第7話 煉獄の魔女

 真夜中に突然目が覚めた。


 その日、俺は家に帰ってリザと魔族の子の三人で一緒に夕食をとり、それから寝床についた。昼間、王城でいろいろなことがあったせいで疲れていたし、すぐに寝入ったはずなのに、なぜか目が冴えていた。


「リザ……?」


 俺は起き上がり、となりのベッドで眠るリザを見た。

 穏やかな寝息を立てている。いつもとなにも変わらない。

 

 だが落ち着かない。

 ひどく胸がざわついた。

 気づけば背中にべっとりと冷や汗をかいていた。こんなことは初めてだ。


 俺はランタンに火をつけると、リザの身体をゆすった。


「リザ、起きて」

「……んっ……おにいちゃん……? ぅん……どうしたの……? まだ、おひさま出てないよ?」

「ごめん。ただなにか……変なんだ」


 まるで悪い夢を見た子供みたいに、曖昧な説明しかできなかった。

 自分でもおかしいと思っている。


 いつもと同じ、静かな夜。

 森の木々のさざめき。かすか虫の音。聞こえるのはそれだけだ。

 窓からは月明りが差し込んでいる。


 なにげなく、俺はそちらを見上げた。

 まさかそれが、生死を左右するとも知らずに。


 窓が粉々に砕け散った。


「リザっ!!」


 俺はそれよりわずかに早くリザを抱きしめ、床に身を投げていた。

 窓から大量の黒い刃が降り注ぎ、寝床を串刺しにした。


 目を見張る。

 あまりの出来事に声も出ない。リザも同じだった。

 ただ、ここにいたら命が危うい。俺はそれだけを理解し、強引にリザの手を引いて着の身のまま部屋を飛び出した。


「なにっ、なんなのおにいちゃんっ……!?」

「リザ! 頭を上げるな!」


 どこから投擲されているのか、床や天井に次々と刃が突き刺さる。俺はリザを抱き寄せながら必死に走り、家の裏口から飛び出した。


 なんだこれは。

 いったい、なにが起きている。

 あの刃は? 俺らを殺そうとしている? なぜ?

 なにもわからないまま、俺はとにかく納屋に駆け寄り戸を開いた。


 魔族の子が、自分からここが落ち着くと言って寝床にしていた場所だ。

 だが、あの子の姿はなかった。


 どこに行った?

 ひとりで先に逃げ出したのだろうか。それとも、だれか村の人間に見つかって――


「さすが天才神官ね。幸運も持ち合わせているのかしら?」


 正面から聞こえた声に、俺はゆっくりと背後を振り返った。

 そこにいた人影に、目を見張る。


「イオナ……様……?」


 つばの大きな三角系のとんがり帽子に、紅いローブ。ゆるやかに波打つ紅蓮色の髪が、大きく開かれた胸元をきらびやかに飾っている。

 イオナ様が暗がりのなかに立っていた。

 幻……ではない。間違いなく本物だ。

 一瞬、俺の胸には安堵がよぎった。理由はわからないが、伝説の魔法使いが、ここにいる。自分たちを助けに来てくれたのだと思ったからだ。


 だが、ちがった。


「あなたが探しているのは……ひょっとして、これ?」


 そう言って、イオナ様は手のひらに乗せたなにかを差し出した。


 ぽたぽたと血が滴り落ちる白い球体。

 それは、眼球だった。

 なんの生き物の? いや、いったい誰の――


 眼球の瞳が人間とは違う赤い色をしていることに、俺はようやく気づいた。


「まさか……」


 複数の足音がした。周囲を見渡すと、闇に紛れる黒衣に身を包んだ者たちが俺とリザを取り囲んでいた。その手には、黒塗りの投擲用短剣が握られている。


「イオナ様……これは、いったい……」

「そう驚かないで。《七人の勇者》のひとりとして、

 邪悪な魔族を一匹、浄化してあげただけよ」

「……!!」

「まぁ、どうでもいいじゃない。

 それより、あたしはあなたに会いに来たのよ、神官。

 えっと……?」


 なぜかそのときになって、俺は初めて気づいた。

 イオナ様から名前を確認されるのは、一度や二度ではないことを。

 彼女が俺を、人間としても見ていないということを。


「あなたには、これまでよく助けてもらったわね。本当に感謝しているわ。だから今日だって、わざわざあなたの話聞いてあげたのよ? でも……運が悪かったわね」


「な、なにが……」

「あれを見たんでしょう」


 どくんっ、と心臓が跳ねた。


「せっかく魔王を倒して、この世界を理想のものにできるのに……。あなたみたいに余計なことを知る人間がいると、困るのよね」

「世界、を……?」


 あのとき、俺に流れ込んできた記憶。そこに映ったディーン様の言葉が蘇る。


 ――世界の半分だと? はっ、笑わせる。


 ――俺たち七人が、この世界の覇者となる。


 ――そして俺たちは、世界を一度白紙に戻す。


 あの言葉は、決して幻聴などではない。

 勇者様たちの本当の目的を、俺は知ってしまった……?


 真偽は不明だった。今の俺が理解できるのは、たったひとつの事実だけ。

 目の前にいるイオナ様が、味方ではないということ。


 この黒衣の暗殺者たちと同じく、俺とリザを、殺そうとしていることを。

 それに気づいてもなお、俺は信じられずにいた。信じたくなどなかった。


「あっ……あのときのお言葉は、偽りだったのですか!?」

「嘘じゃないわ。あれからわざわざ七人を集めて、ちゃ~んと話し合ったんだから。その結果、あたしが立候補することにしたの。あなたを処分する役に、ね」


 愕然とした。

 カチカチと歯の根がかみ合わない。全身の震えが止まらない。


「イオナさま……なの?」


 リザはまだ状況が理解できていないのか、ぽかんとした表情でイオナ様を見つめた。

 顔を合わせるのはこれが初めてだ。

 憧れの人とこんな形で出会うなど、だれが想像できるだろうか。


「ねぇ、そこの可愛らしいお嬢さん。《魔法》は、好き?」

「う、うん。好き……」

「そう、それはよかったわ! じゃあ特別に、綺麗なものを見せてあげる。あたしが自分で創り上げた、オリジナルの《魔法》よ」


 イオナ様が俺らに向けて手をかざした。

 途端、リザの身体が空中に浮かび上がった。


「リザっ……!」


 俺は咄嗟に手を伸ばしたが、指先をかすめただけで、あとすこしで届かなかった。


 リザが突然の事態に悲鳴を上げ、泣き叫ぶ。

 イオナ様はそれを愉快げに見上げている。


 血の気が引いた。

 いったい、なにをするつもりだ。


「さあ、怖がらないで……見せてあげるから。一番近い……特等席でね」

「やめてくださいっ! イオナ様ぁ!!」


 イオナ様の手のひらに集まった光が、リザに向かって放たれた。


 虹色の炎が、リザの全身を喰らい尽くした。



「ぃぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」



 獣のような悲鳴が闇を裂く。

 それがリザの喉から発せられているいうことが、

 俺には永遠に、理解できなかった。


 鮮やかな色彩を帯びた紅蓮の炎は、夜空に咲く花のようだった。


「どう、綺麗でしょう? あ、安心してね、死ぬまではけっこう時間がかかるの。

 だって、それがあたしの《魔法》の特徴だから」


「リザ…………り、リザ……――」


 俺は頭上のリザに向け、届かない手を伸ばす。


「あたしの《魔法》はね、べつに魔王を殺すために極めたわけじゃないのよ。あたしの興味は、相手に。そういう面白いことに費やさないと、あたしの素晴らしい才能が勿体ないでしょう?」


 途切れることのない悲鳴が、ついに大きな破裂音にかき消された。


 爆炎とともにリザの身体が四方に弾け、白い灰になって飛び散った。


 俺の手が掴み取れたものはなかった。

 リザの、ほんの一片すらも。


「じゃあね、神官。あんたも仲良く、灰になりなさい」


 直後、イオナの放った《魔法》による業火が視界を覆った。


「ぐぁあああああああ……!!」


 突如として襲いかかった超高熱の炎に、一切の思考が塗りつぶされる。

 俺は絶叫し、のうたち周りながら近くの草むらに倒れこんだ。


「い、癒しのご加護よ――!」


 短縮呪文で回復魔法【キュア】を発動。


 治癒の光が全身を包み、かろうじて炎の勢いを弱める。

 俺は全身を地面にこすりつながら、なんとか火を押し消した。

 猛熱と激痛をこらえ、闇夜に紛れて走り出す。


 背後からイオナの叫び声が聞こえ、俺は無我夢中で木々の間へと逃げ込んだ。

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