第3話

「遅いっ」


 花壇に着いて早々、厳しい言葉が投げつけられた。


 腰に手を当てて仁王立ちしているその女子の眉は吊り上がっている。細身で、肩にかからない程度のショートヘアをしている彼女の名前は、早坂 遥。快活さを絵に描いたような見た目と性格をしているが、彼女は僕と同じ美化委員だ。


 今日は週に一度の水やり当番の日だった。美化委員に割り当てられているこの仕事は、毎週決められた曜日の朝と放課後にやらなければならない。


「そんなに遅くなかったでしょ」


「いや超遅い。どうせ美奈と図書館にでも行ってたんでしょ」


「う……」


 見透かされている。


 早坂は僕の反応を見ると、ニヤリと笑って目を細めた。


「はぁん。図星なんだ。かーっ、お熱いねぇ」


「うるさいぞ」


「なによ。私がサポートしたから付き合えたのにさ」


「ぐぅ……」


 再度口をつぐむ。


 それを言われると弱い。


 実際まさにその通りなんだ。僕が美奈と付き合えたのは早坂のおかげ。


 早坂は美奈と仲がいい。二年生になった当時、僕は美奈のことが気になってはいたものの、ほとんど接点がなく、話しかけられずにいた。そこで、同じ美化委員の早坂を通じて美奈に近づければ……と思って早坂と交流を持ったのだ。


 が、そうそうに早坂に、僕が美奈を好きなことがばれてしまい、以降早坂にはかなり相談に乗ってもらったり、サポートしてもらったりしたのだ。今だって、何かあれば早坂に相談に乗ってもらっている。


 そのことには感謝してるんだけど……。


「ラッブラブー。ラッブラブー」


 冷やかしてくるのはホントにやめてほしい。腹立つ。


 うるさい早坂を無視して、用具箱からジョウロを取り出す。


「うわ、無視だ」とか背中に聞こえたけど、これも黙殺。手早く近くの水道から、ジョウロに水を汲んでいく。


 これ以上はからかっても面白くないと思ったようで、彼女は声を普通のトーンに戻して僕の隣に並んだ。


「半分はやっといたから、水やり」


「あ、サンキュ。じゃああと半分やっとくよ」


「いいよ。手伝う。……どうせ暇だし」


「ありがと」


 ジョウロから水が溢れる。水は出しっぱなしのままで、ジョウロを持ち上げる。そこに早坂のジョウロが置かれ、再びジョウロに水が満たされていく音が反響する。


 歩くたびにジョウロの口から水をこぼしながら、花壇に水をやっていく。


 花壇に咲いている花は、若干しおれ気味だった。一筋の茎に、いくつもの赤い花をつけているこの花は、夏の真っ盛りのころは、夏の暑さに負けない、燃えるような赤い色をしていたが、今やしおれてその色にくすみが見えている。すでに茶色くなっているものもある。


「この花もそろそろ終わりかねぇ」


 少し離れたところで水やりをしている早坂がそう呟いた。


「次は何植えようかなぁ……」


 と、続けて楽しそうに思案顔をする。


 花壇に植える花は美化委員が決められる。といっても、その花を決めたがるのは、美化委員の中でも、早坂と他数名の女子くらいのものだった。この学校ではなんらかの委員会に所属しなければいけないため、基本的に一部人を除いて、委員会活動に積極的な人は少ない。


 僕もその一人だ。


「ね、葉山はどう思う?」


「うーん。あんまり興味ないなぁ。花の種類もそんなに知らないし」


「うーわ。美化委員失格」


「みんなこんなもんでしょ。花のお世話だけが美化委員の仕事じゃないし」


「まあねー」と適当な返事が返ってきたところで、ジョウロの水が切れた。再び汲みに戻る。その間も、僕たちは他愛のない話を続けた。


 僕が美奈のことが好きだと知られて以降、僕の中に早坂への遠慮の壁はないも同然だった。最大の秘密が知られている相手に変な気遣いもばからしいと思ってだ。


 大体、早坂自体さんざん冷やかしてくるのも悪いんだ。


「だからさ、早坂もちょっとは図書館行ってみたら?」


「イヤ。あんな辛気臭そうなとこ行きたくない。そもそも借り方知らないし」


「ああ……」


 そういえばそうか。


 すっかりクラスになじんでいるから忘れていたけど、早坂は転校生だ。

 父親が転勤族で、何度か転校を繰り返しているらしい。この学校にも五月に来たばかりだった。そのときに、誰にも図書室の使い方を教えてもらわなかったらしい。


 ……なんだが、学校側からも扱いが雑なのは少し、泣けてくる。

「なんなら、教えようか? これを機会に――」


「あ、そうだ。9月の23日」


 と、僕の言葉の上に、早坂の口をついた言葉が被さった。


「?」


 今月の23日?


 来週の……曜日的には日曜、だっけな。


 僕のいぶかしげな反応を見て、早坂は眉を下げながら奇妙な笑みを浮かべた。呆れているような、ばかにしているような……。


 どっちにしてもあんまりいい気分になる表情じゃない。


「なんだよ」


「バッカ。あんたその日美奈の誕生日よ」


「え!?」


 思わず立ち上がった。が、その際ジョウロをひっかけて靴に水がかかってしまう。


「アハハ、バーカ」


 相変わらずの反応にムッとしながら、しかしそこは無視する。


「ホントに?」


「マジマジ」


 靴下越しに感じているじっとりとした冷たさが、全身に広がった。

 知らなかった……。


 当然何も考えてない。


 いや、まだ全然間に合う。


「うわー。ホントにありがと。危なかったぁ……。教えてくれなかったら絶対そのままスルーしてたよ」


「彼女の誕生日くらい気にしろよ」


 再度スルー。


「どうしよ。プレゼントは渡すとして、せっかく日曜だからデートすればいいかな?」


「いいんじゃない?」


 手をひらひら振りながら、早坂は水の汲み終わったジョウロを持ち上げる。


「なんでもいいけど仕事しろ」


 急かされて僕も手を動かす。


 さて、どこに行こうか。頭の中で、いろんな場所が現れては消えた。


「なにか、美奈が行きたがってた場所とかないかな?」


「そんなピンポイントな……あ……そいえば、映画見たいとか言ってたよ。ほら、ハリーポッターの新作」


「あー! あれか」


 正直、僕は映画、それもファンタジー作品にはあまり興味はないけれど、美奈が行きたいと言っているならそこしかない。


「ていうかそれくらい自分で聞きなよ。もう彼氏なんだからさ」


「……」


 ごもっとも。


 まだ美奈と付き合っていなかったころは、彼女の趣味とか好みとか(おかげで本好きとわかって接近できた)いろいろ聞いたりしていたせいで相談癖がついてしまったらしい。


 予定が決まり、がぜん気持ちが高揚してきた。


 今日は九月一四日金曜日。あと九日後だ。


 僕の体に暖かい感覚が広がっているのは、きっと夕日を受けているだけのせいじゃないだろう。


「よし、日曜日には映画を見に行って、そのあと喫茶店で映画見に行って……」


 テンション高くそう呟く俺の視界の端で、早坂がため息をついたのが見えた。


 呆れられたって知るもんか。9日後が待ち遠しい。


 今まで何度もあったこの展開。毎週金曜の朝と放課後に行われる相談。


 だけど、これが早坂にした最後の相談になるとは、夢にも思わなかった。

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