新兵器
武州人也
新兵器
私がまだ二十五の頃の話である。
人道支援である熱帯雨林の国に赴いた私は、そこでヤンという老人と出会った。今となっては忘れもしないことである。
出会いは全くの偶然であった。その日の暑さは酷烈そのもので、茹で上がってしまいそうな暑さに避暑を求めて木造家屋の壁にもたれていた所、戸から頭のはげ上がった老人が、ぬっと出てきたのである。
「若い異国人、そのままでは焼け死んでしまうぞ」
意外にも、老人は英語で話しかけてきた。
私は老人の家に上げてもらった。老人は白い軟膏のようなものを指に取り、私の額に円を書くように塗布した。すると、俄に熱が引き、心地よい清涼感が顔面の皮膚にも、その内側にも広がった。
「この時期の昼間にあまり外を
そう語る老人の額には、一筋の汗も流れていなかった。空調設備など見当たらないのに、である。
「ありがとうございます」
私が礼を言うと、老人は、では礼代わりに、どうかこの老いぼれの話相手になってくれぬか、と言った。
老人はその時、ヤンと名乗った。ヤンは長い白髭を持った、如何にも長老然とした風貌の老人であった。その顔には、今まで生きた年月が、そのまま皺として畳まれているように見えた。
ヤン老人は物知りで、この国の様々なことを教えてくれた。掌よりも大きなタランチュラを食する部族の話、外国で新薬の原料にされている植物の話、料理店に伝統料理の食材になる毒蛇を持って行くと買い取ってくれたものだから山々を巡って探し回った話……など、面白い話が多く、つい聞き入ってしまうような話ばかりであった。
また、ヤン老人はこの国の行く末を憂えるように語ることがあった。強権的な中央政府、腐敗した官僚組織、貧富の格差、高失業率、治安の悪化……これらがよってたかって民衆を虐め抜き、この国をいつ爆発するとも知れぬ火薬庫に変えてしまったのだ、と、神妙な面持ちで語った。
それから私は、何度かヤン老人に会った。老人は若い頃技術者で他国にいたが、十年前に退職と共に祖国に骨を埋めようと帰国したのだという。
老人はこの国の民衆を救いたがっていた。会う度に、私は老人の並々ならぬ救国の熱意を聞かされた。そしてそれは決して自己陶酔などではなく、真剣な憂国の志であることが、私にも分かった。
「お前にだけは特別に見せてやろう」
そう言って見せてくれたのは、金属で出来た、翼の生えた小さい蛇のような物であった。銀色の金属光沢を持つそれは一見すれば、それはただのオブジェか何かにしか見えない。
「これは新兵器の試作品だ。地を制し、海を制し、空を制するこれがあれば民衆は政府を倒せる」
そう語るヤン老人の顔は、まるで関帝廟の関羽のように紅潮していた。
私は半信半疑であった。半信半疑、といっても、それは殆ど疑に寄ったものである。老齢故に耄碌して、有りもしない妄想に取り憑かれているのでは、と、私はヤン老人を疑り始めた。先程のものを新兵器だと言われても信じ難かったし、それで政府を倒すというのは大言壮語もいい所なのではないか、と、率直に思ったのである。
次に会った時には、ヤン老人の様子はまるで変わっていた。いつも年にそぐわぬ活力のこもった眼をしていたヤン老人は、先の元気は何処へやら、一転顔を青ざめさせ、唇を震わせていた。心配になった私が声をかけると、ヤン老人は、
「私はとんでもないものを作り出してしまった」
と、怯えたように言った。
ヤン老人の目の前には、金属製の箱が置かれていた。
「設計図だ」
箱には例の金属製の有翼蛇と共に紙が入っていた。察するに、その紙のことを言ったのだろう。
結局、それが遺言になってしまった。
ヤン老人は、突然失踪した。老人が、遺体となって川から引き上げられたのは、私が出国する二日前のことであった。遺体の近くには穴の空いた鉄製の箱があり、その中にはふやけ切った紙が入っていたとのことだった。
老人の家からは、遺書と思しきものが見つかったが、そこにはただ「後悔している」とだけ書かれていたという。
帰国した後もずっと、それこそ何年も経った今となっても、私はヤン老人のことが頭から離れない。というのも、一ヶ月後、老人が身投げした川の河口に程近い軍港に停泊していた輸送艦が、突如原因不明の爆発事故を起こし沈没した。そしてその近海では、何年もの間、空前絶後の不漁に見舞われたのである。私は未だに、亡くなったヤン老人がこのことと無関係とは思えないでいる。
新兵器 武州人也 @hagachi-hm
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます