JD-210.「疑惑の水」


「マスター、もう少しぎゅっと抱きしめてくださいな」


「こ、こう?」


 夜も更け、喧騒が耳に届く夜の街。その片隅で俺とラピスは抱き合っていた。灯りは表通りから差し込むわずかな物。おあつらえ向きに積みあがった木箱の上にラピスを座らせて、そこに押し倒すような姿勢で彼女を抱きしめる。

 鼻に届く柔らかな匂いは香水とかではなく、ラピスの体臭……というとちょっと変な感じだけどいい匂いだ。わずかな灯りがふくよかとは言い難いラピスの体と脱ぎかけの衣服による陰影を作り出し、古代の芸術品のような言いようもない魅力を生み出していた。


「あまり嗅がないでくださいな。少し恥ずかしいですわ」


「ごめん。だけどこの方がらしいってことでいいんでしょ?」


 この間の会話はずっと小声だ。離れた場所からは何を言っているかは聞こえず、愛を語らっているかのように見えるはずだ。ラピスが小さいままというのを除いて。

 見えない場所に感じる気配はまだ動かない。相手はこちらの様子をうかがっている……か。


「思った以上に重要な施設なのかもしれないね」


「水の供給施設、となれば想定しておくべきでしたわね」


 10メートルも歩けば人通りがあるような暗がりで少女と絡み合うというのはひどく背徳的で、通報待ったなしだろうけど今のところはそう言う気配はない。なぜなら、2人がいるのは繁華街、しかも夜のお店も多いそういった場所だからだ。


(こういう産業がしっかりしてるってことは悪い事じゃないんだろうけど……)


 考えつつもこちらを見ている相手に疑われないよう、ラピスの服をはだけ、それらしい行為に見えるように動いていく。外で、誰かに見られてるという状況は初めてだけど行為自体は初めてではない。むしろ普段ではありえないシチュエーションにどこか……おや?


「ラピスもドキドキしてる?」


「勿論ですわ。マスターがどうやってここから導いてくださるのか……ですけど」


 若干浮つき気味の俺と違い、ラピスはどこか落ち着いた様子で状況を楽しんでいるようにも見える。少女特有の高めの体温を手に感じながらの行為は観察者の気配が遠ざかるまで続いた。

 思ったよりもしつこかったけど、これでなんとかなるかな……?


「マスター、戻ってくるかもしれませんからしばらくはこうしていましょう」


「俺はいいけど……ちょっと我慢できないかも」


 我ながら情けないセリフを口にしながら、この状況に至った経緯を思い出す。




 健気に家、つまりは宿の手伝いをする少年少女と出会い、彼らの実家でもあるらしい宿にお世話になってから数日。俺たちはなんだかんだと溜まっていたらしい精神的な疲れ等を癒すべくのんびりとしていた。依頼を受けるでもなく、街を見回り、情報を集めた。そうしていくうちにわかってきたことがいくつかある。


 1つは街がここに出来た理由である大穴はやはり露天掘りをしている場所らしい。ただ、人間がこの場所を見つけた時には今と同じぐらい穴が大きく空いており、人は自分たちが掘れる範囲で掘っては一定期間が経過するとマナが集まり掘った場所が埋まるというサイクルを繰り返しているそうだ。

 他の鉱山等では同じようなことが起きる場所と、そのまま枯れてしまう場所とあるようなので何かこの場所に秘密があるんだと思う。マナの大きな流れがあるとかそういった感じでね。


 ともあれ、それだけでは人は暮らせない。井戸自体は掘ることが出来たがかなり深く、風車によるくみ上げが主らしい。それだけでは今後の拡張性に難がある……ということでとあるものをこの場所に持ち込んだらしい。それが石英等を燃料として動く施設……風車の中にあってビルような建物があったがそれがそうらしい。

 水を生み出す、それがその建物の中にある装置の力だと街の人は言っていた。逆に街を魔物から守るための結界は最小限になっているようだ。周囲に強い魔物がいないからというのもあるそうである。


「燃料を入れる限り水が出てくる……明らかに今の時代にはあってない技術レベルに思えるな」


「セバスとか土偶さんのお友達?」


 ジルちゃんの言うように、昔の人間が作り上げたものが残っていたか、復活させることが出来たか、まあどちらかだろうと思う。こういうのを作ってるのは……やっぱり国々の王都になるのかな? 重要機密になるだろうから手元に置いておきたいよね。


「出来れば近くで確認しておきたいわね」


「警戒は厳重そうなのです。正面からは……ちょっと大変なのです」


 みんなしてうんうんうなり、ようやく出て来た案は夜の騒動に紛れて近づくという物だった。そのためには6人では目立つ。男女ペアで……ということで何故だかじゃんけん大会が始まった。長く続いた勝負に勝ち残ったのはラピスだった。


「お土産よろしくねー」


「いって、らっしゃい」


 もうちょっと悔しがるのかなとか思っていた俺が拍子抜けするほどに、4人は俺たちをスムーズに送り出した。どうしてかと思い、街に出てからラピスに聞いてみると……ちょっと呆れた顔をされた。


「私も含めて、ちゃんと無理してもしょうがないってわかってるんですのよ。それに、マスターがこういう時に残った4人もちゃんと気にしてくれるのを知ってるからですわ。さ、まずは街に溶け込みましょうね」


「う、うん」


 余所行きといった服装になった可愛らしいラピスと腕を組み、俺達は夜の街に足を踏み入れた。宿から少し歩いた場所が繁華街という区画になっているのでそう遠くはない。一日の疲れをいやすためか、あちこちで騒ぎの声が響き、賑わっているのがわかる。


「随分と賑わってますわね」


「そうだね。思ったよりもお金が回ってる……のかな? それに、お店も種類が多いや」


 そう、見える範囲でもお酒メインで静かに飲むタイプや、居酒屋のように騒ぐタイプ、あるいは夜の蝶が舞っていそうなお店と様々だ。惜しげも無く貴石術を使う道具が照らす光は明るい物もあれば、独特の輝き……まあ、夜のそういうお店だってある。

 外に立っている女性たちは恐らくは呼び込みだろう。俺が1人だったら誘われていたかもね。


「ん? あんな小さい子が……」


「もう、マスターみたいな趣味のお店じゃないですわ。確かあのぐらいの年頃はああして仕事を覚えるんだとかどこかで見た気がしますの」


 ラピスの知識は石に宿っていたころにたまたま周囲で見れた物と俺からの知識に限るからきっと俺もそんな話をどこかで見聞きしたに違いない。忘れてるだけでね。


 視線の先では、ジルちゃんたちぐらいの背丈の子が花を飾った籠が並ぶ荷台の前に立ち、声をかけている。途中、酔っぱらってる様子の男がお金を女の子に渡して花籠を受け取り、建物に入っていく。よく見ると花籠の色合いや派手さにはいくつかの違いがある。営業中って感じの建物だから……まあ、入場券代わりってことか。


「昼間はよくわからなかったけど、この区画の先にあの建物があるんだね」


「そうですわね……住居よりも先にこういった店に水が行きわたるというのもある意味正解なんでしょうか……悩みますわね」


 街並を冷やかしながら、そろそろ繁華街も終わりというところで俺達は路地に入った。マナの動く気配を建物の方向から感じたからだ。入った路地には配管のような物が通っていた。そしてしばらくするとそこの中を水が通る音。先ほどのマナの動きは建物の中で水が産まれた物に違いない。


「気になるけど、これ以上は危ないかな?」


「そうですわね……っ!」


 急にラピスが抱き付いてきた。そのことに驚いて声を出そうとした俺の目に、路地の表のほうで人影が飛び込んでくる。見た目は衛兵って感じだ。俺は半ば本気で、何の用だろうか?といった顔をして人影を見る。


「あー、そんなところで何を?」


「何って……ああ、宿には飽きたんだよ」


 抱き付いたままのラピスが耳元にささやいたのは、プレイの一環として外でしようとしているという演技をしてくださいということだった。正直、驚きしかないけれど確かにこの状況では逆に自然と言えた。ラピスの見た目を除いて。


「んー? 物好きだな。それに相手も随分と小さいが……店の子を無理やり連れだしたとかじゃないだろうな?」


「違いますわ。ずっと旅してますの。背丈は気にしてるんですからあまり言わないでくださいな。ほら、見覚えありまして?」


 俺に抱き付いたまま、ラピスがからかうような声で顔を出すと人影、2人の衛兵は面食らったような様子でその場に立ち止まった。しばらくラピスを見た後、肩をすくめた。


「確かに、この街じゃ見ない顔だ。するのは結構だが、汚すなよ。後、これより奥は別区画だ。立ち入らないように」


「ああ、わかったよ」





 と、こうして俺達はなんとか衛兵の追及をかわしたわけだが……ラピスにはしっかりとすることはされてしまった。いや、途中から俺も本気だったから……うん。


「ふふふ……たまにはいいですわね」


「俺は気が気じゃなかったよ……これならまだみんなと一緒の方が気楽かも」


 それはそれでどうなのかと自分の冷静な部分が鋭く突っ込む台詞を口にして、俺はラピスを抱きかかえるようにして宿に戻るのだった。


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