最終話「終わる世界とその秘密」2
「時間とは何か……端的に言えば時間とは順番に過ぎない。今日が十月十四日なら昨日は十月十三日だったということ。君が今十四歳だったのなら次の誕生日で十五歳になるということだ」
「時間は順番……」
時間は順番である。それも何かで読んだ記憶があった。確か著名な数学者の本だった気がする。彼は時間は人間の作り出した幻想であると説いていたはずだ。
「そう、時間はただの順番だ。だから人によって進む速さも違うように感じるのだろう。楽しいことをしていれば早く進むし、暇なときや嫌なことをしていれは長く感じることもある。小学生の頃の一日と大人になってからの一日だって違ったように感じるはずだ。そしてSF作品に出てくるウラシマ効果のようなこともある。そうやって時間の早さが変わってしまっても、順番が変わることはない。十四歳の君が十三歳に戻ることはないのだ。もし仮に君がタイムマシンで一年前に戻ったとしても、君が十三歳に戻るわけではない。だから時間というのはただの概念。実際に存在しているのは順番だ。君が歴史を勉強するときもそこにあるものは時間ではなく順番であるはずだ。戦国時代があって、安土桃山時代がある。そして次が江戸時代。君はどこからでも勉強出来るが、実際にあった順番が変わるわけではない。それが時間と呼ばれる順番だ」
「時間が順番だという意味はわかります。でも順番通りに進んでいるということは時間が例え概念に過ぎなかったとしても、わざわざ順番と言い換える必要はないんじゃないでしょうか」
「なるほど。私の言葉が足りなかったようだ。時間とは出来事を順番通りに並べるために必要な概念だ。この世界には時間という順番がある。それは確かに存在している。しかし順番通りに始まり、順番通りに進むとは限らない。未来が先に生まれ、そこから逆算するようにして、今、過去と作られていくことだってあるのだ。過去や今に未来は影響を受けるように、未来もまた今や過去に影響を与えている」
それは僕の理解を超える衝撃的な言葉だった。順番が存在にしているのにかかわらず、今より先に未来が存在することがあるのだという。
「それは目標や願いを持つことに似ているのかもしれない。ある少年は幸せになりたいと願った。そのためにはお金が必要だった。だから良い会社に就職して偉くなることに決めた。そのためには良い大学に入る必要があった。良い大学に入るためには良い高校に入る必要があった。良い高校に入るためにはたくさん勉強しなければならなかった。だから少年は勉強を始めた。もっと簡単に言えば、翌日の予定を立てることだってそうだ。明日朝早く起きなければいけないので、今日は早く寝ることにする。さらに今日早く寝られるようにと、いつもしている昼寝はしなかった。それは未来が今に影響を与え、過去にも影響を与えていたということだ」
「それは……流石に詭弁ではありませんか」
「ふむ……我ながらわかりやすい例えだと思ったのだが。しかしそれが事実。時間とはそのようなものなのだ。因果がどこから始まるかはその時々。そこから波紋のように広がっていく。未来に生まれた因果は、更なる未来に、そして今に、更に過去へと広がっていく。例えば君だってこの世界の始まりから存在していたわけではない。ある日突然、君はこの世界の途中に産声を上げた。君が誕生したそのとき、既にこの世界には過去があった。いつだって始まったそのときには、もう過去はあるのだ。確かにこの世界には時間と呼ばれる順番は存在する。しかし1から始まるとは限らない。3から始まることだってあるのだろう。だが3があるということは2と1もあったということなのだ」
順番はあるが順番通りとは限らない。その意味が僕にはいまひとつ理解出来ない。
でもわからなくて当然なのかもしれない。きっと創造主の視点から見れば順番通りではなかったとしても、僕の視点から見れば僕の人生はいつだって順番通りだったはずだ。
あ……それでも僕にとって、僕以外の人生は順番通りではなかった。例えば僕は母の人生の途中で生まれた。母の過去を順番通りに知ったわけではないし、今でも僕と一緒にいないときの母のことを知るには後からになる。それでもそれは知らなかっただけで、すでに起きた出来事だ。
駄目だ……いよいよ本格的に混乱してきた。
しかしそんな僕を気にすることなく、創造主は言葉を続けていく。
「私はこの世界を、この宇宙を無からそうぞうした。それは君たちがビッグバンと呼ぶものだ。この宇宙には百億年以上の歴史、過去がある。しかしだ、始まりが無つまり0から1が生まれたそのときだったとは限らない。もしかしたら始まりは今日だったのかもしれない。あるいは今であるのかもしれない」
その言葉を聞いて、ドクンと心臓が強く脈打った。
「そしてここで君の質問の中の一つ、鶏が先か卵が先かだ。順番で言えば鶏がいるということはそれ以前にヒヨコだったときも、卵であったときもあったということだ。そしてそれを生んだ母親の鶏だっていたはずだ。ではどちらが先か。それは世界の始まりがいつであったかということだ。もしそれが今日であるのなら、それは同時だったということだ。この世界にはすでにどちらも存在していた」
衝撃的な事実や難しい言い回しで、とても理解が追いつかない。創造主はそんな僕の様子を楽しんでいるみたいに更に話を進めていく。
「さてこれから核心に迫っていくに当たって、君の質問にはなかったが言葉について話す必要がある。君たち人類は自らが三次元空間に在ると考えている。幅、奥行き、高さの三次元。その中に時間を入れて四次元とするような意見もあるが、そうではない。本来もう一つ入れるべきものは言葉だ。人間にとってのこの世界はまず言葉によって成り立っているのだから」
顔こそ見えはしないが、そう言って創造主は笑みを浮かべた気がした。
「すでに言ったように、私はこの世界を無からそうぞうした。そうぞうが始まる以前は何もなかった。闇すら存在しなかった。しかしたった一つ、それだけはすでに在った。それは物質でもなければ、空間でもない。それこそが言葉だった」
今までになく創造主は熱く、力強く語る。
「この世界にある宗教の中にもこんな一節がある。『初めに、言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。全てのものは、言葉によって出来た。一つとして言葉によらないものはなかった』それは真実だ。私がこの世界のぞうぞう主ではあるが、言葉は私より遥か以前に存在していた。まず言葉が在ったのだ。それを用いて私はこの世界をそうぞうした」
この世界を創造主は言葉を用いて創造した。聖書の中の神も「光りあれ」と言葉にして光りを創造し、空も海も大地も言葉を紡いで創造していった。古来、日本にも言霊という概念がある。声にした言葉に力が宿るという思想だ。
しかし問題なのはそんなことではない。世界が創造される以前に言葉が在った。創造主はそう言ったのだ。
僕が持つ知識では、言葉とは人間が生み出した意思を伝達するためのツールだ。もちろんそれが言葉の全てではない。犬には犬の言葉があるように創造主もまた、僕たちの言葉とは別の言葉を用いて、この世界を創造したのだと考えることも出来るはずだ。それなのに今、創造主は僕の知る言葉を使っているからだろうか、創造主が世界の創造に用いたのは僕の知る、この言葉である気がしてならなかった。
「しかしそれは私に限ったことではないだろう。君も何か新しいものを想像するとき、言葉を用いるはずだ。例えばこの世界には存在しない不思議な動物を頭の中で思い描くとしよう。羽根の生えた猫や火を吐く犬と言葉を重ね、組み合わせて想像する。そういうことなのだ。この世界は言葉によって形作られている」
確かにそうだ。僕は何かを想像するとき、それが新しいものに限らず言葉にして想像する。
「そして君が何かを感じるとき、それもまた言葉であるはずだ。喜びも悲しみも何だってそうだ。うれしい、悲しい、痛いや眠いも、君は感じるそのとき、言葉にして感じているだろう。そして記憶。何かを思い出すとき、それもまた言葉だ。幼い頃の思い出に昨日食べた夕食。映像として思い出すことだって出来るかもしれない。しかしそれより前に確かに頭の中で言葉にして思い出しているはずだ。感情に記憶……そう、すなわち心もまた言葉で出来ている。例えば物心つくという言葉がある。まるで幼子がそれを期に心を得るかのような言い回しだ。確かに物心つく以前の記憶はほとんどない。あったとしてもそれはひどくおぼろげか、または両親などに話を聞いてあたかも覚えているかのように錯覚したものだろう。では幼子に物心がつくのはいつの頃なのだろうか。その答えは簡単だ。言葉を理解しはじめる頃だ。言葉にすることで人は感情を確かなものと感じ、物事を記憶し蓄積していく。言葉を得ることで人は心を得るのだ」
そういえば創造主は初めに言っていた。心とは言葉に過ぎないと。今になってその意味することの真実が理解出来たのかもしれない。
過去の記憶が心を形作る。うれしいも悲しいも、熱いに寒いだってその基準は過去の記憶の中にある。十五度の気温を暖かいと感じる人もいれば寒いと感じる人もいるだろう。それはきっとその人の過去の経験に由来する。それと同じように自らの死を悲劇と嘆く人がいる一方、それを願い望む人だっている。その全ても過去に由来するはずだ。
そしてその過去の記憶も、今湧き上がる想いもまた言葉なのだ。
きっと過去の記憶の一切を失えば僕は何も思わない。言葉の全てを失ってもまた、僕は何も思うことは出来ないだろう。
そういうことなんだと思う。
「いい顔をしている。とても楽しそうだ。それでこそ私も話し甲斐がある。それではどんどん続けていこう。私は今、心は言葉で出来ていると言った。そしてさらに言うと、人もまた言葉によって出来ている。私に君の父親のことを教えてくれるかな」
父のこと……そう問われて、僕は父のことを言葉にしていく。
「えと……名前は
「なるほど。今君は多くの言葉を用いて自分の父親のことを私に教えてくれた。そういうことなのだ。たくさんの細胞が集まって人を形作っていることと同様に、たくさんの言葉が集まって人を形作っている。そしてここがポイントだ。確かに人は言葉の集合体だ。だが同じ人物であっても、思い描く側によってその言葉が違ってくる。君にとっては優しい父親も、君の父親の働く会社の部下にとっては厳しい人物として映っているかもしれない。そもそもその部下にとっては肩書きが父親ではなく上司であるということだ。だから同じ人物でも思い描く側によって全く違う言葉で構成されている。君の父、叶英雄は彼を知る人と同じ数だけ別々の形でこの世界に存在している。まぁこれは人に限ったことではない。この世界に在る全ての物に言えることだ。カエルをかわいいと捉える人もいれば、気持ち悪いと捉える人もいる。トマトをまずいと感じる人もいれば、おいしいと感じる人もいる。人は皆別々の世界に生きている。それぞれの言葉で形作られた、それぞれの世界を持っているのだ」
言っている意味は理解出来た。だけど実際の人間が言葉で出来ているわけがない。それでも僕の視界の外に広がる、あるはずだと頭の中で想像し補われている僕の世界。それは言葉で出来ているのかもしれない。
現に今、目蓋を閉じ頭の中で父を思い描いてみても、目蓋の黒いスクリーンの中に写真のようなしっかりとした絵は浮かんでこないし、声だって聞こえない。頭の中に浮かんでいるのはなんだろう……小さな光の玉のようなもの。その中に父との思い出、僕から見た父のイメージ、そんな父に関するいろいろなものが言葉になって詰まっている気がする。
今までは何かを頭の中で思い浮かべたとき、映像として思い浮かべられていると思っていた。でもそうじゃなかった。それは思い浮かべるというより、考えているというほうが正しかったのかもしれない。
創造主の言う通りだ。僕の頭の中にある僕の世界は言葉で出来ていた。
「少し話しが変わるが、君は二重スリット実験やシュレーディンガーの猫という実験は知っているだろうか」
「二重スリット実験は名前を聞いたことがあるくらいだけど、シュレーディンガーの猫の方は知っています」
「そうか、ではシュレーディンガーの猫を例に挙げて話をしよう。まず私にその実験がどんなものか、説明してみてもらえるかな」
「わかりました。えと……外から中の見えない箱の中に猫を入れて、ボタンを押します。そのボタンを押すと五割の確立で、箱の中に毒ガスが発生して中の猫は死ぬ。ボタンを押したとき、中では何が起きているのかがわからない状態なので、箱を開けて中を確認するまでは猫が死んでいる可能性と生きている可能性が同時に存在していることになる。そんな感じだったと思います」
「ふむ……つまるところ、観測するまでは全ての可能性が同時に重ね合わせた状態で存在していて、観測して初めて世界は一つの可能性に収束し確定するということだ。ではその観測とは、君はなんだと思う?」
「見ることじゃ……ないんですか?」
「なるほど。その見るというのは誰であってもいいのだろうか。例えば犬であるとか、カメラで録画して君がそれを確認する前、すでに確定しているのだろうか?」
「録画したものを確認するまではシュレーディンガーの猫のような状態だから、自分の目で見ることが観測です。もちろん犬の場合も駄目です」
「だったなら、君の母が見て君に結果を教えてくれるという方法では、観測ではないということかな?」
その場合はどうなんだろう。考える。自分以外は嘘を吐く可能性だってある。偽りの情報で世界が確定することはないはずだ。だったらやっぱり、自分でなければ駄目なのだろうか。でも自分で見たとしても、見間違えることもあるだろう。他にも見た瞬間に、見た記憶を失ってしまった場合はどうなるのだろう。
「タイムオーバーだ。答え合わせをしよう。結局のところ確定するのは君がその言葉を信じ記憶したときだ。直接見る必要はない。君が母の言葉を信じ、それを君の世界の中で反映させることに決めたのなら、そのとき君の世界は確定する。すなわち観測とは見ることではなく言葉にすることだ。そう、この世界は言葉で出来ている。言葉にするまではすべてがあいまいな状態だ。例えば君は隣の家の家族が飼っているペットが何かを知っているだろうか?」
「知らないです」
「では現段階では君にとって隣の家族が飼っているペットが何であるかは、何も飼っていない可能性を含めて無限の可能性がある。しかしここで私がその答えを言葉にすれば、無限にあった可能性が一点に収束する。そうやって言葉が君の世界を形作っていくのだ。例えそれが嘘であったとしても、それを信じたのなら、それが嘘だと知るまでは君の世界にとっての事実となる」
確かにそうだ。僕が信じた言葉が、僕にとっては真実であり僕の世界を形作っている。
幼い頃の僕はサンタクロースを信じていた。その頃の僕の世界には本当にサンタクロースは存在していて、クリスマスイブの夜にプレゼントを枕元に置いていってくれるのはお父さんではなくサンタクロース本人だった。もちろん今はそれが真実ではなかったことはわかっている。それでもあの頃の僕の世界ではそれが真実だったんだ。
「それではさらに言葉と脳の関係について話を進めていこう。人間には五感が存在する。それを使って自分の外の、世界の情報を取り入れている。しかし肌が感じた痛みも、瞳に映る風景もそれは脳に伝わって初めて感じることが出来るのだ。人間は脳という装置を介してしか、世界を認識出来ない。人間は世界を、脳が翻訳した物語でしか理解出来ない。そしてその物語は言葉で綴られているというわけだ。人間の脳をパソコンで例えるのなら言葉はOSだ。言葉を用い、脳を介して世界を認識している。世界を脳の中に収めるとき言葉に変換する。だから言葉に置き換えたとき、世界は確定する。君たちは言葉が自分以外の誰かに意思を伝えるために存在するのだと思っているが、それは間違いだ。言葉とは自分がこの世界を知るためにこそ必要なのだ」
「でも、思い浮かべるのとは違って、この瞳に映る世界は確かに見えます。言葉に変換される前の世界も僕は認識出来ています」
「瞳に映る世界を否定してはいない。ただその世界を理解するとき言葉が必要なのだ。今、君の視界の中には窓がある。それは確かにある。しかし窓があると思うのはもちろんのこと、少しだけ開いているなと思ったり、入ってくる風が心地よいと感じたりしたのなら、それはもう言葉に変換されている。言葉にするということは瞳に映る世界、つまり君の外の世界を君の中の世界に落とし込む作業なのだ。言葉にしてしまったのなら、それはもう君だけのものだ。なぜなら君にとっては窓でも別の誰かにとっては出入り口かもしれない。君は少ししか開いていないと思っても別の誰かは大きく開いていると思うかもしれない。君には心地よい風も別の誰かには冷たく感じるかもしれない」
「僕は僕の外に在る世界を五感で感じ、それを脳で言葉に変換して理解し、記憶して僕だけの僕の世界を形作っていく」
「その通り。そして君の質問の一つ、平行世界の存在だ。別の選択をしたifの世界、それは想像の中にしか存在しないだろう。この世界は必然という因果によって、選択はいつだって確定している。しかし人はそれぞれに別々の世界を持っている。それはこの世界の中に並列で存在している。トマトがおいしい世界に、トマトがまずい世界。百万円が大金の世界に、百万円がはした金の世界。それは価値観や常識の違う、似て否なる世界だ。それを平行世界だと捉えることは出来るのかもしれない」
確かにそれは平行世界と言っていいほど別の違った世界だ。人それぞれに価値観や常識、持っている知識によって世界は全く別なものになるだろう。よく漫画などで目にする「君とは住む世界が違う」というセリフ。それはきっと比喩などではなかったのだ。
「他にも記憶違いや嘘、意思疎通のミスなどで人は真実と異なった世界に生きていることもあるだろう」
なるほど。僕は中学受験はしなかった。でも祖父母にそのことを相談したことがある。もしかしたら祖父母は僕が中学受験をしたと思っているかもしれない。そうしたら祖父母の世界では僕は中学受験したことになっている。それは真実とは異なる、僕の世界とは違う別の世界だ。
「それではここからが核心だ。ここまではこの世界の紐解く鍵を与えたに過ぎない。これから一つずつ扉を開いていくことになる。さぁ、答え合わせを始めよう」
そう言って、一呼吸おくと創造主は言葉を続けた。
つづく
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