第18話 血の交わり
助けたエルフの女に一通り里のなかを案内され戻ってくると、シルファが小さなエルフの子供たちに囲まれていた。
「レイズ、おかえり」
「ずいぶん懐かれているな」
エルフの子供たちは、魔族であるシルファをまったく怖がっていない。
それどころか、みな満面の笑みを浮かべて積極的にじゃれついている。
「驚きました……。普通、エルフというのは本能的に魔族や人間は警戒するので、むしろ子供を懐かせることのほうが難しいのですが……」
エルフの女も感心している。
俺は魔族の隠れ里での光景を思い出した。
シルファは、なにか特別な母性のようなものを持っている。
もしかしたら、それも魔王の娘として授かった才覚なのかもしれない。
「ままー……」
子供のひとりが指をくわえながら、シルファに抱きつく。
シルファは優しく頭をなでながら、なぜか俺を指さした。
「わたしがママ。そして、あれがパパ」
「な、なんと……! そうだったのですか……!」
シルファの冗談ともつかない冗談に、俺は小さく嘆息した。
シルファの膝の上で寝てしまった子供の穏やかな寝息を聞きながら、俺は考えていたことを、彼女に伝えた。
「シルファ、俺は王都に行く」
シルファがめずらしく、その表情に驚きを浮かべる。
「危険すぎる」
「行く必要がある。《七人の勇者》が、どこでなにを企てているのかを知るためにな」
シルファが懸念するのは当然だ。
魔族からすれば、王国は敵の本拠地。今の俺にとってもそれは同じだ。
「王国に、レイズの味方はいるの?」
「それは……」
俺は言葉を濁した。
味方は少ない。仮にいたとしても、価値のある情報を得るには、それなりの地位の人間と接触し、話を聞く必要がある。
だが、今や司教のゼオラルすらも安易に頼ることは危険だった。
もはや、人間の誰も信用することは――
慈悲深い微笑が、俺の脳裏をよぎった。
いや、ひとりだけいる。
こんな状況でも、俺が唯一絶対に信頼に足ると思える人間が、たったひとりだけ。
「大丈夫だ。心当たりがある」
「…………それは、男? 女?」
「女だ。……それがどうかしたのか?」
「わたしも行く」
「いや、シルファはここで待っていたほうが――」
「行くったら、行く」
シルファは大真面目な顔で断言した。
こんなに強情なシルファを見たのは、初めてのことだった。
△▼
エルフ族の集落で迎える夜。
豪勢で美味な食事を食いきれないほど振る舞ってもらった後、俺は客室に案内された。 人間のそれとはちがい、エルフの家は、木をそのまま生かしているような変わった造りをしていた。壁や天井には、うねった剥き出しの幹が覗いている。
「こちらでごゆっくりお休みください」
「ああ、ありがとう」
俺は礼を言って、部屋に足を踏み入れた。
だがそこに、なぜか先客がいた。
エルフの女たちだ。
金髪に銀髪、白い肌に褐色の肌、耳が長い者に短い者……それぞれの外見に違いはあるものの、共通しているのは、全員が目を見張るほどの美人であることと、全員が肌を露出し、扇情的な雰囲気を漂わせていることだ。
「……失礼、部屋を間違えたようだ」
「いいえ、間違ってはおりません。さあ、どうぞこちらへ」
エルフの女たちは、俺を引き留めるように部屋の中に引き入れた。
「俺に、なにか用か?」
「はい。レイズ様への夜伽を仰せつかって参りました」
「……なに?」
「エルフのなかにもこういった営みが得意な者はおります。ここにいる間は、いつでも私たちがお相手いたします。さあ、どうぞお好きな相手を」
すると、彼女たちは身にまとっていた服をするりとはだけた。
リザ以外の女性の裸というものを、俺は生まれて初めて目にした。
これまで想像すらしたことない蠱惑的な光景。
もし俺が、魔王と融合していなければ、卒倒していたかもしれない。
「待て」
と制止したにもかかわらず、職業意識が強いのか、半裸のエルフたちは俺にゆったりとしなだれかかる。
俺は対処に困った。
魔王と融合してはいるが、俺は清貧な神官でもある。
「私たちでは……ご不満でしょうか?」
「いや、そういうわけじゃないが……」
エルフの女たちは、俺の太ももを撫でたり、胸を押し当ててくる。
「私たちが癒して差し上げます」
「……それなら、必要ない」
「え?」
俺はやんわりと、彼女たちを押しのけた。
「今の俺に、癒しは必要ない。目的を果たす、そのときまで」
復讐を果たすことが、今の俺のすべて。
それまで俺が癒しを求めることはない。
そして、与えることも。
エルフの女たちは、不思議そうに首をかしげている。
「だから、せっかく気遣ってくれて申し訳ないが――」
「なに、これ」
「なにこれというか、つまり神官というのは貞操を……な、シルファっ!?」
さすがに俺も、そのときばかりは驚いた。
なぜか部屋の入口に、おそろしく無表情のシルファが立っていたからだ。
「いつからいたんだ?」
「今。レイズ、状況を説明して」
「いやこれは、つまり……不測の事態だ」
ひとりの褐色のエルフが、俺の頬に親しげな口づけをする。
シルファから見たことのないドス黒い気配が立ち上るのを感じ、俺は彼女たちに丁重にご退室を願った。
「やれやれ……」
「レイズ、ああいうのがいいの?」
「なにを指しているのかはわからないが、とにかく誤解だ。それより、シルファも今日は早く休んだほうが――」
ドクンッ――
身体の奥で、なにかが唸りを上げた。
あのときと同じだ。あの魔族の村で、最初に魔王の力を使ったときと。
全身が焼けるように熱い。
「……レイズ?」
「ぐっ……ああ……! がああああああ……!!」
「レイズ!? どうしたの!?」
シルファが顔色を変えて駆け寄ってくる。
俺はかきむしるように胸を押さえ、苦悶の声をもらした。
全身から汗が吹き出し、呼吸も止まり、身動きひとつ取れない。
全身をすり潰されているような熱と圧力と痛み――そのすべてが俺の胸から生じていた。
また魔王の心臓の暴走だ。
ここまで騙し騙し使ってきたが、ついにまた限界を超えて反動が来たようだ。
「痛い? 苦しい?」
気づくと、シルファが泣きそうな表情で俺を覗き込んでいた。
「っ……心配、するな。この程度で……参っていたら、《七人の勇者》への報復など、できるはずもないからな……」
「……ごめんなさい」
「どうして、シルファが……謝る……?」
「だってレイズはこんなになってまで、みんなのために戦ってくれてるのに……。わたしはなにも、できてない」
「そんなことは……ない。ここに来るのも、シルファがいなければ……ぐっ、が、がああああアアアアアア……!」
俺の強がりを嘲笑うかのように、痛みが怒涛のように勢いを増して押し寄せる。
そのときだった。
シルファの唇が、俺の唇に触れた。
なにが起きたかわからなかった。
シルファは腕を俺の首にまわし、強く唇を押しつけた。
彼女の舌が俺のなかに入ってきて、俺はそれを無抵抗に受け入れた。
シルファの吐息が鼻孔をくすぐり、甘い匂いと温かさに包まれる。
すると、彼女の口内から溢れる唾液が、からめた舌を通じて俺のなかに注がれた。
俺とシルファの一部が混ざり合い、俺はそれをむさぼるように飲み込んだ。
頭が痺れるような感覚。けれど心地よく、深い安堵を伴う刺激があった。
全身を貫いていた痛みが、不思議と遠ざかっていく。
「――へいき?」
「シルファ……。今、なにをしたんだ?」
「魔族の身体には、免疫がある。血とか体液が、魔族同士だと薬にもなる。血統が近いものほど効果が出る。だからこうして……わたしの一部を、レイズに分けてみた」
シルファが唇を指先でなぞる。
「なるほど……。すまない、おかげで……よくなった」
「もっとちゃんと分ければ、もっとよくなる」
「それは……」
シルファが身を乗り出し、俺の服をつかんだ。
「わたし、レイズのために、なにかしてあげたい。できること、ある?」
「シルファ……」
「わたしのぜんぶは、もうレイズのものだから」
シルファはあの約束を繰り返した。
それが彼女なりの責任感であり、背一杯の誠意の示し方なのだと感じた。
ふっと身体の力が抜けた。
俺はそっとシルファの頭をなでた。
いつも、リザにそうしていたように。
「今は、ここにいてくれるだけで十分だ」
「わかった。じゃあ、朝まで一緒にいる」
シルファは俺のとなりに座ると、肩に頭を預けた。
月明りの差し込む部屋で、俺はその重みと温かさを感じながら、静かに目を閉じた。
決して失ってはならない温もりに俺は誓った。
この愛おしさを奪おうとする奴らがいる。
俺の手から奪った奴らがいる。
いまの俺にできることは、すべてことは、たったひとつしかない。
今度は俺が、奴らからすべてを奪う番だ。
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