第18話
「おーー、たっけーー」
前を歩く源が叫ぶようにな声で言った。源の元へ駆け寄ると、目の前には長大な吊り橋があった。床版は木の板が敷き詰められているだけで、ロープもそれほど頑丈なものには見えない。
「向こう見て! 吊り橋渡ったところに看板がある!」
「この橋を渡らないとあの問題は解けないってことか」
「吊り橋渡りも高得点たる理由みたいですね」
「じゃあ私いっちゃおー」
そう言うと千堂は勢いよく駆け出した。揺れる吊り橋の上を起用にバランスを取りながら、あっという間に向こう側に辿り着いた。向こう側からこちらに手を振りながら「早くおいでよー」と声を上げている。次いで源も同様に、軽快な足取りですぐに向こう側にたどり着いた。僕も高所に恐怖を抱くたちではなかったので、さっさと向こう側に渡ろうとしたら、進行方向とは逆の力が働いた。
「何ですか?」
僕は春原に服の裾を掴まれていた。
「あ、あの、その……」
「そんなに口籠ってたらわかりませんよ」
春原は僕から目線をそらしたまま、恥ずかしそうに口を開いた。
「こ、怖いんで、一緒に行って……くれませんか」
僕はその言葉に半分呆れたが、確かに女ならば怖いと思うのが自然なものだろう。千堂が女として特殊だという事をすっかりと忘れていた。
「わかりました。もう行きますよ」」
源や千堂ほど軽快ではないが、ゆっくり木の板を踏みしめながら、前へ前へと進んでいく。後ろにいる春原はずっと僕の服の裾を掴んで離さない。煩わしく思いながらも、離してくれなんて言ってしまえば冷淡な人間というレッテルを張られてしまう。それだけはごめんだ。僕は表向きには、親切で温情な心の持ち主なのだから。
吊り橋の下を眺めてみると、小川が流れていた。ここから落ちてしまえば、死は免れないだろう。そんなことを考えながら進んでいると、もう渡り切っていた。裾を握る手も離れたようで、感謝の言葉もない春原に一瞥も与えず、看板の方へと行く。
「なんだこれ……。なあ、蓮見はこの問題――」
源は看板の元へ歩み寄る僕を、愕然とした表情で見ていた。僕が何も怖がることなく吊り橋を渡ることが出来たのが、そんなに驚くようなことか。僕は源の態度に不快感を覚えながらも、気にする素振りを見せないように装い、看板の方へ進む。
「春原⁉」
突如、源が叫んだ。耳をつんざく程の大声だった。先程まで後ろで僕の服の裾を握りしめていた春原がどうしたというんだ。僕は後ろを振り返った。振り返るとそこには、春原が倒れ込んで激しい呼吸を繰り返している。
「楓ちゃん⁉」
看板を凝視していた千堂も異常事態に気が付いて、春原の元に駆け寄った。
「過呼吸になってる。このまま放置してたらまずいことになるかも」
「でも、なんで春原が……」
「楓ちゃんは昔から心臓があんまり強くない子なの。お医者さんからも激しい運動は控えるようにって言われてるの」
「千堂さんがどうしてそこまで知ってるんですか?」
「私は、その……。今はそんなことは良いから、早く下山してみてもらわないと」
皆異常事態に困惑しているようで、冷静さを欠いていた。僕はスマホで電話を掛けようとポケットから取り出して、電源を付けた。
「だめですね、ここも圏外です」
「じゃあ、俺が今から走って先生たちに状況を伝えてくるから、二人は何とか春原を施設の所まで運んできてくれ」
源は早口でそう言って、有無を言わさず走って行った。千堂は、倒れた春原に懲りずに声を掛けている。そんなことをしたところで状況が好転するわけがないのに。
「千堂さん、少しどいてください」
僕は千堂さんを半ば強引に押しのけて、春原に背を向けるようにしてその場に屈んだ。
「千堂さん、春原さんを僕の背中にのっけて下さい。おんぶしていけるところまで行ってみます。慌てていても状況はなにも変わりませんよ」」
「そ、そうだね。そうときまったら、すぐ行こう!」
千堂は倒れ込んだ春原をなんとか僕の背中に持たれかけさせた。僕はこの異常事態でも極めて冷静だった。冷静が故に、一つの疑念を抱いていた。
どうして僕は、率先して人助けを行っているんだろう。
「私にできること、何かないかな」
「今は特にないです。僕が疲れておぶれなくなったら、千堂さんと僕で春原さんの肩を持って降りてもらいます。それまでは体力温存しておいてください」
山登りするだけでもうんざりだというのに、下りは人一人を抱えて降りなければならなくなるとは、予想外にもほどがある。僕は隠すことなく大きくため息を吐いた。そして下山するためにゆっくり一歩を踏み出した。比べ物にならないほどに身体への負担は増えたけれど、存外自分にこれほどの力があることに驚いた。
「千堂さんも行きますよ――」
千堂の方を振り返ると、また、泣いていた。今日はやけに涙もろい。
「泣いたってしょうがないですよ」
「違うの、少しほっとして」
まだなにも解決していないというのに、何をほっとする暇があるというのいうのか。
「安心するのが流石に早すぎやしませんか」
僕は捨て台詞を残してそのまま広場を目指した。すぐに千堂が後ろからついてきて、背中にもたれかかる春原に声を掛けている。吊り橋の姿が見えなくなるところで、ふと後ろを振り返って、問題が張り付けられた看板を見た。距離が遠く、見えにくかったけれど、そこには確かにこう書かれていた。
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