第2話 七人の勇者

 四ヵ月と十日前――


 魔王城にもっとも近い街とされる要塞都市。

 そこにある大神殿の支部で、俺は神官としての職務にあたっていた。


 目の前に座るイオナ様がこちらに背中を向け、その生肌をさらしている。彼女はうなじから髪を胸元にたぐりよせ、無防備な姿をあらわにする。俺は邪な気持ちを抱かないようにかざした手のひらに意識を集中させ、呪文を詠唱。


「天に在りし我らの父なり母なる神よ、敬虔なる汝の子らの傷を癒し給え」


 回復魔法【キュア】が発動。

 

 激しい戦いの傷痕――背中にあった痛々しい裂傷が、見る見るうちに完治し、戻通りの健全な素肌を取り戻した。

 

 緊張が解け、俺は安堵の息をついた。


 イオナ様ははだけていた着衣を整えると、こちらを振り返った。


「ありがとう、天才神官さん。相変わらずいい腕ね」

「滅相もございません。俺にできることは、これくらいのものですから……」

「謙遜しないで。完全治癒ができる神官は、そうはいないわ」


 イオナ様の見通すような微笑みに、俺は思わずどきりとした。


 ローブの裾とともにひるがえった赤毛の髪が、朝陽の光を受けてきらきらと輝く。

 彼女は十八歳の俺と変わらない年頃の少女だが、その堂々として気品あふれる立ち振る舞いは、ずっと年上にも感じられた。宝石のようなエメラルド色の瞳に見つめられると、魅了の《魔法》にでもかかったような気分になる。


 イオナ・ヴァーンダイン。千年に一度の才を持つ、伝説の魔法使いだ。


 そんな御方から感謝される。それだけで俺には身に余る光栄だった。


「ははっ。さすがは、大神殿の若き英才だな」

 大神殿の広間に、快活な声が響いた。


 お褒めの言葉をかけてくれたその御方の名は、ディーン・ストライア。


 精悍な顔つきと、力強く生命力にあふれた立ち姿。

 伝説の勇者、その人である。


「さすが最年少で大神殿の神官になっただけのことはある。神官といえども、【完全治癒】の能力を持つものは少ない」


「がはは、オレ様もこいつの【レイザー】で生き返らせてもらってるしな。王国を出発してから、いくら世話になったか覚えてねーくらいだ」


 男のような豪快な笑い声を上げたのは、露出度の高い鎧に身を包んだ褐色の少女。


 ギンカ・ブルアクス様は、伝説の戦士だ。


 かれこれ長い間柄ではあるが、この御方たちと俺では立場があまりにも異なる。俺は所詮、ただのいち神官に過ぎないのだから。


「とにかく、あなたには本当に助けられているわ。えっと確か……」

「はい、レイズ・アデッドと申します」

「ああ、そうだったわね。では、レイズ・アデッド。お礼と言ってはなんだけど、いいものを見せてあげる」


 イオナ様はそう言うと、俺の前で人差し指を立てた。

 その指先に、小さな光が灯る。

 それはふっと浮かび上がると、大神殿の高い天井付近まで上昇し、弾ける。

 鮮やかな虹色の光が、花のように咲き広がった。

 俺はそれを見上げ、思わず感嘆の声を上げた。


「美しい……」

「ふふっ、どう?」


 イオナ様は得意げに微笑んだ。だがディーン様は呆れたように肩をすくめる。


「やれやれ……。また勝手に新しい魔法を作ったのか?」

「いいでしょべつに。綺麗なんだし」

「魔物との戦いでどう役に立つかさっぱりだぜ……。よし、じゃーオレ様もなにか特技を披露しなきゃな。この大神殿の柱を素手で叩き割るってのはどうだ!?」

「却下だ。神殿を利用するのは、俺たちだけじゃないんだぞ」

「相変わらず、筋肉バカね」


 和やかな雰囲気につられ、俺もつい笑ってしまう。

 いつのまにか、【キュア】を使用した疲れはどこかへと吹き飛んでいた。


「さて……そろそろ休養は十分だな。イオナ、ギンカ、出発しよう。メビウスたちを呼んできてくれ」


 ディーン様がその聖剣と盾を手に取り、身にまとう。


「すべての人々が、俺たちが魔王を倒すその瞬間を待っているのだから」


 ああ――

 俺はその彼の姿に、神々しさを見た。


 この三人の御方、そして今この場にはいないが、あと四人の御方が、この地で最後の戦いに臨む準備をしている。

 世界の命運を左右する戦いだ。


 彼らは尊敬と称賛の意を込めて、《七人の勇者》と呼ばれる。


 伝説の勇者、ディーン・ストライア。

 伝説の魔法使い、イオナ・ヴァーンダイン。

 伝説の戦士、ギンカ・ブルアクス。

 伝説の武闘家、フェイ・リーレイ。

 伝説の狩人、ヒサメ・クウガ。

 伝説の錬金術師、アリシャ・ミスリル。

 そして伝説の賢者、メビウス。


 この七人の御方たちこそ、この世界の生ける希望だ。


「――どうか勇者様たちに、主のご加護があらんことを」


 祈りの言葉とともに、俺は勇者様たちの御姿を見送った。

 俺の役目はここまでだ。神官である俺は戦いに参じることはない。魔族や魔物との熾烈な戦場に付いていけるはずもないからだ。


 だからこそ、俺は俺のできることをしよう。

 そう神に誓った。

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