第2話 初めての大学生

 僕は一週間前から一人暮らしを始めた。高校を卒業して、大学に入学した。

 特に行きたい大学がなかった僕は、一人暮らしができて、街にちゃんと活気があって、空気がおいしいくて、人が多すぎなくて少なすぎない場所、という条件に合った手ごろな地方の国立大学に進学した。最後の条件に関してもう少し詳しく説明すると、そうだな、東京都八王子市は人が多すぎる。その半分くらいがちょうどいいと思う。手ごろな大学を選んだから受験は苦労せずに終えた。

 僕の生まれ育った家は東と西のちょうど真ん中あたりにある。家計のことを言えば、例えば都内の私立大学に子供を通わせるようなお金は持ち合わさていなかったけど何とか地方で一人暮らしさせてくれるだけのお金を工面してくれた。ごく普通の、平均的な収入の一般家庭なんじゃないかと自分では思う。僕は小学校三年生から高校卒業までずっとサッカーをやっていた。ぴったり十年。きっかけは当時読んだサッカー漫画。最初のころは上達も早くて楽しかった。本気でプロの選手になる気で中学生になったけれど、プレーが自己中心的だと監督に三年間怒られ続けた。自分で言うのもなんだけど大正解だ、僕はいつだって自己中心的だと今でも思う。その時、チームスポーツは苦手かもしれないと気が付いた。高校の時はなんでサッカーを続けていたのかあまり覚えていない。サッカー人生では一番最新の記憶のはずなのだけれど。

 僕は普通の良くある家庭で育った、何事に対しても要領は悪くないけど諦めは早い上に自己中心的な、クラスに3人くらいはいた人間だった。


 引っ越しの荷ほどきはあらかた終了して、大学の説明会も大方こなし、少しは生活が落ち着いてきて余裕の生まれた僕は、これから数年間すむ予定の街を散歩することにした。今日は金曜日、まだ朝日がまぶしい時間帯。

 玄関を開ける。一歩外にでて振り返る。ちょうど同時に音を立てながら閉まる戸に鍵をかけて階段を降りる。アパートは川沿いに面していて控えめな川のせせらぎが耳に心地よく届く。僕は右手に曲がり川を下る。川を上れば大学、下れば駅前。街の作りとしてはかなりわかりやすい。


 川沿いにあるのは二階建ての戸建て、アパート、平屋、コインランドリー、まだしばらくは住宅街の範囲を出ない。十分ほど歩くとはじめてのお店が現れ始める。最初に見えてきたのは喫茶店だ。川に面した一面は、重たそうな木製の戸と横長で大きめの窓で構成されている。中がまったく見えないわけではないから安心感はあるけれど入るのには少し勇気がいるようなお店。定休日は火曜と水曜日、開店は7時からと黒板の立て看板に書いてある。雰囲気がとても好みなので帰り際によってみることにする。

 さらに三分ほど歩くと車通りの多い橋が近づいてきて、川沿いを歩いている僕は交差点にぶつかる。信号が青に変わるのを待っている間、右側を見るとこの通りには大きなお店が多いことが分かった。一番手前にコンビニ、その奥にファミレス。ファミレスのはす向かいにはスーパーがある。今まで暮らしていた地方では見たことのない名前のスーパーだ。

 「信号が青に変わりました」

 歩行者信号機から女性の声が聞こえてきたのに多少驚きつつ、正面を向きなおしてまた歩き始める。ここからは急にお店が増える。美容室、アパートを挟んで定食屋、不思議な骨董屋さんに八百屋、また少し民家を挟んで居酒屋が何件か。そしてカフェ。今度は一面ガラス張りのカフェ。このカフェは好きじゃない。大抵どんなことにも言えることだと思うのだけど、すべてのことが分かり切っている事柄よりも半分ぐらいそのことについて理解できない部分や分からないことがある物事のほうが興味がわく。


 スマートフォンの地図によると駅前まであと十五分ほどかかるらしい。少しおなかのすいてきた僕は、今日はここまでと決めて、最初に見つけた喫茶店で朝食を食べることにした。骨董屋さんの前でたむろしている三匹の猫を一匹ずつ写真を撮る。また橋の赤信号で止まる。二人組の高校生が自転車で橋を渡っていく。


 意外に軽かった扉を開け喫茶店に入ると、一人の女性が一番奥左側のテーブル席で本を読んでいる。僕は、右側のカウンター奥から二番目の席に座る。若く見える彼女は大学生だろうか。さっき赤信号を待っている間、川の上から歩いてくる女性を見たからきっとその人だろうと思う。大学生だとしたら金曜日の朝は授業がないのだろうか。いったい何の本を読んでいるんだろう。知りたいことがたくさん出てくる。

 いつの間にか運ばれてきていたブレンドコーヒーのセットはなかなかに量がおおい。まずはコーヒーを一口飲んでみる。酸味は強くなくて、しっかりと苦いけれど後には残らない苦さのコーヒーだ。甘いハニートーストとよく合う。彼女は何を頼んだんだろうかとメニューを見ながら想像する。

 次はカウンターの席はやめて、テーブル席の壁側に座ることにする。半分くらいわからないことがあってもいいけれど、何一つ理解することができないのは全く意味がないから。せめて彼女のことが見える位置に座ろう。

 ガラス張りのカフェから先のことを知るのはしばらく後になりそうだと思った。

 

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