第3話 リザ

 都市の大神殿で一日の勤めを果たした俺は、転移魔法を使って村へと帰還した。


 俺の暮らす家は、このありふれた小さな村にある。

 王都 《グランダレム》にほど近く、ほとんどの村人は農作業か、俺のように出稼ぎができる職業を選んで暮らしている。王都に近いこともあって魔物が出現することも滅多になく、気候も比較的穏やかなため、村全体がどこかのんびりとしている。


 辺りはすっかり夜だった。

 静寂のなか、俺はそっと我が家の扉を開けた。


 途端、満面の笑みが俺に飛びかかってきた。


「えへへー! お兄ちゃんおかえりなさいっ!」


 抱きしめられる、というよりはほとんど体当たりのような衝撃と不意打ちで、俺はその場に押し倒されてしまった。

 くるくると愛らしく動く瞳に、くせっ毛のある短い亜麻色の髪。

 健康的に伸びた手足も背丈も、まだまだ発育途中だ。


「お兄ちゃんどうしたの!? 大丈夫? もしかして疲れてる?」

「いたた……ただいま、リザ」


 馬乗りになったまま不安そうに見下ろす妹に、いつものように苦笑いで答える。


「それより、まだ起きていたの?」

「うん! 晩ごはん、できてるよ。一緒に食べよ♪」


「そのために……わざわざ?」

「とーぜんでしょ。お兄ちゃんと一緒じゃなきゃつまんないもーん」


 リザは相当待ちわびていたのか、その小さな身体で俺を強引に家の中へと引き入れた。


      △▼


「あのねあのね、今日、新しいお友達ができたんだよ!」


 リザはスープを口にしながら身体を弾ませた。

 こうして毎日、リザからその日あったことを聞くのが俺の日課だった。

 今日は特に機嫌がいい。よほど楽しいことがあったのだろう。


「へぇ、近所の子かい?」

「えへへ、えっとねぇ~……うーん、まだ内緒!」

「そっか。じゃあ、その子は男の子?」

「ううん、ちがうよ。あっ! お兄ちゃんずるい! 聞いちゃだめー」

「ははっ、じゃあ今度紹介してもらおうかな」

「うん、今度ね!」


 俺とリザは、十歳ほど年が離れている。だから俺にとっては妹であり、まだまだ夢見がちで甘えたがりな子供という存在だ。


 リザは、俺の唯一の家族である。


 両親を早くに亡くした俺ら兄妹は、この村の教会に預けられた。

 そこで俺は神父様のお手伝いをしながら、自立して暮らしていけるようになるため、神官を目指すことを決意した。世の中にはいろいろな《クラス》(職業)があるけど、俺は冒険者になれるほど身体が頑丈ではなかったし、農家や職人になるのもそれなりの元手がいる。


 だが幸い、俺には神官としての適正があったらしい。


 俺が十三歳の時に【完全治癒】という希少な《スキル》が発現し、それが年齢的には異例だったらしく、俺は一時的に世間を騒がせた。それからは修行の場を王都の大神殿に移し、一年ほど前、正式に神官の《クラス》を拝命した。


《七人の勇者》様たちと出会ったのは、ちょうどその頃だ。


 俺は光栄にも、魔王討伐のために旅立つ彼らを、神官として支援する役目を仰せつかった。以来、魔族や魔物との戦いで傷つく彼らを癒してきた。


 俺は天才神官などと呼ばれることはあったが、自惚れたことは一度もない。

 今も日々、癒しの力を磨き続けている。


《七人の勇者》は世界を救おうとしているのだ。

 それに貢献できるのなら、努力など惜しくもない。

 

 そんな彼らに今日も仕えたことを話すと、リザは興奮して瞳を輝かせた。


「イオナさまの魔法!? リザも見たかった!」

「ははっ。それじゃあ、もしいつかリザと一緒にイオナ様にお会いできることがあったら、俺から頼んでみるよ」

「ほんとっ!? やったやった! すっごく楽しみっ!」


 リザはイオナ様に憧れている。俺がよく話を聞かせていたせいで、会ったこともないのに、将来はイオナ様のような魔法使いになるのだと言って憚らない。


「お兄ちゃんも、イオナさまみたいな《魔法》はつかえないの?」

「俺には無理だよ。俺が使えるのは、神官としての《魔法》だけなんだ」

「でも、おけがをなおすんでしょう?」

「ああ、そうだ」


「ほかにはほかには!?」

「他には……そうだな。身体に入った毒を清めたり、あと、お化けを祓ったりかな」


 お化け、という言葉にリザがひっと息を飲んだ。

 大丈夫だよ、と俺は苦笑する。

 神官の《魔法》は、基本的に戦うためのものではない。


 【キュア】……怪我や病気を治癒する

 【フォース】……身体や武器に加護を与え、強度を上げる

 【トリト】……毒や麻痺、石化や腐食などの状態異常を浄化する

 【アウェク】……洗脳を解除し、意識を正常に覚醒させる

 【レイザー】……死者を蘇生する


 このほかにも色々あるけど、残念ながらこの場でリザを喜ばせるのは難しそうだった。


「イオナさまに会いたいなぁ……。ねぇ、いつ? いつになったら会える?」

「今は我慢するんだ。勇者様たちが、魔王を倒すために戦っているんだから」


 リザは足をぷらぷらせながら、頬を膨らませる。

 けれどすぐにころりと表情を変え、朗らかな笑顔を浮かべた。


「うん、じゃあリザ我慢する。いい子にしてたら、神さまがご褒美くれるもんね!」

 リザのこの笑顔を見るたび、俺は温かな気持ちで満たされた。


 魔王は強大だ。

 かつて魔王は、この世界のすべてを支配していたという。


 それでも人間は諦めなかった。力をつけ、知識と技術を発展させ、手を取り合いながら魔王の軍勢に抗った。そうして長きわたる戦いが始まった。人間と魔王軍との争いはもう数百年続いている。この村は比較的安全とは言ったが、一歩でも街や村の外に出れば、そこはもう人間の世界でない。

 人々は、見えない恐怖と常に戦っている。


 そのとき、俺はリザの手に小さな水膨れができていることに気づいた。


「リザ、その手はどうした?」

「あ……」


 リザがさっと手を隠す。

 俺は小さくため息をついた。


「怒らないから、ちゃんと見せなさい」

「うん……」


 リザがおずおずと手を差し出す。軽い火傷だ。痛いだろうに、これまで顔にも出さなかったのは、俺に心配をかけたくなかったのだろう。


 俺はリザの手を取り、短縮呪文で【キュア】を発動した。


 そのとき、俺の脳裏にリザが台所に立っている姿が浮かんだ。


 続いてリザの目線で、火にかけた鍋に誤って手が触れた。

 まるで自分の手のように鋭い痛みが生じる。


「なるほど……料理をしているときにやったのか」

「えっ……どうしてわかったの?」

「癒しの術には、こういうことがたまにあるんだ」


 記憶の伝播――治癒を行う神官には、稀にある現象だ。


 神官の《魔法》である【キュア】や【レイザー】は、対象の肉体に深く干渉する行為であり、その相手と精神を同調させる必要がある。だがそれはときに、自分と相手との間で、記憶の混在を生じさせてしまう。


「よく我慢していたね。でも、次からすぐに言うんだぞ」


 俺がリザの頭を撫でながら注意すると、リザは素直に頷いた。

 だがそのリザの表情が、ふと不安げに曇る。


「ねぇ、お兄ちゃん。勇者さまは……魔王に負けない?」


 俺は一瞬面くらい、言葉に詰まった。

 すぐにその戸惑いを隠すようにはっきりと頷いて見せた。


「ああ。絶対に負けないさ」


 そう言いながらも、俺は祈り続けていた。


 不滅といわれる魔王を、本当に倒せるのか。それは誰にもわからない。

 それでも、きっと彼らならやってくれる。俺はあの頼もしい後ろ姿を脳裏に思い起こしながら、強くそう信じた。


 きっと来る。平和な世界が。


 そうなれば明日はもっと、希望に満ちた一日になるはずだから。

俺のその想いは、まもなく現実のものとなる。



《七人の勇者》が魔王を討伐したと報せが入ったのは、それから数日後のことだった。

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