第5話 異種族弾圧

 大神殿の前を、長い軍隊の列が通り過ぎていく。

 

 物々しい兵士たちの一団が軍靴を鳴らす音を、俺は神殿に訪れた人々の傷を癒しながら聞いていた。


「遠征軍が返ってきたぞ!」


 王都に暮らす人々が、兵士たちのもとに集う。

 彼らの視線は、剥き出しになった馬車の荷台に向けられている。


 そこに鎖で繋がれた人々がいた。


 ぼろぼろの衣服をまとい、血や土で汚れきったその体躯は、一見すれば辺境の地にいる奴隷のような姿。だが人間の奴隷ではない。


 彼らの頭には、ねじくれた角が生えている。

 魔族だ。


 だが共通点はそれだけで、鎖で拘束されているのは、男も女も老人も子供さえもいた。

 それらに憎悪の視線を向けるのは、ごく普通に暮らす王都の人々だ。

 平然と罵声を浴びせ、石を投げる。

 魔族たちはなすすべもなくそれを受け、なかには気絶し倒れる者もいた。


「――おい、魔族がこっちに逃げたらしいぞ!」


 突然、神殿内の修道士が叫んだ。


 その場にいた誰もが色めき立ち、騒ぎ立てている。

 俺は何事かと神殿の表へと出た。


 遠くで兵士たちが剣を抜いているのが見える。

 道端で騒然とする人込みのなかで立ち尽くしているとき、誰かの悲鳴が上がった。


 振り返った俺は、どすんと衝撃を受けた。


「うっ……!」


 呻いたのは俺ではない。

 やせ細った魔族の少年だった。


 顔は痛ましく腫れ上がり、剥き出しの手足は血で汚れている。

その少年の赤い瞳が、俺にすがるようなまなざしを向けている。


「た、助けて……ください……」


 俺の喉は凍りつき、身動きひとつ取れない。

 選択の時間はほんのすこししかなかった。


 すぐに兵士たちが駆け寄ってきて、魔族の少年を乱暴に地面に押し倒した。


「これは神官様。汚らわしい魔族を捕まえていただき、感謝いたします」


 兵士は安堵の笑みを浮かべ、しごく真面目に言った。兵士は少年の髪を掴み上げると、すぐに鉄の首輪を巻きつけ、連行する。俺は慌てて兵士を呼び止めた。


「……あ、あの!」

「なんでしょう?」

「その子供の……いえ、その魔族は、これからどうなるのでしょうか?」

「もちろん、平和のために浄化いたします」


 浄化。

 それは処刑を意味する言葉にほかならない。


 愕然とする俺の前から、魔族の少年が連れ去られていく。

 それを俺は、ただ茫然と眺めるしかなかった。


 ふと自分の手をみつめる。

 そこに、さきほどの少年のものと思しき血が付着していた。


 赤い血。


 それは俺たち人間と同じ色をしていた。


 大いなる疑問を抱いた。

 これが本当に、平和を実現するための行為なのだろうか?

 リザと同じくらいのあの子が、俺たち人間の望む平和に、いったいどんな災いをもたらすというのか。俺にはわからない。


 その日抱いた俺の疑念は、それからも拭えることはなく、むしろ日に日に大きくなっていくばかりだった。


     △▼


 その日、リザは珍しく陽も沈んだ時間帯に、家に帰ってきた。


「リザ、遅かったじゃないか。どうしたんだ?」

「う、うん。ごめんなさい……」

「いや……べつに怒ってるわけじゃないけど。もしかして、この前言ってた友達と遊んでいたのか?」

「えっ――あ、えっと……」


 リザは俺から目をそらし、落ち着きなく指を絡めた。

 隠しごとをしているときのリザの癖だった。ただ、どこか様子がおかしい。

 俺はひざをつき、リザと目線を合わせた。


「どうしたんだ?」

「な、なんでもない……」

「なにか困ったことがあったら、素直に言って。どんなことでも、どんなときでも、俺はリザの味方だから」

「……ほんとうに、ほんとうに、どんなことでも……?」

「ああ」


 しばらくリザは俯いていたが、やがてゆっくりと手を上げた。

 リザは家の外を指さしていた。そこになにかがあるらしい。

 俺はリザと一緒にそこに向かった。家の裏手にある納屋だった。


 だがそこで見た者は、俺の予想を遥かに超えるものだった。


「ひっ……!」


 納屋のなかの藁に隠れるように、見知らぬ女の子が身を縮めていた。


 年頃はリザと同じか、少し下くらいだろうか。

 青ざめ、怯えきった顔で俺を凝視している。

 それがただの人間の女の子であれば、俺もこれほど動揺はしない。


 その子の肌が青白く、赤い瞳を持ち、頭からねじくれた角が生えていなければ。


「魔族の、子……」

「ちっ、ちがうの! この子は、リザのお友達だよ!」


 リザはその子をかばうように、俺にすがりついた。


「いったい、どこで……」

「この近くの森のなかで……。すごく、お腹を空かせてたから……」


 魔物と同様に、人間が魔族と出くわすことは決して低い確率ではない。彼らは普段、人間の手の及ばぬ土地で暮らしている。本来なら無暗にそれを超えようとはしないが、不用心な魔族の子供との遭遇なら、俺は小さい頃に経験はあった。


 だが、今は状況がちがう。


「もう何日もごはん食べてないみたいで……だから……」

「ここに、匿っていたのか」

「だまってて、ごめんなさい……。でも、この子はわるくないの!」

「リザ、それは……」


 どうすればいいのか、俺はすぐに判断できなかった。

 

 そのときだった。

 急にあたりが騒がしくなった。


 見ると、手提げのランタンと武器を持った持った男たちの集団が、なにやら騒ぎながらこちらに近づいてきていた。


「――魔族を目撃したというのは、こちらの村か!」

「あれは、自警団……。リザ、その子を隠して!」


 俺は咄嗟に、その子に藁を被せて納屋の奥に押し込んだ。

 自警団の男たちが、こちらを見つけて近づいてくる。


「おい、ここでなにをしている?」

「いえ……ここは俺の家です。ちょっと、納屋の片づけを……」

「そうか。しかし、こんな日も沈んだ時間にか?」

「それは……」


 すると俺の後ろに隠れていたリザが、急に泣き顔で叫んだ。


「お、お兄ちゃんがいけないんだよ! リザの嫌いなものご飯に入れるから! もうずっと納屋から出ていかないから!」


 俺は一瞬面食らったが、すぐにリザに合わせた。


「こ……こら、いい加減にしなさい! みっともないだろう!」

「やーだー!」


 リザが泣き真似をしていると、自警団の男たちは呆れたように手を振った。


「もういい。ちゃんと躾けておくんだぞ」

「は、はい。失礼しました……」


 俺とリザは頭を下げ、彼らを見送った。

 心臓がばくばくと音を立て、手のひらには冷や汗が滲んでいた。


      △▼


 結局俺は、魔族の子を家に入れ、身体を拭き、食事を与えた。

 リザは魔族の子がパンを口にする様子を、にこにこと眺めている。


「どう? おいしい?」

「うん……ありがとう……」

「よかった! ねぇお兄ちゃん、この子、いっしょのお部屋に泊まってもいーい?」

「あ……わたしは……あの納屋で、いい……」

「えー、あそこより、お部屋のほうがいいのにー。ね、お兄ちゃん?」

「ああ……」


 リザの問いに空返事で答えた俺は、内心途方に暮れていた。


 一晩面倒を見るくらいのことはできる。だが、ずっと匿い続けることはできない。

 誰かに見つかれば、この子は間違いなく自警団に捕まり、兵士たちの前に突き出され、そして処刑される。


 魔族の地に返そうにも、この子を隠しながら王国の外へ連れ出すのは至難の業だ。

 そもそも俺には、ひとりで魔物たちから身を守る術すらない。


 それに……リザを残しては行けない。

 俺たちが子供であれ魔族を匿っていたことが知れれば、下手をすればリザにも危険が及ぶ。リザの将来にだって、どんな影響があるか。


 この状況を、根本的に解決するしか道はない。

 すなわち、異種族をひとり残らず排除する人々の流れを。


 俺にできること。

 神官として、《七人の勇者》に長きわたって仕えた俺だから、できることは――


「リザ……一日だけ、俺に時間をくれ」


 きょとんとしているリザに、俺は言った。

 上手く事が運ぶ可能性は、限りなく低い。


 けれど、俺にできることをしなければならない。

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