。

 純真無垢な彼女には、到底受け入れ難いはずだった。


「ここに来たのは、《七人の勇者》の情報を手に入れるためだ」

「勇者様たちの……」

「大神殿が直々に、『種族浄化』のために動き出すとも聞いた。司教ゼオラルは、勇者の言葉に従い、なにをするつもりだ?」


 マリアージュは、沈痛な面持ちで声を絞り出した。


「ゼオラル・キリク様は、聖教騎士団を招集しました」

「なんだと……」


 聖教騎士。


 はるか古来より王国を魔物の侵略から待ってきた最強の騎士たち。王国の繁栄は聖教騎士の存在なしには語ることができない、と言われている。力を持つ冒険者という存在が生まれた今も彼らは常にこの地に留まり、王国を守護し続けている。


 それが、なぜ今になって。

 結論はひとつしかない。


「聖教騎士を使って、魔族の地を侵略するつもりか」

「……仰る通りです。それも、かつてない規模で」

「そういうことか……」


 聖教騎士はこの王国の守護の象徴だ。それを侵略に利用しようというのだ。

 だが納得もいった。聖教騎士団を動かす権限は、国王ではなく、この大神殿が保有している。つまり、神殿の長たる司教ゼオラル・キリクが。


 辿るべき糸が見えてきた、と俺は感じ始めていた。


「貴女のおかげで、奴らの思惑を挫くことができそうだ」

「それはどういう……。まさか、騎士団を止めるおつもりですか?」

「当然だ」


「そ、そんな無謀です……! いくらレイズ様が優れた神官であっても、おひとりの力では聖教騎士たちにはとても――」

「いや、俺はひとりでやる。ひとりで十分だ」

「え……」


 魔王の心臓が答えるように強く脈打った。

 誰の力も借りる必要はない。

 ただこの手があればいい。奴らを癒し、救ってきた、この手が。


「聖女マリアージュ、もうひとつ、聞きたいことがある」

「な、なんでしょうか?」


「《七人の勇者》の居場所だ」

「……私も、すべてを知っているわけではありません。ですが、ひとつ心当たりが――」


 彼女がなにかを言いかけたときだった。


「マリアージュ様! ここをお開けください!」


 大声とともに扉が外から叩かれた。

 念のため鍵をかけていたが、異変を察知されたらしい。


「もう限界のようだな。話の続きは後だ」

「レイズ様、こちらへ!」


 マリアージュは俺たちを部屋の奥へと案内した。

 大きな書架の前に立ち、書物のひとつを押し込むと、足元の床がゆっくり浮き上がった。


「隠し通路です。付き人たちも知りません。ここから外へ脱出できます。中は迷路のようになっていて、私しか抜け方を知りません」

「わかった。では先導を頼む」


 扉の外の声は大きくなっている。

 迷っている暇はなかった。


 俺たちはマリアージュ様とともに隠し通路から脱出した。

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