第13話 戒めの傷痕
なにか最悪のことが起きている。
そう予感せずにはいられなかった。
マリアージュは息を切らしながら司教室に駆け込んだ。
「ゼオラル様! 司教ゼオラル様!」
「これはこれは、聖女マリアージュ様。それほどお慌てになり、いったいどうされたのですかな」
白髭をたくわえたゼオラルが、しわがれた顔に柔和な笑みを浮かべる。
だがマリアージュは気持ちを落ち着かせることなどできなかった。
「大神殿の神官が行方不明というのは、本当なのですか!?」
「……聖女様、どうかお気を静めてくだされ」
「お聞かせください。その方のお名前を」
「その者は……レイズ・アデッドと申します」
途端、視界がぐらついた。
知っていた。
いや、名前だけならば神官だけでなく、この大神殿に勤める修道士ひとりひとりまで知っている。
けれどその名前は、自分には特別の意味を持っていた。
他のだれにも代えられない、特別な――
「レイズ、様が……?」
「……聖女様に隠し事はできませぬな。どうか、落ち着いてお聞きください」
ゼオラル司教は沈痛な面持ちを浮かべた。
「レイズ・アデッド神官は、どうやら魔物に襲われたようなのです。現場には彼と、彼の妹のものと思しき血痕が……」
「そんな……。まさか、それでは……」
「平和のために祈り続けた彼の魂は、健やかに天に召されたことでしょう」
世界が音を立てて崩れていく。
マリアージュはそのただ中で呆然と立ち尽くすしかなかった。
++
聖女マリアージュはその場で体調を崩し、付き人に付き添われて退室した。
彼女が去ってから、司教ゼオラル・キリクは、深々と嘆息した。
すでにこの世から去った、ひとりの神官のことを思い起こす。
若き天才。神官としては惜しい逸材だったが、道を踏み間違えた。
「《七人の勇者》に歯向かうとは、愚かな若造よ……」
△▼
「――それじゃあ、お父さんとレイズが……ひとつになったってこと?」
シルファが魔族たちを代表して俺に聞いた。
「ああ、魔王の【蘇生】は失敗した。だがその代わりに、魔王の心臓が、俺の身体に取り込まれたようだ」
俺はもう一度、自分の胸に語りかけてみた。
だがあの魔王らしき声が返ってくることはない。それでも鼓動は感じる。
レイズ・アデッドという人間と、魔王。どちらかが消えたわけではない。
全身にみなぎる莫大な魔力。
それは人間の、しかもただの神官である俺のものではない。
これは魔王が本来有していた力、その源。
魔王の権能。
あの『声』は、そう言っていた。
「たしかに……レイズから、お父さんの匂いがする」
シルファが俺の胸に寄り添い、すんすんと鼻を鳴らした。
急な密着に俺は内心たじろぎながらも、ほかの魔族の子たちが見ているのもあって、なるべく動揺していないように振る舞った。
「ちょっと見てみる。レイズ、こっちを見て」
この前のときのように、俺はシルファの目を覗き込んだ。
シルファの【魔眼】により、俺自身の情報が頭に流れ込む。
《クラス》
【神官】
【魔王】
《スキル》
【魔王の権能】……魔王に相応しい魔法とスキルを発現する。
《魔法》
【キュア】……回復魔法/属性:光/魔法ランク:Ⅳ/汎用
【フォース】……強化魔法/属性:光/魔法ランク:Ⅳ/汎用
【トリト】……浄化魔法/属性:光/魔法ランク:Ⅳ/汎用
【アウェク】……覚醒魔法/属性:光/魔法ランク:Ⅳ/汎用
【レイザー】……回復魔法/属性:光/魔法ランク:Ⅳ/汎用
【シフト】……転移魔法/属性:無/魔法ランク:Ⅳ/汎用
俺の持っていた神官としての《スキル》が、すべて消えていた。
その代わりに、たったひとつだけ、【魔王の権能】が追加されている。
「やっぱり、レイズは【魔王】を受け継いでる」
「そのようだ。だが、《魔法》は元々持っていた神官のものと変わってないな」
「たぶん、レイズは魔王になったわけじゃなく、その性質を受け継いだだけ。だから姿も人間のままだし、これまで通り神官の《魔法》も使える。それに……もしかしたらレイズはまだ、自分の能力を自覚していないのかもしれない」
「……なるほどな」
たしかに
シルファはすこし残念そうに、しかしどこか嬉しそうに微笑んだ。
「だからレイズのことは、これからもレイズって呼ぶ」
「ああ、そうしてくれ」
「そういえば……顔の傷は、治さないの?」
「……これか」
俺は自分の頬をなぞる。
この顔の火傷痕だけは、あえてそのままにしていた。
「いいんだ。このままで」
この傷痕は、戒めだ。
リザが受けた苦しみを、この憎しみを、永遠に忘れないための。
「し、シルファ様!」
突然だった。魔族の男の子がシルファを名を呼んだ。
小さな子だらけの隠れ里では、シルファの次くらいに年長の子だ。
「どうしたの」
「ウルガの村が……人間の兵士たちに襲われたって……!」
シルファの顔色が変わった。
「村……?」
「ここと同じ、魔族の隠れ里。レイズはここにいて。わたしが、なんとかする」
「なんとか、だと? 魔族の王女であるシルファが人間の前に姿を見せて、無事に済むと思うのか」
「わかってる。でも、みんなを助けないと」
シルファは毅然として言い放った。声は震えてもいない。
それが彼女の魔族の王女たる器を示していた。
だが、その勇気はもはや不要だ。
なぜなら今ここには、俺がいるのだから。
「俺が行く。その村まで案内してくれ」
「レイズ……」
「ちょうどいい。人間相手なら、俺のほうがよくわかっている」
それは偽りではない。
奴らがどれほど邪悪で、生きる価値に値しない存在なのかを、俺はだれよりも知っている。
だから俺の取るべき道は、たったひとつしかありえなかった。
俺の復讐は、もう始まっている。
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