第17話
「確かさっき蓮見くんがもらってたのって」
「千堂さん、さっき僕にくれた花の名前、わかるんじゃないの?」
「わかるけど、なんかこんなにあっさり解けちゃうのもなんだかなー」
答えがわかっているのならさっさと答えればいいものを、腕を組み、何かを企んでいる。
「じゃあね、亨くんが私の言う事なんでも一つ絶対に聞いてくれるって約束するなら、教えてあげてもいいよ!」
「…………は?」
なんで千堂さんが僕に対してそんなことを言うのか、まったく理解できなかった。それに、なんで僕が他人のいう事なんかきかなくちゃいけないんだ。果たして千堂さんという人はトラブルメーカーだ。
「なんで僕なんですか」
「ちっちゃいことは気にしなーい。で、どうするの? 聞いてくれないんだったら教えないけど」
千堂の後ろでは、源が拝むように両手の平を合わせ、「承諾してくれ」と言わんばかりに訴えかけてくる。
「なんで僕が……」
「さあ! 亨くんどうする!」
春原も僕に目で訴えている。頼みを聞いてやってくれ、と。断ってしまいたいけれど、ここで断ってしまえば、僕はノリの悪い人となってしまう。僕は高校生活を穏便に過ごしたいのに、このままノリの悪い人というレッテルを張られてしまえば、いじめに繋がりかねない。
「わ、わかりましたよ……。善処します」
「よし! 言質取れました。じゃあ教えてあげる。その花の名前は、勿忘わすれな草ぐさだよ」
源は嬉しそうに顔を綻ばせペンを走らせている。千堂の願いとは、一体何なのだろうか。まず普通のお願いではないことは千堂の人柄から自明だ。
「で、お願いってなんですか?」
「もうすこし先にとっておくから今じゃないよ」
これから僕は千堂さんのお願いとやらに怯えながら過ごしていかなければならないのか。先のことを考えて、疲労がどっと押し寄せてきた。すると春原が声を出して笑った。
「楓ちゃん、どうしたの急に?」
「いや、なんだか、三班がこの四人でよかったなーと思って。特に千鶴ちゃんと蓮見くんはずっと昔からの友達みたいです」
「確かに千堂さんと蓮見は結構なかよさげだよな」
「別に、そんなことないですよ。皆と同じですよ。ね、千堂さん――」
そういって千堂さんの方に目を向けると、さっきの花畑で見た時と同様に、涙を流していた。僕たちのことなど一切憚る様子もなく、一滴、二滴、三滴と次々に涙が零れていた。千堂を除く僕たち三人は突拍子もない目の前の光景に言葉を失っていた。
「あ、ご、ごめん、なんか昔のこと急に思い出しちゃった」
千堂は慌てて涙を拭きとり、笑って見せた。
「千鶴ちゃん、大丈夫?」
「ほんと大丈夫だよ。そんなたいしたことじゃないから」
「それならいいんだけどよー、蓮見、お前千堂になんかしでかしたりしてねーよな?」
「してない、してないですよ」
僕はデジャヴを感じていた。以前にもこんな状況に陥ったことがあったような、そんな気がしていた。僕の隣で、声も出さずにボロボロと涙を流す千堂の姿が。しかし思い出そうとしても思い出せるわけがなく、すぐに諦めた。
最近、僕にとって思い出すという行為は、ほとんど無意味なものになっていた。それほどに過去の記憶は欠落していて、僕は自分が、本当に自分なのかよくわからなくなっていた。
「今何時かわかる人いる?」
千堂の声で我に返った僕は、ポケットからスマホを取り出して電源ボタンを押した。
「今二時四十分です」
「蓮見、そんなすぐスマホ出したら先生に見つかっちまうぞ。でもそうだ、知識問題なら、最悪スマホで調べれば一発だな」
「でも、ここ圏外って出てるから、調べものは無理そうですね」
「まじかー、じゃああと二問も運任せってことだな。なら解けなかったときのために順位ポイントは絶対一位欲しいし、さっそく次の場所に行こうぜ。これからは下りだし道も安定してるからそんなに疲れないと思う」
おそらく後二問も知識問題だろう。僕たちのルートは高得点の問題を解くことが出来るが、問題数が少ない。つまりはハイリスクハイリターン。他の道を行っていれば、点数は低いものの何か所もの場所で問題を解くことが出来るからローリスクローリターンと言ったところだ。点数の低いところは多分なぞなぞだろうから、時間を掛ければいずれは解くことのできる問題だが、僕たちの場合は、問題の答えを知っているか知らないかの話だ。知らなければ時間をかけたところで意味がない。
先を急ごうとする源についていこうとした時、僕の背後から深呼吸の音が聞こえて、振り向いた。
「大丈夫です、気にしなくていいですから」
まだ何も言っていないのに、一方的にそう告げると、春原は歩こうとした。
「無理しない方が良いですよ」
「せっかく皆楽しんでるのに、きついなんていったら申し訳ないです。それに、これから下りだから、なんとか大丈夫です」
そうは言っても、とても大丈夫そうに見えなかった。これ以上源のペース合わせていれば、こいつはどこかで必ずどこかで倒れることは必定だ。
「源くーん、ここで少し休憩しよう! 僕少し疲れたよー」
すでに下り始めていた源に精いっぱい声を出して伝えた。
「わかったー、じゃあそっちは二人で休んでてくれ! 俺たちはここで待ってるから行けそうになったらいつでも降りてきてくれー」
「わかりましたー!」
久しぶりに大声を出すと、自分が思っていた以上声が出なくてびっくりした。反面源はこの山中でもよく通る大声で、普段から部活かなにかで声を出していたんだろう。僕は人ますこの場に座り込んだ。僕に倣うように春原も座った。
「なんか、すいません」
「僕が休憩したかっただけです」
「それでも、ありがとうございます」
横に人がいるのが残念だが、目を閉じて休憩に集中する。
ぽかぽか陽気が山の気候と相まって、心地いい気温だ。花がときたま吹く風に揺られ、甘い香りを運んでくる。両手の平を後ろの地面につけて、空を仰いだ。さっき千堂からもらった勿忘草と同じような青く大きな空と、わたあめのような白い雲。喧噪など微塵も感じられず、愛用していた耳栓もここでは必要なさそうだ。終の住処にするなら、こういうところがいい。
「蓮見くんは、今回の宿泊会楽しんでますか?」
僕がせっかく手に掴んだ休憩だというのに、春原は無神経に質問を投げかける。
「楽しんでないように見えましたか?」
「いや、別にそういうわけじゃないんだけど……。あんまり笑ってないなと思って」
図星を突かれ内心ドキリとしたが、平静を装いながら笑顔を作って見せた。
「僕はあんまり感情が表に出るタイプじゃないですからね。昔から今みたいなことよく言われてました」
僕が平然と嘘をつくと、春原は申し訳なさそうな顔をして「そうなんだ、なんか変なこと聞いてごめんなさい」と言った。
「逆に春原さんはどうですか? 楽しんでますか?」
一転、申し訳なさそうな顔から笑顔に変わった。
「楽しいです、すごく。私、中学の時は友達いなかったから、今こうして新しい友達ができただけでもすごい楽しいです」
新しい友達。僕はその新しい友達とやらの中に含まれているのだろうか。だとしたら、まったく迷惑な話だ。僕はこれから先も友達なんて存在を必要とはしない。記憶帳の二ページ目に記載されていた戒めを思い浮かべる。
「そうですか、それは良かったですね。高校の時にできた友達は一生付き合うことになるなんて言う人もいますから、大事にしないとですね」
春原のことだから、そうですね、とか即答するものかと思っていたが、一拍間を開けて、僕の目を見据えた。
「蓮見くんは、寂しいんですか?」
「……は?」
「蓮見くん、いつも皆から一歩引いて、傍観してるように、見えます」
春原のくせにまるで僕の内心をわかっている風な口ぶりに、憤りを覚えた。僕は自分のことを勝手に解釈されることが心底嫌いだ。
「なんでそう思うんですか?」
「なんで、なんでだろう。何となく、です」
大した理由もないくせに、他人の領域に土足でずかずか入り込んで、非常識な奴だ。きっと中学の時に友達がいなかったのも、無意識で他人のことを分かった風になって傷付けていたに違いない。僕はいもしないかもしれない春原の元友人たちを偲んだ。
「僕は別に構いませんけど、あんまり憶測で人のことを決めつけない方が良いですよ。それで傷付く人だっています」
「あ、ご、ごめんなさい……」
春原はまた申し訳なさそうな顔になって俯いた。これ以上春原と話していたら本当に思ったことを口走ってしまいそうだ。僕は立ち上がり、空に向かって大きな背伸びをした。空にはいつの間にか暗雲が垂れ込めていた。
「そろそろ行きましょうか」
「はい」
空の不気味な薄暗さが、これから先のことを暗示しているようで、僕たちの歩調は自然と早まっていた。源と千堂は花畑から少し降りたところにある木製のベンチに腰を下ろして何かを話しているようだった。
「源くん、千堂さん、いつでも行けるよ」
僕たちがいきなり話しかけたものだから、二人ともびっくりしていた。
「な、なんだ二人とももうそんなとこにいたのか」
源はどこか落ち着きのおない様子で、僕は違和感を覚えた。陽気さと体力だけが取り柄の源の顔は少し引き攣っていて、狼狽しているようにも見て取れた。
「源くん、なんだか顔色悪いけど大丈夫?」
「あ、ああ、大丈夫。それより、先を急ごうぜ。次は確か、吊り橋だったよな」
明らかに先程までとは異なる雰囲気に、違和感を感じざるを得なかったが、別に源のことなど知ったところで何か役立つわけでもないから、これ以上気にするのはやめよう。
「千鶴ちゃん、源くんとなに話してたの?」
以外にも春原も源の異変に気付いているようだった。
「んー? 別にーそんなたいしたことじゃないよ」
千堂は詳しいことを言おうとはせず、はぐらかしているようだった。春原は千堂の返答に納得していない様子だったが、それ以上はなにも聞いていなかった。
この四人の中に、不思議で不穏な空気が漂っているのを、ひそかに感じているのは僕だけだろうか。暗澹たる空に一層不気味さが増して見えた。そして先に歩いて行った源を追うように、次の目的地へ向かった。
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