第11話 運命の選択
シルファは彼女が目にしたものを、すべて鮮明に語ってくれた。
あの日、魔族の総本山であり最後の砦である魔王城に、《七人の勇者》が攻め込んできたこと。
魔王に数百年仕え続けた豪傑たちが、次々と勇者を迎え撃ち、斃れていったこと。
シルファが父親である魔王の命令により、幼い子供たちとともに身を隠したこと。
だが巨大な地響きとともに魔王城は崩壊し、父親の姿も、頼るべき仲間たちの姿も消えていたこと。
瓦礫の中から唯一見つけられたものが、この結晶化した魔王の心臓だったこと。
すべてを聞き終えたとき、俺のなかに生じたのは《七人の勇者》への恐怖と、シルファたち魔族への憐憫だった。
だがそうであっても、彼女の願いを叶えることとは別問題だった。
「絶対に無理だ」
俺は迷わずそう答えた。
「魔王を蘇生するなんて、俺にできるはずがない」
「どうして? レイズは蘇生の《魔法》を使えるんでしょ?」
シルファはあどけなさの残る無垢な表情で、俺にすがった。
けれどその期待に応えるほどの力は俺にはない。
「前例がないんだ。人間が《魔法》を使って魔族を癒すことは、固く禁じられている。それは、決して犯してはならない禁忌なんだ」
俺は神官になる前、大神殿で教わったことを思い返した。
人間は、人間以外の生命を癒してはならない。それは神の教えに反する行為だと。
特に人間が魔族を癒すことは、神を冒涜する最大の禁忌である、と。
しかもシルファの願いは、あろうことか、その魔族の頂点に君臨する魔王だ。
静謐に脈打つこの結晶化した心臓には、かすかに生命の鼓動が感じられる。
肉体のほぼすべてを失っても、魔王は死んではいない。
魔王が不滅であるというのは、決して大げさな御伽噺ではなかったのだ。
仮に禁忌がなかったとしても、蘇生の【レイザー】は肉体の大部分が残っていなければ発動しない。土台、無理な願いだった。
「すまない。でも、俺にはどうしようも……」
「お父さんは……戦う力は、もうほとんど残っていなかった」
シルファがこぼした言葉に、俺は耳を疑った。
「今……なんて?」
「魔王とは、無尽蔵の魔力を持つ者のこと。だからお父さんは、千年以上生き続けた。だけど、もう地上を支配していた頃の力は、ほんの一欠片しか残っていなかった」
「そんな……まさか」
「本当のこと。魔族にも、肉体の衰えはある。それは魔王であっても、同じ。それでも、お父さんは魔族のみんなのために、戦い続けた。でも一部の人間は、勇者はそれに気づいていた。だから攻め込んできた」
「それじゃ……。もし魔王が、本来の力を維持していたら……」
「人間の勇者なんかには、絶対負けない」
驚愕の連続だった。俺は言葉も出ない。
魔王と勇者、魔王と人間の戦いの裏に、そんな真実が隠されていたなんて。
「お願い……お父さんを、生き返らせて。わたしにできることなら、なんでもする。わたしの全部を、レイズに捧げる」
「どうして……そこまで」
「だって、わたしを救ってくれたのはレイズだから」
シルファが俺をじっと見つめた。
その瞳に映る俺は、あの夜、血まみれの手で人間を殺した俺自身だった。
「それだけじゃない。わたしは、魔王の娘だから。魔族のみんなを守る責任がある。でも……わたしには、その力がない。勇者には、勝てない……」
シルファはうつむき、細い腕で自分の身体を抱いた。
その肩は震えていた。
シルファは魔王城に攻め入った《七人の勇者》と遭遇している。
いったい、どれほどの恐怖と絶望だったのだろうか。
伝説の勇者、ディーン・ストライア。
伝説の魔法使い、イオナ・ヴァーンダイン。
伝説の戦士、ギンカ・ブルアクス。
伝説の武闘家、フェイ・リーレイ。
伝説の狩人、ヒサメ・クウガ。
伝説の錬金術師、アリシャ・ミスリル。
そして伝説の賢者、メビウス。
俺にはシルファの恐怖が、そして怒りと憎しみが、痛いほどわかった。
奇しくもここにいる俺たちは、勇者によって家族を奪われたふたりだ。
世界は……これからどうなっていくのだろう。
ディーン・ストライアを筆頭とする《七人の勇者》の目的は、世界を作り変えることだ。
自分たちが望む通りに。自分たちが世界の覇者となるために。
『種族浄化宣言』は、そのための方便に過ぎない。
だが世界を救った《七人の勇者》に、誰が逆らう? 誰が逆らえる?
不要な存在は、陰で握り潰されるだけだ。
俺と、リザのように。
力なき者は圧倒的な理不尽を前に、ただ蹂躙されるしかない。
それに抗う方法は、より大きな力で覆すことだけだ。
「魔王の……力」
呟いた俺は、自分が狂気に足を踏み出していることを感じた。
まさか本当に、魔王の蘇生を試みようというのか。馬鹿げている。
だが、もしもそれが叶うのならば。
「……シルファ、かつての魔王は、勇者たちを超える力を持っていた。そうだな?」
「超える、というのはちょっとちがう」
「どうしてだ?」
「だって、比べる必要もないから」
そのとき俺のなかに生じた感情は、なんだったのだろうか。
希望か、あるいは破滅願望か。
もし全盛期の魔王が蘇ったのなら、きっと勇者に対抗する切り札になる。
どのみち俺にはもう生きる意味もない。俺の命ひとつでそれが適うならば、俺は進んでこの肉体も魂すらも捧げ、地獄へと墜ちよう。
けれど……俺の本当の望みは――
自分の中に生じた恐ろしい考えを、俺はすぐに振り払った。
シルファがすこしでも救われるのなら、それでいい。それで十分だ。
「成功の見込みは、限りなく低い。……だが、やってみよう」
俺はシルファから、魔王の心臓を受け取った。
その手触りは冷たく、ずしりと重い。
その重みには、世界の命運が託されているのかもしれなかった。
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