第12話 継承

 隠れ里の中央に祭壇が設けられた。


 そこに魔王の心臓を奉り、俺は祭壇の前でひざまずいた。

 シルファと魔族の子供たちが、俺をじっと見つめている。


「じゃあ、やるぞ」


 俺は魔王の心臓に手をかざし、目を閉じて集中すると、大きく息を吸った。

 蘇生魔法【レイザー】の呪文を詠唱する。


「……天に在りし我らの父なり母なる神よ。敬虔なる汝の子らは、道半ばで命尽き果てた。我らの父なり母なる神よ。勇猛なる汝の子の魂を、今一度この肉体に呼び戻し給え」


 しんっ、と辺りが静まり返った。


 だが――なにも起こらない。


 やはり……失敗か。


 禁忌というのは、無意味な行為であるという大神殿の戒めだったのかもしれない。

 何人であれ、死者は生き返ってはいけない、ということなのか。


 シルファたちに対して期待を裏切った罪悪感と、奴らに一矢報いることもできない歯がゆさがない交ぜになる。


 どれくらい俯いていたのだろうか。

 なにかがおかしい、と俺はようやく気づいた。


 周囲があまりに静か過ぎる。

 どうして誰も、俺に声をかけないのか?


 目を開くと、そこは完全なる暗闇だった。


「えっ……――」


 慌てて辺りを見渡す。シルファの姿も魔族も、だれもいない。

 それどころか、空も地面すらない。闇であり虚空。

 さらに、俺はとんでもないことに気づく。


 俺の手も足も顔も、俺の肉体そのものすら、そこには存在しなかった。


 ここは、どこなのか。


 死後の世界? 俺は……死んだのか?

 魔王の蘇生という禁忌を犯そうとした、これが報いなのだろうか。



 ――人間 よ



 だれかの声がした。

 意識だけの存在になった俺は、声も発する喉も舌もないまま答える。

 なぜか俺は、その声の主が何者なのかを知っていた。



 おまえが……魔王?



 ――我が 肉体は 朽ちた  器と 共に 力は 失われた



 ――力を 収める 器が 失われた



 それは……蘇生が成功して肉体を取り戻しても、意味がないということか?



 ――器が 要る 正しき 器が



 ――器とは 人間  聖なる 者



 器……? 人間……?

 この声がなにを言っているのか、その言葉が本当に魔王のものなのか。

 それともすべては、とっくに死んでいる俺が見ている幻なのか、それすらも確かめる術はなかった。



 ――全ては 器 のために



 ――魔王の 権能 を 継承 せよ



 ――魔王の 全て を 受け入れよ



 魔王の力を、俺が?

 あまりにも荒唐無稽だ。


 それに文字通り、今の俺にはなにもない。

 健全な肉体も、願いも、生きる意味さえも。


 ――本当にそうだろうか?


 本当に俺は、なにも求めてはいないのか。


 ちがう。嘘だ。嘘をつくな。

 俺が本当に欲しているものはなんだ。

 答えろ。


 俺が希うもの、それは――


《七人の勇者》に復讐すること。


 リザを殺したあの女に。

 それを計画した《七人の勇者》全員に。


 憎い、憎い、憎い……憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い……!!


 絶対に許すものか。

 俺は奴らに、リザが受けた痛みと苦しみを味合わせる。

 この世界で叶いうる最大無限の地獄を、未来永劫味与え続けてやる。

 


 ――承認 した 



 ――汝の手は 癒さない 汝の手は 滅する 汝の手は 狂わす



 ――その手で 世界を 破壊し 創造 せよ



 暗黒の虚無は終わりを告げ、俺の目は一筋の光を感じ取った。


      △▼


「――ず、レイズっ! どうしたの? へいき……?」


カッと目を見開いた。


 いつかのように、シルファが俺を心配そうに見下ろしていた。

 俺はいつのまにか仰向けに倒れていた。意識を失っていたらしい。魔族の子供たちも集まっていた。


 ぞくりと、と怖気がした。


 祭壇の上から、魔王の心臓がなくなっていた。

 おそるおそる、俺は自分の胸元を見下ろす。


 本来は俺のそれがあるべき場所に、あの結晶体の心臓が埋め込まれていた。


 ドクンっ、ドクンっと、はっきりと鼓動を刻んでいる。

 それは俺の心臓と重なって……いや、ちがう。

 


 途端、五感すべてに強烈な違和感が走る。


 さきほどまで身体中を蝕んでいた火傷による痛みを、一切感じなかった。

 手や腕を見ると、爛れきっていたはずの傷が綺麗に消えていた。


 それだけではない。身体が異様に軽い。さらに頭上に見える曇天、その間を飛ぶ鳥の羽毛ひとつまではっきりと視認できる。はるか地平の先の家畜の鳴き声まで、手に取るように聞き取ることができた。


 まるで別人に生まれ変わったような感覚。

 だが思考も記憶も、かつてないほどはっきりと覚醒している。


 ああ、そうか……。


 その瞬間、俺はすべてを理解した。

 ただの神官だった俺が、いったい何者に変貌を遂げたのかを。


「……ククッ……」


 身体の奥底から無限の生命力と万能感が、とめどなく沸き上がる。

 俺は恍惚としたその感覚に身を委ねた。


「ハハハッ!! アハハハハハハハハはははははははははははっっっ……!!!! アハハハッハハハハハハハっ!!!」


 片手で顔を覆い、天を仰いだ。

 大気に響き渡る哄笑は、俺が発しているものだった。

 だが止められない。止める必要もない。


 不思議だった。

 なぜこんなにも悲しいのに、俺は嗤っているのだろうか?

 なぜ俺は笑っているのに、こんなにも哀しいのだろうか?


 たぶんどちらかが本物の俺で、どちらかはこの心臓の持ち主だからだ。

 どちらでも構わない。

 なぜなら俺たちは、もうひとつになっているのだから。


「レイ、ズ……?」


 呆然と立ち尽くすシルファに、俺は言った。


「俺は《七人の勇者》に復讐する」


 これは、最愛のリザへの約束だ。


「俺はリザを殺した勇者どもに報いを与える。いや……奴らだけじゃない。勇者たちに従う愚かな人間すべてに」


 この癒しの手で、忌まわしき不条理を破壊しよう。

 この救いの手で、赦されざる罪人を粛清しよう。


 神がやらぬのなら――俺がやる。


 魔族の地の底で、俺はただひたすらに嗤い続けた。この世界の果てまで、生きとし生ける者すべてにこの悦びが、届くようにと。

 俺はようやく気づいていた。

 とても簡単な事実に。

 あの夜、この手で愚かな人間を殴り殺した瞬間から、とっくに――



 俺はもう、を歩き出しているのだ。


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