第9話
中学の授業にもある程度慣れてきた五月中旬、亨は久しぶりに図書室に赴いた。小さな窓枠から中を覗くと、誰もいなかった。扉を開けて中に入ると、カウンターで本を読む生徒会長の姿があった。
「あ、どうも」
「あれ、久しぶりだね。僕のことはもう忘れてるものだと思っていたよ」
生徒会長は読んでいる本を閉じ、頬杖をついて亨を眺めた。亨は、生徒会長の『忘れているものだと思っていたよ』という言葉を少し、不審に思った。最後に会ったのは今から約一か月前、それほどの期間あっていなかっただけで忘れられたと思うのだろうか、と。
「君、周りには隠しているみたいだけど、僕の目はそう簡単には欺けないよ」
生徒会長は不敵な笑みを浮かべる。
「君、なんでも忘れられるんだろう?」
亨は息を呑んだ。どうしてばれてしまったのか、思い当たる節がない。このまま黙っていれば、イエスととられる、何か返答をしなければと、口を開く。
「ど、どういうことですか?」
「しらばっくれても無駄だよ。入学式当日の朝、僕は道に迷っている君を見かけて声を掛けた。君は泣きそうな声で学校まで道案内してくれって言ってたよ。そんなことがあったにもかかわらず、入学式が終わった後にはまるでなかったことのように忘れていた。なんせ、『今朝は早起きしたから間に合いました』なんてこと言ってたからね」
亨は図書室の前で生徒会長と初めて出会った時のことを思い出した。生徒会長の、自分をいぶかる視線、あれは、そういうことだったのかと、合点がいく。弁解しようにも、喋り上手とはかけ離れた亨に、この状況を覆すことなど出来るわけもなかった。
「とまあこんなこじつけ――」
「すみません、黙ってて。先輩の言う通りです。騙すつもりはなかったんですけど、誰かにいたところで、気味悪がられるだけだから……」
「え?」
白状した亨を見ながら、度肝を抜かれた生徒会長が固まった。亨もわけがわからずに「え?」と声を漏らした。
「……本当なの?」
「本当なのって、先輩だってそう思ってたんじゃ……」
静かな図書室に、重い沈黙が落ちた。まるで時か止まったみたいに、二人はしばし固まって、やがて口を開いた。
「はは、まさか本当だったなんて、なんか、すごいな」
隠し通すことが無理だと、亨は判断した。
「僕は、心の中にボタンを飼っていて、このくらいの大きさの――」
「まってまって、そんな立ったままじゃなくて、椅子持ってきてじっくり聞かせてよ」
亨は促されるままに長机にある椅子を、カウンターの前まで持ってきた。生徒会長と向き合うと、目が燦々と輝いているのが見て取れた。亨はわがままボタンのことを他人に話すことが初めてで、何から話していいのか迷っていると、まるで亨の内心を見計らうように「大丈夫、ゆっくりでいい、君の話を聞かせてよ」と生徒会長は優しく言った。亨はその言葉に安心して、ゆっくり、わがままボタンのことについて語り始めた。
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