第2話

 三年前


 図書室の雰囲気が好きだ。


 夏休みも終わり、まだまだ暑さの残る九月の日差しが、僕の頬を焼いていた。


 夕日に照らされた学校の廊下には、二人分の足音が木霊していた。

「それでね、そこでボリスが登場したときが、すごく感慨深かったんだ」


 僕の隣で感情を噛みしめるようにそう話しているのは、和泉 美奈。僕の彼女だ。


 肩甲骨に付くほどの長さのおさげ、切れ長な垂れ目と、小柄な体格から受ける印象に違わず、彼女は読書好きなおっとりとした少女だ。


 ゆっくりと話す特徴的な話し方で、美奈は最近読んだ本の感想を話している。彼女が笑うたびに、夕日の色がついた黒髪が揺れる。


 二人で向かっている先は図書室。これから本を返しに行くところだ。


 この学校の図書室は小さく、特別棟二階の端にひっそりとある。もともと校舎自体が古いことも手伝って、図書室内も全体的に古臭いものとなっており、あまり生徒には人気がない場所だった。テスト前でもなければ、埃くさい二階の端に行く生徒などほとんどいなかった。


 塗装の禿げが目立つ扉をくぐり、美奈と一緒に図書室へ入る。


 古い紙の匂いがいっぱいに充満した空間には、図書委員以外に二、三人ほどしか人がいない。


 日光で本の背が焼けないように窓の少ない作りをしているせいで、図書室の中は薄暗く、本棚が並ぶ列の先が暗がりになっている。もう少し日が暮れてこれば、図書委員が電気をつけるだろう。


 こんなお世辞にも明るい雰囲気じゃない場所だけど。僕はこの場所の雰囲気が好きだった。


 人がいないゆえに、本特有の紙の匂いが部屋いっぱいに広がっているところや、薄暗さが演出している落ち着いた雰囲気に、なんだか安心感を覚えるし、この利用率の低さが、逆にここを特別な場所にしているように思えてくるのも好きだった。


 カウンターにある返却ボックスに本を入れ、僕たちは次に借りる本を探し始めた。


 僕と美奈は、本の趣味があまり合わない。


 二人とも幅広く本を読むほうだが、僕はどちらかというと現代文学が好きだし、美奈はファンタジーの、それも長編が好きだった。


 自然と僕たちは分かれて、好きなジャンルの本が置いてある棚へと向かう。


 両脇に並ぶ頭の高さを超える本棚には、下敷きのような白いプラスチック板が何か所か差し込まれている。プラスチック板には、細長い紙が貼られており、そこには生徒の名前が書かれている。


 これは、この場所にあった本が今貸し出し中であることを示すものだ。同じものが僕の手にも握られている。


 この学校の図書室のシステムは少し面倒で、目当ての本を借りたければ、このプラスチック板に自分のクラスと名前が入った紙を貼り、それを借りたい本と入れ替わりに差し込んで、本の最後のページに付けられている貸し出しカードにクラスと名前を記入、カウンターに持っていかなければいけない。


 図書館の利用率が低いのは、この妙に面倒なシステムのせいな気もする。一年生のときに図書館の利用方法を教えられてそれっきりだから、ここのシステムをもう忘れてしまっている生徒も多いんじゃないだろうか。


 目的の本を二冊ほど持ってカウンターに行くと、既に美奈が本を借り終えて待っていた。


 本を借りて、図書室を後にする。


 僕たちが扉をくぐった後ろで、図書室の電気が付けられていた。


「何借りたの?」


 昇降口に向かいながら、美奈が首をかしげて僕がカバンにしまった本を覗くような仕草をした。


「『塵芥の家』と『マクロボトミー』ってやつ」


「あーまた暗い話のやつだ。たしか『塵芥の家』っていじめの話でしょう?」


「雰囲気が暗いだけで、こういうのってハッピーエンドで終わることも多いんだけどな。美奈は?」


「私は、『サレク・リアクタ』の三巻だよー。新刊で入ってたんだ」


「長編好きだなぁ。今何シリーズ並行して読んでるの?」


「えー? それはわかんないよ。もう全巻出そろってるやつもあれば、新刊待ちのやつもあるんだから」


 とはいいつつ、美奈は首をかしげて視線が天井を仰いだ。


「五、六……七シリーズくらい?」


「うわぁ、すごいね。僕だったら、ストーリー混ざっちゃうよそれ。一冊が長いならなおさら」


 というと、美奈はチッチッチといいたげに指を振った。


「それがそうでもないんだよね。ほら、快斗は文庫本よく読むでしょう? 文庫本くらい早く読み終わっちゃう本だと、七冊並行して読むのは厳しいかも知れないけど、長編だと一冊読むのに時間かかるから、物語に深く浸れて結構ストーリーが混ざらないんだよね。それに、新刊待ちしてるやつは、次が出るのにだいぶ間が開くから、あんまり並行して読んでるって感じしないしね」


「長編はそこが辛いよね。話忘れちゃいそうになるよ」


「忘れてまた初めてのように読み返せるとこが、またいいところなんだよー」


 と何気ない会話をしていると、昇降口までたどり着いた。


 いつもなら、このまま一緒に帰るのだけれど、今日はそういうわけにはいかない。


 僕は靴を履き替えると、美奈に手を挙げた。


「じゃあ、美奈。ここで。また明日ね」


「うん。また明日―」


 にっこり笑いながら、彼女が手を振る。


 僕は、それに手を振り返しながら、校舎横の花壇へと向かった。


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