JD-267.「マリアージュ」


 そこは寒気と温かさを同時に感じる不思議な場所だった。触れる空気は冷たく、それでもなぜか体のどこからか温かさがやってくる、そんな空間。上下もわからず、浮いているのかどこかに立っているのかもわからなかった。


「ここは……どこだ」


 そんな何の解決にもならなそうな言葉を口にしてしまうほど、どこか恐ろしくなる場所だった。俺は……戦っていたはず。そして……何かに襲われた。それからどうした?

 はっと気が付き、自らの胸に手をやるがそこには怪我はない。けれどもそこからは確かに熱が逃げつつも産まれるという現象が起きていた。この熱は……俺じゃない誰かの物?


「みんなのところへ戻らないと……あれ?」


 とりあえず立ち上がろうとして、失敗した。足はもつれ、倒れ込む。上下のわからない場所でそんなことになればどうなるか、自分が上を向いて倒れているのか逆なのか、それすらもわからずに胸からあふれる気持ち悪さとそうではない温もりに目が回りそうだった。


 そんな時、腕の中に光が生じた。青い……海や空のようなグラデーションのかかった光だ。その光が段々と形を作る……その姿は……ラピス!?


「ラピスっ!」


「? ああ……マスター。ご無事ですか」


 弱弱しい笑顔と共に、ラピスの小さな手が俺の胸元に添えられ、ずっと続いていた温もりが彼女の力による物だとわかる。けれど、この状況は一体……? どうしてこんなにラピスは弱ってしまっているのか?

 疑問を抱きながらも、恐らくという答えも出ていた。俺が怪我を負い、ラピスが治療してくれているのだ。けれどもこの場所は?


「マスター。落ち着いて聞いてくださいな。正直、私でも癒しきれるかどうかわかりませんの。上手くいって重傷、そう思ってください。ですが命は助けて見せます。私のすべてを賭けて」


「ラピス? 一体何を……なんで薄くなってるんだ!」


 止めようとして、体が動かなかった。寒気を感じていた場所がさらに冷気で冷やされ、固まったのだ。邪魔はさせない、そんな意思も感じる物だった。


「この場所は宝石娘がただの石に宿った存在となるか、宝石娘となるか境界の場所。どうしてマスターがいるのかはわかりませんが、最後まで癒せるのですから幸運といえるのかもしれませんわね。マスター、お別れですの。私のすべては貴方に捧げます」


「そんな、そんなことっ!」


 俺の怪我が治らないというのが問題だというのなら、動け、そして治れ俺の体! 目の前で、すぐ手の届く場所で大事な相手が消えようとしているんだ。動けっ! どうして、どうしてだっ!


 顔を悔しさにゆがめている俺に、ラピスがそっと覆いかぶさってくる。重さを感じない、羽毛のようなその体。そっと触れた唇は、いつもと同じ……淡い温もりを感じた。


「どうか、どうか皆と幸せに……」


 消えていく、俺の腕の中で。光の粒子となって……。


「誰か、誰でもいい。彼女を、彼女を!」


「笑ってくださいな、マスター。貴方の笑顔が私の望み」


 そんなこと、出来るはずがない! ずっと一緒に過ごすと決めた。誰かが欠けてもいけないんだ!

 動かない体。もうどうしようもないのか、暗い考えがよぎり始める。それでも顔は動く、せめて……!

 そんな俺を見ながら、微笑んでいるラピス。このまま消えてしまうのか、そうあきらめかけた時だ。


「こんの、親不孝娘ぇええええ!!!」


「きゃっ!」


 2人の上に影が差したと思うと、俺からラピスを引きはがすかのように誰かが吹き飛ばした。息を荒げ、肩を上下させているその姿は……女神様!? 手には俺がいつだったか生み出したようなハリセンを持っている。それでラピスを吹き飛ばすとか、さすがすぎる。


「お、お母様!?」


「お母様じゃありません! はい、口を開けて!」


「むぐっ!?」


 力が出ないのか、よろけるラピスを無理やり持ち上げるようにして抱え、女神様はその口に向けて何かを押し込んだ。見る間にわずかながらラピスへとマナが供給され、輪郭がはっきりしてくるのがわかる。彼女は助かった、俺はそう確信した。


「私からの供給はこれが限界。これ以上はすぐに気がつかれてしまう……まったく、せっかくの命。もっとうまく使いなさい」


「ですがっ、マスターの傷はっ!」


 そうなのだ。事実、ラピスの癒しが無くなってからはゆっくりとだが俺からは熱が逃げていくばかり。遠からず、俺はさらなるピンチに陥ることだろう。けれども他に方法がなさそうだというのも確かだった。


「まだ時間はあります。トールさん、5人と永遠を生きる覚悟はありますか」


「あります」


 迷わず、俺は答えた。まさに即答ってやつだ。何故そんなことを聞かれたかはわからない。けれどもう、みんなのいない人生なんて考えられない。それが例え、いつか選択を後悔するような長い長い人生の始まりだとしても。今この時にラピスを失う以上の後悔にはなるはずもない。


「マスター……」


「それでこそ私の見込んだ男の子です。気に入りました。娘を嫁に差し上げましょう」


「はははっ、喜んで」


 半ば横たわったままの俺のそばにラピスを降ろし、女神様は俺たちと向き合った。真剣な顔……これが神様、そう思うだけの気配を感じた。自然と、ごくりと喉が鳴る。すると、女神様は優しい笑みを浮かべて俺とラピスの手を取った。


「汝ら、病める時も健やかなるときも。万難が降りかかる時も……絆をあきらめないことを誓いますか?」


「「誓います」」


 自然と、同じ言葉が口から出た。それに気づき、思わず見つめ合う俺達。さっきより顔色のよさそうなラピスの表情が自然と緩む。女神様の握る手の上に重ねられた互いの手。そこから感じる温もりは確かな物だ。


「後、ジルちゃんたちも一緒ですわ」


「うん、そうだね」


「贅沢な話ですよー、5人もなんて」


 いつしか調子の戻って来た女神様のからかうような瞳に見つめられつつ、俺たちは誓いの言葉を再度口にした。満足そうにうなずいた女神様は立ち上がると、自身のお腹を指さして俺を続けて指さした。


「トールさん、自分を解放しなさい。それが約束を経て、結ばれる絆となります。合言葉は……」


 急激に白くなる視界。さっさと向こうでなんとかしなさい、そう叱られているようであった。握ったままのラピスの手。そのぬくもりと聞こえる女神様の声に頷きながら……俺は意識を取り戻した。





 耳に届く戦いの音。視界に入るのは玉のような汗をかいた状態のラピスと背後の森。起き上がろうとして痛む胸に呻き声を上げるがそれはまだ生きている証。ラピスもまた、その瞳を見開いて俺の肩を支える。無言でうなずきあい、俺は動く右手で聖剣を小さくし……自らのお腹に挿し込んだ。


 この世界に来てしばらくした時、俺もジルちゃん達みたいに服をマナで作り直せるか、なんて聞いたことがある。その時の答えは「今は無理」そんな感じだった。そう、その時には無理だったのだ。俺はまだ、人間だったから。


「ふんっ!」


 自分で足の裏を触っているかのように、感触はあるがそれ以上の何かはないまま、沈んでいく聖剣を見る。そして彼女たちにしていたように後一ひねりというところまできた。顔を上げ、隣にいるラピスを見る。


「ラピス、俺は誓うよ。そして、約束を果たそう」


「はいっ!」


 手に力を入れて、ぐっとひねる。カチリと、自分の体の奥で何かがかみ合う音。同時に全身を何とも言えない感覚が吹き荒れる。全てを作り直す、そう感じる力だった。俺が、彼女たちとつながる証だった。


「「いくつもの約束を果たし、今ここに……結べ、マリアージュ!」」


 2人の言葉を合図に、さらに聖剣がひねられた。


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