第6話 魔窟の記憶

「お願いです。どうか《七人の勇者》様に謁見を!」


 グランダレム城。

 王都の中央にそびえ立つ絢爛豪華な王城。

 俺はその巨大な正門を前にしていた。

 

 こうしてもう何時間も、無謀ともいえる嘆願の声を上げ続けている。

 屈強な門兵たちが立ちふさがり、俺を押し返した。


「しつこいぞ貴様! いち神官がなにを言うか!」

「お願いです! 一度だけで構いません! どうか……」


 俺の脳裏には、これまでの旅をともに支えてきた間の、勇者様たちの朗らかな笑顔が受かんでいた。そのお言葉の真意を、どうしても直接この目と耳で確かめたかった。

 けれど、今や英雄である《七人の勇者》様に、俺のようなただの神官が軽々と会えるはずもない。

 

 いよいよ諦めかけたときだった。


 べつの兵士が足早にやって来て、門兵になにかを囁いた。

 すると彼らは態度をがらりと変えた。


「おい、貴様。特別に謁見の許可が下りた。城の者が案内する。付いて来い」

「ほ……本当ですか?」


 耳を疑った。これはきっと、神のお導きにちがいない。


 俺は王城内に導かれ、『英雄の間』に入ることを許された。



      △▼



「顔を上げてくれ、神官」


 最高級の大理石の床にひざまずいていた俺に、聞き覚えのある声がかけられた。


 俺はゆっくりと顏を上げた。


 伝説の勇者、ディーン・ストライア様が、玉座のような椅子に腰掛け、俺に穏やかな視線を向けていた。さらにその隣にはイオナ様の姿もあった。


《七人の勇者》のひとりであり、伝説の魔法使い。

 美麗で高貴なお姿は、この王城でより一層磨きがかかっていた。

 これまで神官として彼らの治癒や蘇生に従事してきたとはいえ、恐れ多い存在だ。


「早速だが、俺たちに聞きたいこととは、いったいなにかな?」

「はっ……。『種族浄化』のお言葉について、です」


 勇者様がすっと目を細める。


「俺はただの神官であり、まつりごとには詳しくはありません。ですが、『種族浄化』によって異種族を根絶やしにすることは……本当に、必要なことなのでしょうか?」

「これはまた……ずいぶんと大胆な質問だな」

「無礼は、重々承知しています」


「まさか魔族たちと許し合い、手を取り合う道もある、と?」

「……わかりません。ですが、それを探る時間は、あってもよいのではないでしょうか?」


 俺は緊張で声が震えるのを感じながら、必死に自分を鼓舞した。


「これ以上の憎しみを増やすことが平和をもたらすとは、俺にはどうしても……」

「へぇ……神官さんは、そういうことを考えていたのね」


 イオナ様はコツコツと踵を鳴らし、俺のほう歩み寄る。


「あなたには、何度も傷を癒してもらったわね。その恩があるからこそ言うのだけど、あなたは魔族の恐ろしさを十分にわかっていないのだと思う。

 もちろん、戦場に立ったことない神官なのだから、仕方ないけれど」

「そ、それは……!」


 俺は反論の言葉をぐっと飲み込んだ。

 事実だからだ。


「大丈夫、あたしたちに任せて。これから世界は、きっとよくなる。そう、まさに理想の世界が訪れるの。だから……安心してちょうだい」


 イオナ様は慈悲深い笑みを浮かべ、俺に肩にそっと手を置かれた。

 その瞬間だった。


 俺のなかに、大量の記憶が流れ込んできた。



      △▼



 それは景色であり音であり匂いであり感触であり、あるいは知識であり感情だった。


 いつかのリザのときと同じ、記憶の伝播だ。


 これまで勇者様たちを何度も癒してきたが、これが生じたのは初めてだった。

 それもあって、俺は自分が見ているものがなんなのか、すぐには理解できない。


 そこは魔窟だった。


 暗黒に覆われた空。険しく荒廃した大地。轟く雷鳴と、ただよう死臭。

 周囲にあるのは、無数の魔物たちの死骸。生々しい戦いの痕跡。


 まさしくイオナ様が指摘した、俺の知らない戦場の景色。

 魔王との最終決戦の光景だ。


 だが……これは、いったいなんだ?


 悪鬼のごとく、逃げ惑う魔族の民を屠っていく、《七人の勇者》の姿。


 場面が切り替わり、ディーン様の前は、巨大な玉座の前に立っていた。あのとき民衆の前で掲げた聖剣を、玉座に座る者に向けている。


 それが何者なのか、感覚まで共有されていたため、はっきりとわかった。

 人間に近しい姿を持ちながら、人間とはかけ離れた存在。

 無尽蔵の魔力と無限の軍勢を有し、この世界に君臨し続けた覇者。


 あれは、あれこそが――魔王だ。



 ――魔王■■■■■。俺たち人間の勝利だ 

 


 ――その通りだ。勇者ディーン・ストライアよ。

 


 ――……だが決着ならば、からついていたはずだ。

   和平の使者を、汝はいったい何人殺した?



 ――さあ? そんなものは憶えていないさ。

   なにせ、俺は勇者として魔族を狩るのに必死だったからな。



 ――先代の勇者を殺したのも、汝か



 ――おいおい、それは間違った史実だな。

   先代の勇者は、魔王との戦いの中で非業の死を遂げたことになってる。



 ――……無残な



 ――魔王からそんな言葉を聞けるとは、長生きはするものだな。

 


 ――人魔の戦いの和解まで、あとわずかまで来ていた



 ――そんなこと俺たちには関係ない。

そもそも数百年前の貴様と、当時の人間たちが勝手に始めた戦いだ。

なら俺たちも、好きにやらせてもらう権利がある。そうだろう?



――かつての人間は、純粋に生存のため、互いの覇権を争った

だが、汝はちがうようだな



――年寄りの無駄話なんて聞きたくはないな。

   さて……それじゃあ、交渉といこうか。



 ――貴様たちは、こちらになにを提供する?



 ――我ら魔族は、闇に退く。そして人間には、光の大地を差し出す



 ――それは……自分たちは地下に潜り、地上はすべて人間に明け渡すということか?



 ――相違ない。人間には地上を、我らには地下を

   世界の半分を、そなたたちに譲ろう



 ――世界の半分……ね。はっ、笑わせる。



 ――なに……?



 ――すべてを俺たちがもらってやるよ。

   ただ、この世界には不要なものが多すぎる。真に完璧な世界のために、

   まずはを、綺麗に排除しなければな。



 ――汝は、一体……



 ――俺たち七人が、この世界の覇者となる。

 

 

 魔王の玉座の前で、ディーン・ストライアが聖剣を振り上げる。

 禍々しい狂気の笑みを浮かべて。



 ――そして俺たちは、



 ぶつり、と記憶が途切れた。


      △▼


 意識を取り戻し、俺は驚きのあまりその場に尻をつき、後ずさった。


 イオナ様が怪訝な表情で俺を見つめている。

 時間でいえばほんの一瞬だったのに、長旅を終えたような疲労感が全身に押し寄せていた。


 今のは、ディーン様と魔王の会話の記憶だ。


 だが理解が追い付かなかった。わからないことだらけだ。

 魔王が口にした、十年前にすでに戦いが終わっていたとはどういうことだ?

 それにディーン様が口にした最後の言葉。


 世界を一度白紙に戻す――

 いったいあれは、どういう意味だろうか?


「あなた……今、なにか見た?」

「い、いえ……俺はなにも……」


 俺は咄嗟に嘘をついた。理由は自分でもわからない。

 いずれにせよ記憶の伝播は基本的に曖昧なもので、それでなにかがわかるわけではない。あくまで《魔法》の副作用であり、夢のようなものだ。


「ふぅん……そう」


 イオナ様がディーン様に目配せをする。

 だが俺は動揺していて、それを深く気にする余裕もなかった。


「……なるほど。君の気持ちはよくわかった。正直なところ……実に深い感銘を受けたよ。ありがとう」


 ディーン様が穏やかな口調で言った。

 俺は思わず耳を疑った。


「そ、それでは……!」

「ああ。たしかに、すべてを根絶するという考えは、誤りなのかもしれない。改めて《七人の勇者》全員で検討し、国王様に進言してみよう」

「あ、ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます!!」


 俺は床に額をこすりつけ、心の底から感謝の意を伝えた。

 涙がにじむほど俺は安堵していた。


 なけなしの勇気をふり絞ったことは、決して間違っていなかった。

 これできっと、本当に穏やかな日々が訪れるはずだ。


 あの魔族の子が、そしてリザが、安心して暮らしていける世界が。

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