第25話

 千堂が話し終えてから、僕は千堂の言葉を冷静に、頭の中で整理していた。整理していた、つもりだったが、頭が追いつかなかった。もしも千堂の言っていることが本当だとしたら、僕は自分のことを、何も知らない。今の僕とは似ても似つかない、臆病で他人に優しくて、繊細。そんな自分のことをやすやすと信じるわけにはいかない。



「そう簡単には、信じられない」

「じゃあ、中学時代のこと、全部鮮明に覚えてる? 思い出そうとしても、何かがすっぽり抜け落ちてるみたいな違和感があるでしょ」


 図星だった。千堂の話を聞きながら、中学時代の頃を思いだそうとしていたが、所々抜け落ちていた。


「じゃあ、千堂さんの話が本当だと仮定して、どうして僕を許せたんですか。わがままボタンを使って、千堂さんとお兄さんを記憶から抹消した僕を」

「わがままボタンは本当に、すごいね。昔の記憶が、微塵も残ってないんだね。その問の答えは、亨くんの持ってる記憶帳の一ページ目の意味が分かったからだよ」

「その、意味って」

「終の住処のその先。それはつまり自分が死んだその場所のことを指すんだよ。亨くん、小さいときにご両親を亡くしてたよね。小学生に上がる前にお母さんを白血病で、お父さんを大腸がんで亡くしてたよね。一枚目を書いたのは、お父さんが亡くなった後の亨くんだよ」

「どうして、そんなことがわかるんですか」

「亨くんは、耐えられなかったんだよ。お母さんも、お父さんも失って、心が壊れてしまいそうだった。そして、わがままボタンが亨くんの心の中に生まれた。幼い亨くんは自分が死んだその先を、未来の自分に託したんだよ。終の住処のその先、おじいちゃんとおばあちゃんと、お姉ちゃんのことを」

「死んだって、どういうことなんですか。僕は生きています。ここに、確かに!」

「ううん、亨くんは一度死んだんだよ。お父さんを失ったとき、亨くんは『自分のこと』を記憶から消したんだよ。記憶喪失ってのは、一種の死だよ」



 僕はもう、自分が何者なのか、わからなかった。姿形は蓮見亨のもので、中身はまったくの偽物だったということだ。いっそすべて思い出してしまいたい。思い出して、本物の蓮見亨に戻りたい。今なら両親を失う悲しさや友達を失う悲しさにだって耐えられるはずだ。僕ももう子どもじゃないんだ。

しかし、僕の願いとは裏腹に、思い出すことは出来ない。わがままボタンは奪っていくだけで、与えることはしなかった。今だかつてないほどに希求したところで、僕が偽物なのは変わらない。



「何か思い出せた?」

「なにも、なにも思い出せない。思い出せないんだったらいっそのこと――」



 薄暗かった空も、深みを増して夜色に変わっていた。視界の端で広場を捉えた。千堂の話を聞いている間に随分と歩いたようだ。



「いっそのこと、全部忘れて――」



 その時、広場の人影がこちらに向かって走ってくのが見えた。人影は肩を激しく揺らし、こちらに一直線でやってきている。目を細めてその人影を注視すると、それが源であることが分かった。なにをそんな必死になっているのか、源は僕達の元まで走ると、膝に手をついて呼吸を荒げている。



「蓮見、大変だ。お前のおじいちゃんが」



 刹那、ポケットに入っていたスマホが震えた。僕は嫌な予感がした。ポケットからスマホを取り出して電源ボタンを押すと、姉からメッセージが届いていた。




『手術失敗。半身不随』




「源くん、おじいちゃんがどうしたの⁉」

「……手術、失敗したって」

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