第14話 反転

 その魔族の村は、王国から遠く離れた辺境の地にあった。


 険しい山々の間にひっそりと佇み、数十人程度の魔族が暮らしているらしい。魔王の娘であるシルファは魔族のことは無論、この世界の地理や環境に、俺以上に詳しかった。

 世界を統べる者の娘として求められた資質なのかもしれなかった。


 鬱蒼とした森を抜け、俺とシルファは慎重に村のそばまで近づいた。

 まず聞こえてきたのは、人語のけたたましい怒鳴り声だった。


「さっさと動け奴隷どもが!!」

「休んでんじゃねぇ!! 人間様の土地で生きてられるだけ有難いと思え!」


 魔族の村に、武装した人間兵士の姿があった。

 一人や二人ではない。ひとつの部隊と呼べるほどの人数だ。


 そしてその周りに、貧相な身なりをした魔族の姿が見える。

 全員が両手と両足を動ける程度の長さの鎖でつながれ、木材や石の肩回りを運んでいる。


「ひどい……」


 シルファが悲痛な声をもらす。


「魔族を奴隷にしているのか」


「ここは戦う力のない、女性や子供ばかりの村。人間は魔族の生息地を奪って、そこを新しい拠点にしようとしている。でも労働力は王国や大きい都市に集中しているから、あんなふうに、現地の魔族を使って……」


 シルファは悔しそうにうつむいた。


 魔王が斃れ、絶対的な立場の優位を得て、ここまで醜悪さを剥き出しにするとは。

 これが人間の本質だ。

 そんなやつらをこれまで癒し、救ってきたのは他ならぬ俺自身だ。


 だから、その責任を取らなければならない。


「シルファ、俺が行こう」

「でも……兵士がいっぱいいる。危ない」

「大丈夫だ。俺の姿を見れば、神官だとすぐにわかる」


 奴らは俺を不審に思いこそすれ、警戒することはないだろう。

 俺はさっそく、堂々と兵士たちに姿をさらして近づいた。


「――あぁ……? なんだ、お前は」


 兵士のひとりが気づき、俺を胡乱げに見回す。

 見るからに粗野な顔つきに、淀んだ目つき。身長は俺よりも一回りも大きい。


「俺は、大神殿の神官だ」

「大神殿? はっ、神官が来るなんて聞いてねえぞ。だれも傷ついちゃいねーよ。いったい神官様がなにしに来たってんだ」

「傷ついていない……か」


 俺は奴隷として労働を強いられている魔族たちを見た。

 血だらけの手足でむき出しの建材を運んでいる。

 肌の色がちがっても、その健康状態が著しく劣悪なのは明らかだった。


「なんだよ。おいまさか、あの人外どもを治しに来たとでも?」

「もし、そうだと言ったら?」

「ぎゃははっ! なにいってやがる!? お前、頭がおかしいのか?」


 何事かと、ほかの兵士たちも集まってくる。

 俺はあっという間に大柄な兵士たちに取り囲まれた。


「こいつらはなぁ! 生きる価値のないバケモノなんだよ! 勇者様の『種族浄化宣言』を知らねぇのか? 慈悲深い俺たち人間様が、特別に生かしてやってんだ。むしろ感謝してほしいくらいだぜ」


 化け物、か……。


 今虐げられる魔族たちからすれば、どちらがそれにより近いかは明白だ。


 騒ぎに気づき、奴隷のひとり――リザと同じくらいの小さな魔族の女の子が、何事かとこちらを見つめていた。


 兵士が女の子に目を止め、鬼のような形相で詰め寄る。


「おいてめぇ! 勝手にサボってんじゃねっ! 殺されてぇのか……!!」

「ひっ……!?」


 兵士が女の子の胸倉を掴み上げた。

 女の子は苦しげに呻き、小さな足をばたつかせる。兵士が腕を振り上げる。


 拳が振り下ろされる直前、俺は兵士の腕を掴んでいた。


「あぁ……? なんだよ、てめぇ」


 兵士が俺を睨みつけ、一瞬にして剣呑な空気が広がった。


「神官風情が。調子に乗ってんじゃねーぞ!」


 この腕が、誰かを傷つける。

 決して癒してはならぬもの。

 否、今すぐに

 

 そうだ。だから俺は――


「光栄に思え」

「……なに?」

「おまえが、この力で報いを受ける最初の人間だ」


 かつて【キュア】を唱えていたときのように、手のひらに意識を集中させる。


 直後、兵士の右腕が弾けた。



 【???】:対象に命中。効果大。対象の右腕損害。

 


「――――は?」


 兵士が呆然と、肘の先から千切れた腕を眺める。

 俺の頬には、べっとりとその男の血が張り付いていた。


「いぎゃあああああああああああああああ!! うっ、腕っ!? お、俺の腕が……!!」


 突然の惨状に、他の兵士たちも慌てふためく。


「てめぇ……! な、なにをしやがった!?」


 兵士たちが次々と色めき立ち、一斉に剣や槍の刃先を向けた。


 今、俺が詠唱したのは【キュア】ではない。

 魔王の魔力によって変質した、否、した神官の《魔法》――癒しと真逆の現象である、対象を破壊するための《魔法》だ。


「ハハっ……」


 俺は頬をぬぐい、血塗られた自分の手のひらを見つめた。


 魔王が言った通りだ。

 俺のこの手は、もうなにかを癒すためのものではない。

 俺は槍を構える兵士に、手をかざした。


「【オルタ・キュア】」


 次の瞬間、男の身体が内側から爆発した。



 【オルタ・キュア】:対象に命中。効果大。対象死亡。



 今度こそ血の雨が降った。

 頭から肉片と血をかぶり、俺は自分の持つ力をはっきりと確信した。


 もともと俺の【キュア】は、【完全治癒】により効果が強化されている。

 それを反転するとどうなるか。

 これは、対象を完膚なきまでに『壊す』力。

 だからこんな風に――

 

 俺はさらにべつの兵士に手をかざし、その首から上を吹き飛ばした。

 続けざまに残った手足もひとつずつ撃ち砕く。


 驚異的だったのは、威力や照準の精確さだけではない。

 以前は【キュア】を一度唱えただけで、ごっそりと体力と精神を消耗していた。

 だが、今はそれが一切ない。


 魔王は無尽蔵の魔力を持つ。

 つまり今の俺に、魔力切れは起こらない。


 さらに重要なことがもうひとつ。

 人間は、魔物の攻撃や、人間同士による《魔法》の攻撃を防ぐ術は、いくつも編み出してきた。

 だが逆に人間は、自分たちを癒す《魔法》を防ぐ術など有していない。


 人間の身体は、のだ。


 村を占拠していた兵士という兵士すべてが集まり、唸り声をあげて、一斉に俺に斬りかかった。


「【オルタ・キュア】、【オルタ・キュア】、【オルタ・キュア】、【オルタ・キュア】、【オルタ・キュア】、【オルタ・キュア】――【オルタ・キュア】っ……!!」



 【オルタ・キュア】:目標に命中。効果大。目標の頭部破壊。対象死亡。

 【オルタ・キュア】:目標に命中。効果大。目標の上半身を破壊。対象死亡。

 【オルタ・キュア】:目標に命中。効果中。目標の右脚破壊。

 【オルタ・キュア】:目標に命中。効果大。目標の全身を破壊。対象死亡。

  ……



 目の前で、人間が次々と爆発していく。


 距離すら自在だ。俺の視界に入る範囲であれば、【オルタ・キュア】は届いた。


 さきほどから頭のなかに流れ込んでくるこの声がなんなのかも理解できた。これは主に冒険者が用いる【戦闘経験】という《スキル》だ。使うのは初めてだが、確かに状況判断には便利な代物だ。


 人間たちがようやく俺の力を理解したのは、屍の山が築かれてからだった。


 ある者は現実離れした惨状に我を失い、仲間を見捨てて背を向けた。その背中に、俺は容赦なく【オルタ・キュア】を発動した。


 奇妙だった。


 屈強な兵士たちが、脆弱な神官である俺に、指一本触れられない。

 俺は高揚し、満たされていく自分を認識した。


 そうだ……これこそが俺の天職。

 神から授かった、本当の使命。

 誰を傷つけ、悲しみをもたらす屑どもに復讐するという使命なのだ。


 もっと、もっとだ。

 まだ足りない。まるで足りない。

 こんなもので、お前たちの愚かな罪が贖えるはずがない!!


「――れ、レイズっ!」


 切羽詰まったその声で、俺は我に返った。

 いつのまにかシルファが隣にいて、俺の腕をつかんでいた。


「もう……十分……」


 シルファはぎゅっと俺の腕を抱きしめている。

 気づけば、原形を留めた兵士は、もう一人しか残っていなかった。そのひとりも顔面蒼白で腰を抜かし、地面に尿を垂れ流している。戦意喪失どころか、正気を失いかけていた。


 なにをそんなに恐れているのだろう?


 ああ……そうか。

 こいつらは、俺を恐れているのか。


「ゆ、ゆるしてください……。おおっ、お、おねがいです……殺さないで……」


 俺の心が急速に冷めていく。


「もう二度と、魔族を虐げないと誓え。いや魔族だけじゃない、他のだれも」

「ちちっ、誓うっ……! 誓います! だからどうか……」

「いい答えだ」


 俺は口元を緩め、兵士に「行け」と命じた。

 兵士はがくがくと首を縦に振ると、脱兎のごとくその場から逃げ出した。


 俺は魔族の女の子のもとに歩み寄り、手を貸した。

 シルファに女の子を託し、俺は周囲の死体の山を見渡した。


「レイズ、あの人間を逃がしてよかったの?」

「逃がす? なんのことだ」

「え……」

「これ以上、村を奴らの薄汚い血と肉片で汚したくなかっただけだ」


 逃がすことなどありえない。

 俺は振り返り、小さくなった兵士の後ろ姿に向かって手をかざした。


「誓いだと? お前たちの誓いなど、誰が信じるものか」


 きっとこの先、奴らはまた誰かを傷つけるだろう。

 万が一、そうでなかったとしても、これまで犯した罪が消えることはない。

 これまでの罪を、赦すはずがない。


 リザが生き返らないのと同じように。


「【オルタ・キュア】――死で贖え」


 破壊の魔力が遠ざかる兵士を捉え、最後の華が咲き狂った。

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