第26話
僕は、車の中にいた。自然に囲まれた山道をずっと下っていた。源が僕に事情を説明し終えた後、担任の今畠も血相変えて僕のもとまでくると、「私が車だしちゃるから、行くよ!」といって半ば強引に車に乗せられた。そしてなぜか僕の隣には千堂も座っていた。
「なんで千堂さんがついてくるんですか」
「亨くんには私がついてなきゃだめだからね」
これ以上何を言ったところでこの人からまともな回答は返ってこない。流れる景色を見ながら自分のことについて考えていた。しかし、うまくまとめられるわけもなく、次々起こる事象に頭も心も追い付いていなかった。病院につくまで、なるべく何も考えないようにして、景色だけをぼうっと眺め続けた。
病院につくと、明かりはほとんど落ちていて、正面玄関からは入れそうになかった。裏口へ回ると明かりのついた扉があり、中に入ると保安室と書かれたプレートがぶら下がった部屋があった。僕たちの音に気付いたのか、中から警備服姿の男性が姿を現した。
「面会時間は過ぎてますよ」
「私の生徒の祖父が手術に失敗してるって聞いて慌ててきたんです、五〇六号室ですから、通してください」
僕が言う前に全部今畠が言ってしまった。
「そ、そうでしたか、では、これを」
男性はバインダーを差し出してきた。バインダーには、氏名、住所、名前、時刻の欄があり、それを書き次第入入館許可証をもらえるという手筈になっていた。
「私が書いとくから、あんたらははよ行ってきなさい!」
僕と千堂は入館許可証を受け取り、奥まった場所にあるエレベータに乗った。千堂とは特に会話を交わすことなく、六階に着いた。案内を見ながら、六〇四号室の場所を確認して向かう。
少しして、目的の病室が見えてきた。扉は開け放たれていて、中はざわついていた。
病室に入ると、ベッドで横たわる祖父を囲むようにして祖母と姉と医者が立っていた。
「姉ちゃん、おじいちゃん大丈夫なん」
姉は何も言わない。ベッドに横たわる祖父は、人工呼吸器のようなものを咥えている。そこには以前の口うるさい祖父の面影はなかった。
「隣の子は?」
「ああ、この人は千堂さん」
「どうも、亨くんの友達の、千堂千鶴です」
「あなた、千堂さん?」
姉の口ぶりはなぜか千堂さんを知っているようだった。
「知っているんですか?」
「そりゃあ、中学一年の頃だったかな。よく家で千堂さんの話してたよ。二年に上がったころからまったく聞かなくなったけど」
千堂は僕の方に少しだけ目線をやって、すぐにそらした。そして姉の言ったことを紛らわすように口を開いた。
「お父さん、なんで手術失敗しちゃったの」
千堂は、医者に向かって確かにそう言った。
「え? 千堂さん、お父さんって」
「そうだよ。朝日出先生は、私の実のお父さんなの」
姉と祖母は驚いたような表情を浮かべていたが、当人は眉一動いていなかった。
「手術は順調にいっていました。ですが、途中で手術の負担に耐えられなかったのか、脳梗塞を引き起こしまして、今回のようなことになってしまいました。このまま、目覚めない可能性も、ないとは、言えません」
部屋はしんと静まりかえり、祖父の横の機材から鳴る、ぶーという音だけが鳴り響いていた。重たい空気の中で初めに口を開いたのは、祖母だった。
「まあ仕方ないよ。手術をやる前からこうなるかもしれんと、先生がおっしゃっとったからのう。ようやってくれた方じゃ」
「本当に、すみません」
口では優しく言っていても、とても心配そうに祖父を眺めていた。姉もいつもは見せない表情で、祖父を見ている。一方僕はどうなのだろう。
僕はずっと、人に深入りないように生活してきた。それは家族に対しても同じだった。祖父や祖母も、僕が独り立ちするまでの資金援助をしてくれている存在だと思っていたし、手術が失敗したと聞いたときも、悲しいと感じることはなかった。
それなのに、今、どうしてこんなに胸が痛むのだろうか。
徐々に、鼓動の音が大きくなっていく。鼓動の一回一回が、体に釘を打ち込んでいるみたいで、痛い。この痛みは、なんなのだろうか。祖父を失ってしまうことで、将来の展望が揺らいでしまう事への不安からくるものなのか。それとも――。
「亨くん……」
「何ですか」
僕は言われすぐ、自分の顔に違和感を感じた。違和感のある場所に手を持っていき、そこに触れると、指は濡れていた。
「なに、これ」
何度拭っても、それが取り払われることはない。拭いても、拭いても、止まらない。
「あれ、なんでだろう。別に、僕は――」
僕は、悲しんでいるんだ。いや、正しくは、本当の僕が。そうだ、僕は偽物だったんだ。セーブデータを勝手に上書きしただけの、偽物。本物の僕が、悲しんで、泣いている。
偽物の僕をさらすのがいたたまれなくて、病室を飛び出した。
「亨、どこ行くと⁉」
姉の静止を振り切って、脇目も振らず走って、走って、走った。いくつもの階段を駆け上り、屋上へと繋がる扉の前までやってきた。
屋上は涼しい風が吹いていて、まるで僕の熱を冷ましてくれているようだった。おぼつかない足取りで欄干の所までいって空を見た。陽は完全に姿を隠し、黒一色で埋め尽くされていた。どうせなら僕もこの夜に溶けてしまいたい。
涙を拭くことは諦め、ゆっくり瞼を閉じた。わがままボタンを思い浮かべ、ボタンの中に僕を――。
刹那、後ろで扉が大きな音を立てて開いた。
「亨くん、だめ!」
僕は声の聞こえる方へ振り返った。そこには案の定、千堂が立っていた。
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