JD-218.「蝶の止まり木」



「悪いね、汚いところで」


「そうでもないのです。ちゃんと掃除されてるですよ?」


 ニーナらしい一言が部屋に響き、沈黙を産む。まあ、確かにあちこちに物が置かれていたりして片付いてはいないけれど、掃除が行き届いているのか汚くはない。言葉の綾とかそういう奴になるんだけどニーナには関係が無かったようだ。


「ははっ! 面白い子だねえ。一番面白いのはそんな小娘を5人も連れてるアンタだけどさ」


「うっ、ばれてますか」


 部屋の灯りにカラスの濡れ羽色のような黒に光る長髪は腰ほどまで、若干おばさんになってしまっているけれど運動をしっかりしているのかドレスからわかるスタイルはなかなかのものだ。鋭さを感じる表情も相まって、氷の魔女、なんて言われていそうな見た目だった。状況的にはこの建物、このお店の……。


「そりゃそうさね。女連れがこの区画を歩くとしたら片方は商売女が常識さ。なのに連れ合いだって言うならね……普通は別の区画で宿をとるもんさ。そうでなきゃコイツがそうだったように酔っ払いに絡まれたって自業自得ってやつだ。ああ、遅れたね。助けてくれてありがとうよ」


「ありがとう……です」


 やや高そうな椅子に座り、そう大きな声で言う女性に続く形で少女が頭を下げてくる。さっきはしっかり話してたし、無口系というより人見知りしてるのかな? まあ、ついさっき怖い目にあったわけだから同じ男相手だ、無理もない。

 もしかしたら慣れているのかもしれないけれど……。


「通りすがりですからね、気にしないでください」


「だろうね。アンタならそういうだろうなって気がしたよ。いくらでも男を見て来たけどね、アンタみたいに鼻からこっちを馬鹿にしてこない男は貴重なのさ」


 ため息のような息を漏らしながら、女性が手にしたのはキセルのようなもの。ただ煙は出てこないのでハーブでも詰まってるのかな? 少女が手際よく何かの塊を先端に詰め込んでるからたぶんそうだと思う。


「わざわざ呼ばれたってことは自分たちに依頼です?」


「依頼? ああ……そう……なるのかねえ。まずはコイツ、娘を助けてくれたことに一言言っておこうと思ったのさ。後はそう、娘に声をかけてきた小僧はアンタの知り合いだろう? どうするつもりなのかと思ってね」


 どういう情報網があるのかはわからないけれど、クライドと俺達のことがもう知られているらしい。確かに外で話してた時もあったけど……こうでもしないと夜に生きるというのは難しいんだろうな。

 特別何か悪いことをしてるわけでもないので堂々としていようと思った。


「応援はしてますよ。ただ、一攫千金は後が続かないから地力をつけろってしてます」


「ふーん……5人も侍らせてる割には堅実じゃないか。それだけ稼ぐようには見えないけど……まあいいさね。一応言っておくと、本気で家から追い出さなくても構わないよ。要はちゃんと先のことを考えてくれればいいのさ」


 真面目な店の責任者であろう表情から、娘を心配する母の表情に変わった女性は大きく息を吐き、隣に座る少女、娘の頭を撫でる。その瞳には優しさがあり、外で花籠売りをさせているのも色々と意味があるんだろうなと感じさせた。


「私はこんな商売だ。そこに産まれた娘が他の生き方がなかなか出来るはずもない。あの小僧がそれを救い上げたいというのならそれで構わないさ。大事なのは、娘がそういう出だということで起きる物事から小僧が守れるか、守ろうと覚悟が出来るか……」


「クライド君は約束したもん!」


 唐突に、少女は叫んだ。その言葉に込められた感情に、俺もニーナも、母親ですら呆気に取られてしまう。大人しい感じだった少女が発した本音の叫びだった。どちらかとでもなく、静かに笑いが漏れた。

 ニーナは何やらうんうんと満足げに頷いているし、母親は片手を顔に当てて笑いを我慢しているようだった。


「ああ、好きにしな。ちゃんと覚悟を決めてきたら逆にお前をここから追い出してやるよ。おっと、そこのスケコマシ。改めて依頼がある」


「スケ!? そんなみんなをだましてるわけじゃ……まあ、依頼って? 俺たちも一応目的があるんだけど」


 そんなに急ぎではないけれど、半透明なあの子の依頼で穴の底にこっそりと行かなくてはいけないのだ。後回しにしておいていいことはないのは世の常だからね。かといって他の依頼を全く受けないというのも問題になるかもしれないから世の中難しいところだ。


「返事は聞いてからにしな。出かけた先で見つけたら確保してほしい物がある。大きさはまちまちだが……特徴がはっきりしてるからわかりやすいはずさ。マナを通すと水を産む水晶、その天然物さ」


「水晶……天然物?」


 まさかこんな場所で聞くとは思わなかった単語に動揺しかけるけど、なんとか我慢できた。水晶、というと元の世界で言う石英に関する物を最初に思い浮かべるけど、後に続いた内容からして俺たちがさっき出会った半透明な彼女の宿る物、そちらの水晶ということになるんだろう。


「ああ、そうさ。別に高い物じゃない。ただ珍しい物でね。主だった採掘場所は限られてるから……」


「天然にこだわる理由はなんです? 水が違うです?」


 ニーナの問いかけに女性が答えてくれた内容は次のような物だった。まずは見た目だった。天然物は形がそれぞれ違うから見ていて綺麗だということ。次に出てくる水が1つ1つ違うらしいということ。もちろん全部飲めるのだけど、若干何かが違うんだとか。軟水とか硬水かな?

 そして一番大きな物が、お守りとして持っていると精霊が宿ることがあるからということだった。


「持ち歩くこと前提だから大きくなくていいのさ。そうだね……拳ぐらいが限界か。どうだい?」


「期限が特にないなら……受けますよ。ちなみにだけど、その精霊がもう宿ってる奴でも問題はない?」


 それでもいいということなので、どうにも見つからなければあっちの彼女に相談しようと決め、俺はこの依頼を受けた。その後、親子に見送られて夜の街に再び出る。思ったより時間は過ぎていたみたいで、通りの人の様子も最初とは結構違うのが分かった。


「次に来る時は客だとありがたいんだけどね」


「それは遠慮しておくよ。じゃ」


 帰り際に一撃を入れてくる女性に俺も苦笑を返しつつ、みんなの待つ宿へとニーナと一緒に歩き出した。変に絡まれないよう、ニーナにはしっかり腕を組んでもらっているけど確かに体格を考えると人目を引くかな……ラピスの時もそうだったけど貴石解放しておくべきだっただろうか?


「自分はこのほうがいいのです。トール様にだっこされたり、座ってると包まれてる感じがして安心できるのです」


 聞いてみると、そんな可愛い答えが返って来た。思わずニーナを抱き上げ、そのままで宿へと小走り。少しでもこの可愛い姿を他の奴らに見せたくなかったと言ったら、怒られるだろうか?


 既に多くの人が寝ているらしい宿の区画を静かに抜け、ジルちゃんたちの待つ俺たちの宿へとたどり着く。もうみんなは寝てるみたいだ。夜も遅いしね……仕方ない。


「今日ももう終わるのです」


「また明日からも楽しい日々さ」


 寂しそうに言うニーナを励ますように撫で、その手がほっぺに移動するとすべすべした感触を感じられた。くすぐったそうに身をよじる姿に感じる物があった俺は誰もいない静かな宿の先でそっと彼女を抱き寄せ……。


「「「「じー……」」」」


 2階から注がれる視線とつぶやきに硬直するのだった。

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