現実
僕は小説を書いた。タイトルは『幸せになれない人』。首尾一貫して主人公は不幸であり、最期は自殺なのだが、その結果はなるべくしてなったものとして書いた。そこにはなんの主張もなかった。ただ一個の不幸な人間がいるだけで、その不幸の原因を主人公に押し付けることも、主人公に関わるものに押し付けることもしなかった。小説は新たに文芸部で発刊された部誌に載った。
下世話な話が好きな多田に「さとっちと清水が付き合っているらしい」と聞いたのはちょうどその頃だった。僕は平静を装ってそれに「へえ」と返した。「いつから付き合ってるんだって?」「春休みからだってさ」――ふーん、始業日にはもう付き合っていたんだ
「もう一回告白しなよ」と背中を押してくれた清水のことを思い出して口角が上がってしかたなかった。そういえばあの時清水はワックスで髪をキメていたっけ。「じゃ、俺帰るわ」と背中を向けた清水が思い出された。帰ったのは佐藤さんのもとにだろうか
ほどなくして二人が付き合っているという噂がクラス中に広まり、二人もそれを隠さなくなった。「ちーちゃんあんな奴のどこがいいの」「さっさと別れちゃいなよ」「お幸せになれたらいいね」などと女子は妙に刺々しかった。「女子怖えー」と僕が呟くと、多田はすかさず「まあ一年の時に付き合っていてなかなか酷い別れ方したらしいからね」と返した。え、初耳なんですけど
多田によると清水は佐藤さんに「他に好きな女子がいる」と一方的に告げた後、その女子に告白してフラれ、それだけならまだしも第二、第三と女子に告白をしては当然のごとくフラれ続けたらしい。
なんだよそれ
清水は佐藤さんのことを、恋人同士とは思えないほど雑に扱っていた。彼は佐藤さんの身長が低いのを執拗にいじった。それで佐藤さんが言い返すと彼は、自分から話題を始めたのにもかかわらず、適当にそれをいなした。お預けを食らったような顔をした佐藤さんは、それでも彼に話しかけようと試みるのだが、彼はすでに別の友人と話していて聞こえなかったふりをするのだった。「あーあ、かわいそ」多田は言った。「なんであいつら付き合ってんだろ」
なんであいつら付き合ってんだろ
上から目線な言葉だ。お前には関係ないだろと言いたくなる。多田が嫌われる原因はそこらへんにあるのだろうか。
でも僕も今同じことを思った
僕よりあんな奴の方がいいんだ佐藤さんは
……でも僕は口に出していないじゃないか
心の中で思うのは自由だけど、口に出すのって違うじゃん?
そんな風に自分自身に無責任な言い訳をした。
「そういうところなんだよね」
え
「上野ってさ、ナチュラルに人を見下しているところがあるというか」
そうなんだ
「だから皆お前にむかつくんだよ」
ずっと友人だった君が言うんだから間違いないね
去り行く背中が昔とは違って大きい
バカみたいな話をして笑いあったのはもう昔のことなんだと実感して不意に泣きそうになった
また一人、友人が消えた
中学時代から何も変わってないな僕は
隣に多田がいた。日は傾き辺りは暗くなっていた。生徒は校門から出て帰路についていた。下校までついてくるようになった、もう友人であると言っていい関係になった多田に、僕はかつての僕を見ている
「あっさとっちだ」
そう言って多田が指で示した先には、人を待っている様子の佐藤さんがいた。
「彼氏でも待っているのか~? ヒューヒュー」
多田は茶化すように言った。
お前さ
そこに清水が来た。二人は何も言わずに、佐藤さんが清水に寄り添うようにして、一緒に帰っていった。僕はそれを見て何となくやるせない気持ちになった。
「ついてこうぜ」
は?
「馬鹿なの?」
「え? 面白そうじゃん」
僕は多田の目を見た。多田もそれに応じた。
まじかこいつ
辺りはいよいよ暗くなり、街明かりが二人の輪郭をかたどっていた。その夜陰に乗じて僕らは彼らのあとをつけた。彼らは手をつなぐでもなく、楽しげに会話をするでもなく、ただ平行に歩いていた。
「何も起こらずに終わるとかつまんないぞ」
「ふつうそんなもんだろ、現実見ろよ」
その時不意に風が吹いて、周りのものがカタカタと揺れた。僕は寒気がして少し震えた。
現実なんて言えた立場じゃないか
気付くと街灯がまばらになっていた。辺りの建物の背が低くなり、漏れる灯りは無機質な蛍光灯の白から暖色へと変わっていた。生活の気配が僕らにこの小さな冒険の終わりを予感させていた。
僕らは公園に差し掛かった。その時佐藤さんが二言三言清水に話しかけ、そして二人は相対して立ち止まった。
その日のファースト・アクションだった。
「おいおい」
多田が興奮気味に呟いた。
清水は佐藤さんの腰に手を回し、指で顎を軽く持ち上げた。しばらく二人は見つめ合って、それから長い接吻を交わした。
潤んだ佐藤さんの瞳が灯りを反射していた
踵が浮いていた
余裕なく清水の服を掴んでいた
どれだけの時間があったのだろう。それは一瞬のようにも、永遠のようにも感じられた。
「もう充分だろ、いくぞ」
無意識のうちにそう呟いていた。それは多田にというよりはむしろ、自分自身に対しての言葉だった。
「あー羨ましいなあいつら。俺も彼女作りてえ」
帰りざまに多田が言った。僕はその言葉端に引っかかった。心がささくれ立っていたのだ
「『作りたい』? なんで」
恋人はなるものじゃないのか
「だってよー、制服着て××できるのって高校生までじゃん」
僕はそれを聞いて一気に心が冷え込んだ。
「あはは確かにそうだな」
ヘラヘラ笑いながら人生でいちばん空虚な言葉を吐いた。
今この時佐藤さんの横にいるのが清水で、僕の横にいるのがこの多田だということが虚しかった
暗がりの中で佐藤さんと清水のシーンがぐだぐだと繰り返していた。それをバックグラウンドにして今までに佐藤さんが僕に見せた顔が浮かんだり消えたりしていた。たいてい佐藤さんは僕にきれいな笑顔を見せていた。
そこには渇望の欠片もなかった
だから僕は「見透かされている」と思ったのかもしれない。
夜にマイナス思考が始まるとそれは留まることを知らない。
清水が僕を裏切ったのは事実として、佐藤さんもそれを知っていたのではないか?
「そういえば上野は誰に、わたしが前の彼氏と別れたってこと聞いたの」
「うはは、義理深いね上野は」
佐藤さんにとって僕は、自尊心を満たす単なるおもちゃに過ぎなかったのではないか?
「そういえば上野の小説読んだよ」
なんで今さら?
「見てみろよこれ。上野が書いた小説なんだけど」
清水が部誌を開いて佐藤さんに渡す。佐藤さんがそれを読む。僕はそれをただ見ていることしかできない。
「えー、なにこれー、上野って顔に似合わず、ふふ、ロマンチストなんだね」
「なあ知ってるか、上野、お前のことが好きなんだぜ」
「えっ」
「引くだろ?」
それで意識が中学生の頃に引き戻される。
「キモいからうちのことじろじろ見ないでくれる」
「ねえこいついっつもうちのこと見てくんの、こわーい」
「性欲丸出しじゃん、笑えるー」
「えー、犯罪者じゃんそれ」
「半径一キロ以内に近寄らないでくれるー?」
「っていうかこんな奴にも恋愛とかいう考えがあるってことがウケるんだけど」
「それな、夢見てないで鏡見れば?」
「はは、マジでそれ」
佐藤さんとの日々が全く違った意味合いをもって上書きされていく。
全部遊びだったんだ
それでも僕は佐藤さんのことが嫌いになれないのだった。
ほんと?
うん
ほんとにほんと?
ほんとにほんと
ほんとにほんとにほんと?
ほんとにほんとにほんと……
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