第4話 勇者の宣言、聖女の憂い

 途切れることない歓声が大通りを埋め尽くしている。


 グランダレム王国・王城前。


 かつて見たことがないほどの数の人々が、凱旋した《七人の勇者》の姿を一目見ようと集まっている。俺もその参列に加わっていた。


 あれから今日まで、王都はずっとお祭り騒ぎだった。


 日々、盛大なパレードが催され、活力に満ちた熱気が国中を包んでいる。

《七人の勇者》が成し遂げた、間違いなく人の歴史上最大の偉業は、当然俺やリザの耳にも届いた。その後、大神殿の長より直に聞かされ、改めて現実のものだと理解した。それでも、今この場に立っていてもなお、俺はまだ信じられない気持ちだった。


 だがこの人々の様子を見ていると、すこしずつ現実感が沸いてくる。


「勇者様だ!」

 

 群衆のだれかが叫んだ。


 すると王城の中央塔に、あの精悍な青年の姿が現れた。

 その隣には、この国の王女様の姿もあった。《七人の勇者》全員とはいかなかったが、人々は伝説の勇者と姫様の並ぶお姿を、大きな声援と拍手で迎えた。


「英雄ディーン・ストライア様!」

「王女様のお姿もあるぞ!」

「魔王を討ち滅ぼした、伝説の勇者様よ!」


 熱狂と歓喜の渦。

 まさに歴史が変わるその瞬間に自分は立ち会っているのだと、俺は感じた。

 人々の視線がディーン様に注がれる。


「この場に集いし人々よ。この国で暮らす人々よ。この世界に生きる、すべての人々よ。私たち《七人の勇者》は、その使命を果たし、ここに帰ってきた!」


 勇者様の一声の度に、大きな歓声が響きわたる。

 それに応えるように、ディーン様が聖剣を高々と掲げた。


「数百年にわたり、この世界に暗黒をもたらし続けた魔王は、この聖剣によって斃れた。私たちは、ついに恒久なる平和への道を、勝ち取ったのだ!」


 ひときわ大きな喝采。

 勇者様はそれらが静まるのをゆっくりと待った。


「だが、忘れてはならない。

 これはまだ、希求の平和への、はじまりの一歩にしか過ぎないことを。

 この世界には、まだ多くの悲しみの種が、広がっている。

 それは、我ら人間とは異なる種族、異なる文明によってもたらされる、災いにほかならない。

 私たち人間は、誇りと、尊厳と、権利にかけて、その災いを滅ぼさねばならない。

 それを為すのは、英雄と呼ばれる私たちだけではない。

 この場に集いし、すべての人々の決意と努力によって、為されるものなのだ!」


 これまでとは打って変わり、群衆は固唾を飲んで英雄の言葉に耳を傾けている。


「私は、勇者ディーン・ストライアの名にかけて、ここに宣言する」


 このとき語られた勇者様の言葉。

 その一言一句を、俺は生涯忘れないだろう。


「私は災いの火種たる、異種族を浄化する。

 そしてその先に、必ず恒久の平和を勝ち取ることを、

 すべての人々に約束しよう!!」


 静寂が人々を包んでいた。

 直後、これまで以上の大歓声が爆発した。


 王城の前に集った群衆は、勇者の猛々しい言葉に熱狂し、感涙し、同調していた。


 だが俺の全身は、言い知れぬ感情に打ち震えていた。

 あるいはそれは、純粋なる恐怖だったのかもしれない。


 種族浄化宣言。


 人間以外の知的種族を、この世界から根絶すること。それがこの世界の英雄となった勇者ディーン様が唱えた最初の言葉。


 たしかにそれは、歴史の大いなる転換点だった。


      △▼


「魔族狩り……ですか?」


 俺はゼオラル様のお言葉を、もう一度聞き返した。

 

 大神殿。

 司教ゼオラル・キリク様を長とし、神官や神官を目指す修道士たちが集う一大組織の名称であり、この王都に置かれた本部そのものを指す名称でもある。


 あの勇者様による『種族浄化宣言』から、約一ヵ月。


 魔王討伐に沸く気運の裏で、『種族浄化』の動きは急速に進んでいた。

 それこそ、性急すぎると思わずにはいられないほどに。


「そうだ。我ら大神殿も、全面的にそれに支援する」

 俺の問いに、ゼオラル様ははっきりと頷いた。


「ですが自警団を結成してまで、魔族狩りを行うなど……」

「たしかに魔王は滅びた。だが魔族、魔物……人間に仇なす者たちがこの世界に存在する限り、真の平和は訪れぬ。そのための『種族浄化』なのだ」


 今や王国中の人々が、『種族浄化宣言』を支持している。

 魔族や魔物に家族や友人を殺され、あるいは財産や土地を奪われた人間は数知れない。さらに異種族を排斥すれば、これまで危険地域とされていた多くの場所が、人間の土地として開発を進めることができる。人々がこれに賛同するのも当然の反応ともいえた。

 けれど俺はそれを、いまだ受け入れきれずにいる。


「自警団も、平和を願う人々の思いがあってこそだ」

「しかし――」

「見よ、レイズ・アデッド。聖女様がお見えになる」


 ゼオラル様に言われ、司教室のテラスから、大神殿の演説台を覗き上げた。

 大神殿前の広場には、大勢の群衆が集まっていた。


 そこに姿を現したのは、純白の法衣に身を包んだ少女だ。

 その周囲には白銀の甲冑に身を包んだ騎士たちの姿もある。


 聖女マリアージュ・クライスト様。


 そして王国最強と名高い、聖教騎士たちだ。

 彼女が眼下の群衆に向かって手を上げると、大きな歓声が沸き起こった。


「マリアージュ様――」

 

 ごく平凡な村娘という出自ながら、神の恩寵を賜りし聖女として、ゼオラル様に見出された御方だ。


「皆さん! 伝説の《七人の勇者》様により魔王は討ち倒されました。天にまします我らの神と、主のご加護を賜りし英雄たち、ここに称えましょう」


 群衆から大きな喝采が上がる。

 一呼吸を置き、マリアージュ様は続ける。


「……しかし、私(わたくし)は皆さんにお伝えしたいのです。

 私たちが長きにわたり希い続けてきたものは、真に争いのない世界ではないでしょうか? だれもが他者を憎むことなく、妬むことなく、尊び合う世界のはずです」


 彼女の真摯な言葉が俺の胸を打った。


「大いなる脅威が去り、平和への道を歩き出した今こそ、私たちは隣人を赦し、互いに手を取り合うべきときなのです。

 だから……どうか皆さん、私たちひとりひとりがすべきことを、もう一度お考えください!」


 ふたたびの拍手と歓声。

 だがその中には、生々しい怒号も混ざっていた。


「魔族を殺せ! 魔物を滅ぼせ!!」

「私の息子を返して……魔族に殺されたたったひとりの息子を……!」

「この世界は人間のものだ! 魔族を地上から根絶やしにしろ!」


 荒々しく怨嗟に満ちた声に、マリアージュ様は哀しそうに顔を曇らせる。


 彼女の言う隣人とは、人間だけではない。

 魔族やほかの異種族とも手を共存できると、彼女は主張しているように思えた。

 だが民衆はだれもが清らかでも、ましてや聖人でもない。それぞれの感情や、集団の姿勢にたやすく飲み込まれてしまう。


 ふと、マリアージュ様がこちらに顔を向けた。


 一瞬、目が合ったような気がした。

 だが勘違いだろう。俺のような神官からすれば、聖女様は手の届かない高貴な存在だ。

 しかし、一度だけ直にお話をしたことある。

 たしかあれは……大神殿の庭園で、傷ついた小鳥の手当をしていたときだ。


 ――貴方は、なぜその小鳥を癒すのですか? 


 あのとき聖女様の問いに、俺はなんと答えたのだろうか?


「聖女様は、ご存知なのでしょうか? 自警団のこと……」

「……俗世の些事は、聖女様が気になさるべきことではない。我ら聖職者は、神のご意思に従い、己の責務を果たせばよいのだ」


 ゼオラル様はご老体に険しい鋭気をまとい、迷いなく答えた。

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