JD-252.「水の微笑み」
ザアザアと音を立て、ずっと続くかのような雨が降っていました。ついさっきまでは突き刺すような日差しが木漏れ日と競うように地面を照らしていたというのにです。私はジルちゃんと2人、駆け込んだ巨木の下で止むのを待つことにしたのです。
「雨さんいっぱいだね」
「そうですわね」
別に濡れるのに問題があるわけじゃありませんの。私たちは風邪を引きませんもの……問題があるとしたら、ぬかるみで転んで事故になるぐらい。ミャアさんたちが心配するというのは追加かもしれませんわね。
雲はそこまで厚くないのか、空は白いままでした。私はそのまま、何をするでもなく巨木に背中を預けながら遠くを見つめていました。雨が降る前に、水晶を安置することが出来た滝つぼをぼんやりと。
「精霊さん元気にそだつかな」
「ええ、もちろんですわ。あれだけいい場所なんですもの……ジルちゃんもしっかりお願いしてくれましたものね」
足元にまで雨は来ていて、ちょっとした水たまりがそこにはありました。ジルちゃんは楽しそうにぴちゃぴちゃと足先で遊びながら、鼻歌でも歌い出しそうな様子でした。こういう時、ジルちゃんは何か楽しいことを出来るだけ探すようにしている、そう感じ始めたのはいつだったでしょうか?
「ねえ、ラピス。ご主人様、元気かな」
「どうでしょうね……私達に会えなくて寂しがってるかもしれませんわね」
そんなことを微笑みながらつぶやいて、私はそれは私自身の事だろうと心の中でつぶやきました。いつもニコニコと、マスターの背中を見つめてきましたが……不安な物は不安なのですもの。
だけど、それは私の役目ではありませんわ。私は皆のお姉さん、優しく、時には厳しく。余裕を持って微笑んで……だってそれが、私を握っているときのマスターの願いでしたからね。
「むりしないで良いんだよ。ラピス、頑張ってる」
「ジルちゃん……」
すぐ近くにいたからでしょうか? それとも弱気になったところで隠しきれなかったのでしょうか?
そっと握られた手は温かくて、そして優しくて……ふふ、これではルビーを笑えませんわね。握り返した私の手も……温かいと良いのですけど。
じっと見つめてくるジルちゃんに無言で頷き返して、私は空いた手を自らのお腹に当てて何とはなしに撫でていました。皆よりは少し背丈があるからか、ぽっこりとしたお腹は鳴りを潜め、ほっそりとした少女の体になっている気がする自分の体。マスターが思い浮かべ、自らがそれを受け入れて出来上がった女の子の体です。
言い換えれば、この体はマスターが私達に最初にくれたもの、ということになりますの。本当のところは少し違う気もしますけれど、大筋は間違ってないはずですわ。だからこそ、愛おしくもあり、時に恨めしくもあります。
「おなかいたいの?」
「いいえ、大丈夫ですわ。マスターとまた触れ合いたいな、って思ったんですの」
「そっか。ジルもご主人様を感じたいな」
つないだままの私の左手とジルちゃんの右手。離すことなく、私は右手を、ジルちゃんは左手を自分のお腹に当ててそっと撫でていました。そこにあるのはマスターが聖剣を入れてくれる魔法陣があります。今は外に出していないですけれど……いつもは中にあるんですのよ。大体人間で言うおへそのすぐ下あたりでしょうか? マスターは気が付いてないと思いますけど……そういう時には聖剣越しじゃなく、マスター自身からのマナを受けて私たちは成長しているはず……。
「ねえ、ジルちゃん。マスターは私たちが人間になったら喜ぶでしょうか?」
「わかんない。だけど、ご主人様はどんなジルたちでも好きでいてくれるって……ジル信じてる」
きゅっと握られた手に、私ははっとなりましたの。ジルちゃんの言うとおりだなと……。何を不安に思うことがあるのでしょうか? マスターは人間じゃないと告白した自分達を正面から愛してくれているではありませんか。
例え今は色々な部分で将来に不安があるかもしれないとしても、まずは自分達が信じないと……。
すっきりしてきた自分の心が伝わったかのように、すうっと雨がやんでいくのを感じました。いつしか鳥の声も森に戻り、地面を陽の光が照らしだしました。それはキラキラと輝き、まるで地面に貴石の破片が無数に散らばっているかのようでしたの。
「見て、ラピス。お星さまがいっぱいあるよ」
「ふふ、そうですわね」
やっぱり、こういう時の感性はジルちゃんのほうが一枚上手のようでした。素敵な表現に微笑みつつ、ぱしゃりと自分も足を地面に乗せました。当然ぬかるんではいますけれど、雨の中よりはマシですの。それに、多少は私自身が操っていけばいいわけですからね。
「精霊様に挨拶をして、それから帰りましょうか」
「うん。またねって言うんだよ」
言うが早いか、水たまりを気にせず駆け出すジルちゃん。その後ろ姿を追いかけながら、私はそっと自分のお腹に手を戻します。思い出すのはここで感じたマスターのぬくもり。残念ながら、今の私達ではそのぬくもりからは命を生み出せませんの。だけど……なんとかなる、そんな予感がありました。
「ラピス―! 見て―!」
「はいはい。あら……まあまあ」
ジルちゃんに追いついて、滝を見上げたところで私はそんな声をあげて戸惑うしかありませんでした。小さな水晶に宿っていた精霊様は、いつの間にかその数を増やしてあちこちに漂っていたんですの。気のせいか、水晶も心なしか大きくなっているような気さえしました。
「ひとつ、ふたつ……たくさんいるよ! これなら寂しくないね!」
「よかったですわね」
私の隣で跳ねるようにしているジルちゃんはいつの間にか成長しているなと感じさせます。最初の頃はちょっと無口な女の子でしたけれど、最近は思ったよりも喋るようになっていると思いますの。自分で色々とやれるようになっていますし、自立した1人の女の子という気がします。そのことは嬉しくもあり……少しだけ寂しいなと思う時もあります。もう少し、妹みたいでいてほしかった、そんな気持ち。
「みんな最初の精霊さんより小さい……じゃああの精霊さんがおねえさんだよね。ラピスみたい」
「! ジルちゃん……」
なんということでしょう。ジルちゃんは……ごめんなさい、ちょっと感動で言葉になりませんの。だから私はそっとジルちゃんを抱きしめることで答えにしました。頭1つ分ぐらいは私の方が大きいです。けれど、今はそんなことが関係ないぐらい、ジルちゃんを大きく感じたのでした。
「ラピス、泣いてるの? いたいいたい?」
「違いますわ。嬉しくて……そう、嬉しいんですわ」
目をぬぐい、ジルちゃんを見つめました。くりっとした目が自分を心配そうに見上げていました。そんな顔はさせたくなくて、微笑んで見せるとジルちゃんも笑顔になってくれましたの。ああ、やっぱりジルちゃんには笑顔が似合います。
「よかった。じゃあ、かえろっ」
はじけるようなその笑顔に頷き、2人して駆け出しました。水たまりもなんのその。しぶきをあげて、それがキラキラと光る姿にもいつしか笑い出しながら、街へと戻りました。
(マスター、私……皆と一緒に最後まで貴方を愛して見せます)
そんな想いを、心に新たに灯して……。
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