最終話「終わる世界とその秘密」1

                 かのう つばさ 十四歳



 誰だって一度くらいは考えたことがあるはずだ。この世界に生きているのは本当は自分だけで、他の全ては舞台装置のようなものにすぎないんじゃないのかって……

 それだけじゃない。他にもいろいろな可能性について僕は考え続けてきた。

 例えば、わずか十秒前にこの世界は今の形で誕生した。僕は十四年前、母から産まれてきたのではなく、十四年前に母から産まれたという過去の記憶を持って、十秒前にこの世界と共に誕生した。それはまるで夜眠りについた後、突然に始まる荒唐無稽な夢にだって過去の記憶があるみたいに。

 他にもこの世界は高度なコンピューターの中の仮想現実であるとか、脳だけになった僕が水槽の中で見ている夢だとか……そんなふうにいろんな可能性について考えた。どれも途方もなく現実離れした考えではあるが、それを百パーセント間違いだと否定することは出来ない。

 きっと……どこかに答えはあるはずだ。

 僕はいつだってこの世界に違和感を持っていた。世界はまるで僕と一緒に広がっていくみたいだった。僕が部屋を出るためにドアを開けたとき、部屋の外が生まれた。僕が昔を思い出せば、そのとき初めて僕に過去が生まれた。世界は僕を少しだけ先回りして、僕に気づかれないようにこの世界を形作り補っている。そんな気がしてならなかった。

 僕は今、前を向いている。視界の及ばない僕の背後に、今も世界は存在しているのだろうか。

 僕はまず、振り返ることなく目蓋を閉じて、背後に在るはずの世界を頭の中ではっきりと思い描く。そしてゆっくりと振り返った。

 世界はそこに在った。それは思い描いたままの世界だった。本棚の傷も、掛け時計が少しだけ傾いているのも想像した通りだった。

 本棚の傷について思い出してみる。この本棚は通販で買った。完成したものが送られてくるのではなく、バラバラのパーツが送られてきて自分で組み立てるタイプだった。そのとき組み立てに少し失敗して出来てしまったのが、この傷だ。時計が傾いているのは、いつだったかは正確に思い出せないけど、前回電池を換えたときに傾いてしまったのだが、直すのが面倒でそのままにしてあるだけだ。

「あ……」

 視界の中に一つだけ思い描いたものと違うところをみつけた。本棚の中にある全三十四巻の野球漫画。十四巻と十三巻の位置があべこべだ。十二、十四、十三、十五の順番になってしまっている。きっと前読んだときに入れ間違えてしまったのだろう。特別に不自然なことじゃない。

 真っ白な天井、丸い形の蛍光灯カバーの中で死んでいる小さな虫たち、花柄の壁に十月のカレンダー、ゴミ箱の中には昨日食べたスナック菓子の袋が捨ててある。

 世界は完璧だ。

 それなのにどこか辻褄が合わない気がする。何かはわからないけど違和感がある。僕は昨日も本当に僕だったのだろうか。確かに思い出そうとすれば、昨日の出来事は簡単に思い出すことが出来る。でもその記憶は本当に僕が自身で体験した過去なのだろうか。わからない。思い出せるだけで、それが真実だと証明することは出来ない。

 そもそももうすぐ世界は終わるというのに、まだ中学二年生の僕がどうして一人なのだろう。

 理由はあった。やっぱり思い出すことが出来た。僕の両親は共通の知人の結婚式で昨日から出かけている。電話がないのは僕たち家族が使っている携帯電話が今、つながりにくいメーカーのものだからだろう。

 しっかりと僕の現状を納得させるだけのものは用意されていた。それでも、やっぱり違和感は拭いきれない。何か特別な力の存在を感じる。この世界に特別な意思の介入を感じる。世界が今日終わってしまうのも、僕が今一人なのも、僕が十四歳であることさえも、全てが偶然ではなく必然で何か特別な意味を持っている気がする。

 今日、世界は終わる。僕は死ぬ。そうであるならせめて、死に至るその前に、この違和感の正体が知りたかった。

 僕はそう強く、強く願った。

 そのときだった。不意に声が聞こえた。

「やあ。終末をいかがお過ごしかな?」

 どこからかではなく、僕の頭の中でその声は響いていた。

「この世界はもうすぐ終わる。そんな中、君はただ知りたいと願った。私は君の願いを叶えることが目的で現れたわけではない。私の目的は君の物語をハッピーエンドへと導くこと。だから私は君に問う。君はそれを知ることで幸せの中、終わりを迎えることが出来るのだろうか?」

「はい!」

 僕は迷うことなく頷いた。

 終わる世界を前にして頭がおかしくなったわけではない。この声の主こそが僕の求めていた答えに違いなかった。なぜだろう……そう確信に至るのに理由すら必要としなかった。

「それはよかった。では君の質問に答えることとしよう」

「その質問はどれくらいいいんですか?」

 相手の声は頭の中に響いてくるのだが、僕は質問を口にする。

「時間が許す限り、いくつでも」

 傾いた時計を見上げる。十二時十分。世界が終わるまで後二時間半はある。

「どうして僕の前に現れて、どうして僕の質問に答えてくれるんですか?」

「今言ったように、君の物語をハッピーエンドに導くためだ。そのためにはそれが必要だと感じた。そしてそれもまた面白そうだと、私が思ったからだ」

「面白そうだから?」

「そう。面白そうだからだ。この世界においてそれはとても重要なこと。例えば君の人生がこれから面白いことは一つもないとわかっていたとして、それでも君は生きる意味があると思えるだろうか。君が本を読むときも、映画を見るときも、遊びに出かけるときも、それは面白そうだからであるはずだ。面白そうという感情は何にも勝るモチベーションだ。さあ、時間は有限だ。どんどん質問してごらん」

「あなたは神様ですか?」

「うーん……少なくとも私は君たち人類が信仰するどの宗教に登場する神でもない。そもそも神とは何なのだろう……私が思うに、人類にとっての神とは理由だ。人は常に理由を求める。全ての事柄に辻褄の合う意味を求める。どうして? なんで? 人はどんなことにだって意味や理由があるのだと信じている。それは空を見上げて星の並び方に名前をつけたり、漂う雲が何かの形に見えることと同じだ。だから人は皆、運命という言葉が大好きなのだ。そしてそれは今も昔も変わらない。現代の知識がなかった昔の人々は地震や噴火、台風といった災害の起きる理由がわからなかった。しかし彼らもまた理由を必要とした。そこで人類によって生み出された存在が神だ。神が一度生み出されてしまうと、後はもう簡単だった。人知を超える出来事の全ては神を理由にすればいい。未曾有の災厄も、奇跡のような幸運も全てが神によるものとしてしまえばよかった。そう考えてみると……確かに私は神と称されるに値する存在だ。しかし私は自らを神ではなくそうぞう主と名乗りたいと思う」

「創造主?」

「ああ、そうだ。この世界は私がそうぞうした。君はもちろん、人類も動物も地球も。それだけではない。一日が二十四時間であることも、一年が三百六十五日であることも、三角形の面積の求め方が底辺×高さ÷2であることさえも全部私がそのようにそうぞうしたことだ」

 この世界に創造主はいるのだと、僕はずっと確信していた。やっぱり思っていた通りだった。だってこの世界は誰かに作られたものでなければ説明出来ないようなことが多すぎる。

 何もない無の空間の中、ビッグバンが起きて宇宙が誕生した。それから宇宙でいろいろあって地球が生まれる。地球はたまたま環境が整っていて、そこに生命が誕生した。その生命が進化の果てに多種多様に別れ、今に至る。今、この地球にどれだけの生物が存在するのだろう。それが全て偶然だなんて僕には信じられなかった。花があんなに色とりどりで美しいことにも、キリンの首が長いことにも進化論なんかじゃ説明しきれない理由があるはずだと感じていた。全部、全部僕が思っていた通りだった。

 でも……一つだけ、違和感があった。

「あなたが地球を創造し、人類を誕生させた。この世界の決まりごともあなたが定めた。そしてそれだけではなく、僕個人もまた、あなたによって創造されたんですか?」

「ふふふ……君は聡いな。しかし何事にも順序がある。とりあえず一度、知りたいことを羅列してもらえないだろうか。それから順を追って説明していくことにしよう」

 知りたいこと……考えながら、思いついたものを一つ一つ言葉にして上げていく。

「時間は存在するのか」

 時間とは何なのだろう。ずっと疑問だった。時間はもともと宇宙に存在している要素の一つなのだろうか。それとも人間が生み出した抽象的な概念なのだろうか。

「心はどこにあるのか」

 心とか魂と呼ばれるものは、やっぱり脳の中で生じる内的現象に過ぎないのだろうか。それとも昔の人が考えたように、心臓とかどこか別の場所に特別な何かが、確かに存在しているのだろうか。

「運命は決まっているのか」

 未来はすでに運命によって決している。僕たちに自由意志なんてものは存在せず、全てはあらかじめ定められている。そんなことは本当にあるのだろうか。

「鶏と卵、どっちが先か」

 この世界に初めて鶏が誕生したとき、それは卵で生まれたはずだ。ではその卵を生んだのは鶏ではないのだろうか。

「どうして生き物に寿命が存在するのか」

 生き物は死ぬ。食べられたり傷つけられたり、病気になって死ぬのは理解出来る。でもどうして寿命なんかが存在するのだろう。

「平行世界みたいなものはあるのか」

 SF作品に出てくるようなifの世界。違う選択肢を選んだ僕のいる世界。そんなパラレルワールド的な世界は存在するのだろうか。

「無の空間からどうやってこの宇宙が生まれたのか」

 宇宙はビッグバンによって無から生まれた。はっきり言って、意味がわからない。なんでそんなことが起きたのだろう。

 とりあえず、僕は思いついただけ質問してみた。

「それで全部かな」

「とりあえずは」

「そうか。では、自分を知るところからということで、心についての話から始めよう。しかし実のところ、心はどこにあるのかという問は、この世界の核心に迫る問題なのだ。だからそこは後回しにして、心とは何なのかを語ろうと思う」

 心の在り処が世界の核心に迫るとはいったいどういうことなのだろう。

「心とは何か。こういう言い方は答えをはぐらかすようで申し訳ないのだが、心とは言葉に過ぎない。問題なのは心という言葉が指し示す先がとても抽象的であやふやだということだ。だからまず、君が漠然と心だと感じているものの焦点をはっきりとさせていこう」

 僕が思索しているのを気にせず、創造主は言葉を続けていく。だから僕はいったん考えることは止めにして、その言葉に集中することにした。

「人間は人間と一括りにされていても、人種に性別、年齢や性格、生まれ持つ障害に才能、一人一人全く違う。誰一人、同じ存在ではない。だから一人一人に別々の名前が与えられるのだろう。名前はとても重要だ。同じ人間であっても一人一人が別々であることを決定づけてくれる。例えば目の前に猫の兄弟が五匹いたとしよう。兄弟というだけあって見た目はそっくりだ。それでももちろん一匹一匹に若干の差異はある。だがそのことを君は気にもとめないだろう。しかしだ、その中の一匹だけに君がミケと名前をつけてあげたらどうなるだろう。君はミケの他の四匹との差異に注視し、見分けをつけて特別な感情を抱くことになるはずだ。ミケは名前を得ることによって、他の四匹とは全く別の特別な一匹になったのだ。そうやって名前は一人一人を別々の特別な一人とする力を持っている。そしてさらに重要なのが私や僕といった自らを指し示す一人称の言葉だ。自らを名前ではなく一人称の言葉で捉えたとき、新たな区別が生まれる。自分とそれ以外、自分という内側とそれを覆う世界という外側だ。その一人称の指し示す先、自分という内側こそが君が心だと感じているものの正体だろう。それは自分を自分だと認識する根源であって、自らの意思、思考の中枢。それがいったい何であるかを、今から話していこう」

 確かにその通りだと感じた。

 だって僕は名前ではないし、体でもない。もし漫画みたいに頭をぶつけて誰かと心が入れ替わってしまったのなら、その新しい名前と体の方が僕だ。元々の僕の体は、僕の体であって僕ではない。

 そうだ。僕は心だった。

「今言ったように、人は皆違う。そしてその中でも最も違うのが、心であると君は感じているはずだ。同じ映画を見ても人によって感じるものは違う。どんなことに幸せを感じ、悲しみを感じるのかは人それぞれだ。それは一人一人が生まれ持った、別々の心がそうさせるのだと君は思っている」

 確かに僕はそう思っている。でもそれは僕だけではない。きっと誰しもがそう思っているはずだ。

「だがそれは間違いだ。実はこの世界に在る全ての人間の心は同一のものだ。そしてさらに人間だけではなく、意思ある全てのものの心もまた、一様に同じだ。人間に動植物、心を持ったAIがあるのならそれも、もし人工物や物質に心が宿っていたのならそれだって同じ心を持っている。違うのはその心の器と過去だ。例えば植物。器となる身体の構造は君とは全く違うし、脳もない。心があっても脳がなければ考えることが出来ない。心はその機能をほとんど果たしていないのかもしれない。しかし植物に音楽を聞かせると健康に育つという話もある。次に人間以外の動物たち。彼らもまた身体的構造が全く違う。目に映る世界も違えば、聞こえる音も違う。脳の性能も様々だ。例え心が君と同じであっても、同じ考えを抱くことは出来ない。そして人間同士であっても同じことが言える。生まれ得た身体、容姿や健康状態、頭の良さに運動神経、そしてやっぱり脳の影響は強い。ドーパミンやアドレナリンなどの神経伝達物質の分泌のしやすさで性格は大きく異なってくるだろう。そして過去の経験もまた人の心の在り様を大きくかえる。親に愛されて育つか、愛されずに育つかだけで、その人物の性格は全く違ったものになるはずだ。例えば自分を信じることが出来ず、新しいことに一歩踏み出すことの出来ない青年がいたとしよう。なぜ彼が自分を信じることが出来ないのか。彼はまだ幼かった頃、いつも父に言われていた。お前は出来損ないだ。お前は何をやっても駄目だ。その経験から彼は自分を駄目な人間だと思い、自らを信じることが出来なくなってしまった。生まれ持った心の性質ではなく、過去の経験が彼をそうしたのだ。しかしそこに至ったのはその経験が全てだったわけではない。彼は自分を駄目な人間だと罵る父の言葉が正当な評価なのだと信じた。それは彼が父を信じていたということだ。もしかしたら以前はとても優しい父だったのかもしれないし、父の言葉は絶対であると言い聞かせられていたのかもしれない。そうやって一つの結果にはそれに連なる多くの過去がある。その連なる無数の過去が今の彼の心を形作ったのだ」

「過去が心を作るというのなら、それはやっぱり人それぞれに別だってことなんじゃないんですか?」

「確かに、その通りだ。始まりは同じであっても、時をかけて別のものになったと言うことは出来るだろう。しかしもし君を君たらしめるものが心であるというのなら、心ある全てのものが違う経験をしてきた、違う器を持った君自身であるということだ」

 僕は僕だった僕だ。そして例えば母は、母だった僕だということ。そんなこと、簡単には受け入れられなかった。しかし創造主がそう言うのであれば、それが真実なのだ。

 知りたいと願ったのは僕自身。だから真実から目を背けることは許されない。

「では心については、ひとまずはこのへんにしておこう。次は運命だ。抗うことの出来ない定められた道。それを運命と呼ぶのなら、今日君が死ぬこと、人類が滅びることは運命に他ならない。しかし君が知りたいことはそんなことではないはずだ。君の問は、全ての出来事は予めに決まっているかどうか、自分の意思で無数にある可能性の中から未来を選び取ることは可能であるのかどうかということだろう。答えを先に言わせてもらうと、決まっているとも言えるし、決まっていないと言うことも出来るといったところだろうか」

 運命などない。未来には無限の可能性が存在し、自らの手で切り開いて行くものだ。大人たちはみんなそうやって僕に断言したが、創造主の答えはやっぱり違っていた。

「まずは運命という言葉は少し横に置いておこう。そして未来を予測出来るのかという話をしよう。例えばこれから君がそこの椅子を押すとする。押す力は五十キロ。向きは床と水平に東方向。めんどうなので摩擦は0。これだけ正確にわかっていれば、私は椅子がこれからどこに動くのか、未来を予測することが可能だ。すなわち、かかる力の総量とその向きを完璧に把握することが出来たのなら、正確な未来を予測することは出来るということだ。そして人の心にある想い、感情といったもの。愛や憎しみ、そういったものもまた観測可能な力である。エネルギー保存の法則にあるように、力つまるところのエネルギーはどんな形態であっても常に一定だ。君が誰かに愛をぶつければ、その誰かも君に愛を返してくれるかもしれない。君の愛は受け入れられず、その愛する想いが絶望や怒りに変わることもあるだろう。君の愛が強すぎて、その誰かが恐怖する可能性だってある。感情の種類は違うが、エネルギーの大きさは変わらない。内向的な性格の者は、他人からエネルギーを受け取るばかりで、たまりすぎて爆発してしまうことだってある。特定の誰かにぶつけるのではなく、スポーツでの発散や、小説や音楽といった作品に変換して吐き出す人だっているだろう。そしてそのスポーツでの活躍や小説を見て、音楽を聞いて感動する者もいる。ということはだ、エネルギーの総量とその向きを知ることが出来れば、人の行動もまた予測可能なのだ」

 確に僕も想いは力だと感じている。だって僕を突き動かすのはいつだって心の中にある、この想いに他ならないのだから。

「ではそれを踏まえて、運命について話をしよう。君が漫画の単行本を買って読み始めたとする。すでに完結している作品だ。初めて読む作品で、君は物語の展開も結末も知らない。展開は無限に考えられるが、結末は既に描かれている。ただ君が知らないだけで、漫画の主人公の命運は既に決している。もちろん君にはどうすることも出来ない。君に出来る選択は読み続けるか、読むのを止めるということくらいだ。そしてここで質問だ。君はその漫画の主人公に運命はあると思うだろうか?」

「あると思います。作者が考えたストーリーだし、何よりももう完結しているんだから、全てが決していて未来に選択肢はない」

「完結し、未来に選択肢がないことが理由になるのならば、歴史の教科書に登場する人物たちもまた、抗うことの出来ない運命の中にあったということだろうか?」

「あ……なるほど。物語が完結していることは関係ありません。それでもやっぱり漫画は登場人物の意思ではなく、作者が面白いと思う展開で物語を書いているわけだから、主人公は作者の作り出した運命を強いられ、抗うことは出来ないはずです」

「確かに君の言う通りだ。主人公は漫画の中の登場人物。作者の手のひらの上で踊ることしか許されないのかもしれない。作者は作品を描き始める前にプロットを作り、大まかな話の流れを決めていたことだろう。しかしだ、予定通りに話が進むとは限らない。場合によっては展開も結末も全く違うものになることだってあるはずだ。ではなぜ展開が変わってしまったのか。よく作者が口にするのは登場人物がかってに動き出したということだ。どうしてそんなことが起こるのか。たかが漫画の登場人物が己の力で運命を切り開くことなんてあり得るのだろうか。その理由は過去にある。その登場人物の過去だ。一話から通して歩んできた道のりに、描かれた彼の過去。そして人となり。それが必然となって物語を動かすのだ。例えばプロットの段階で作者は物語を主人公の自殺で締めくくるつもりでいた。主人公は全てを受け入れて諦める。そんな悲しい終わり方を想定していた。しかし作者は終わりに至るまでの物語の中で主人公を熱く、前向きに描き過ぎてしまった。どう考えてもその主人公は自殺なんて選択肢を選びそうにはなかった。だから作者は最後に主人公が全てを受け入れ、それでもなお前を向く終わり方にかえた。主人公の過去が作者の作り出した運命を覆したのだ。そう……在るのは運命ではない。そこに本当に在るものの正体は必然だ」

「必然……そこに違いはあるんですか? 結局全ては決まっているということなんでしょう」

「確かに。未来は既に決まっているのかもしれない。例えば君が好きな人に告白することを決めたとしよう。君には結果はわからない。しかしもし告白したらどうなるかは既に決まっている。それは君とその人が過ごしてきた過去によって決まっている。もしその人に君が好意的に受け止められていたのなら良い返事がもらえるのかもしれないし、君が知らないだけで既に恋人がいて振られる可能性だってある。その答えはわからないが、今告白したらどんな答えが待っているのかは決まっているはずだ。それは運命ではなく必然だ。そうやって一つ一つ過去を辿っていけば導き出される未来は自ずと見えてくる。もちろん自然現象だって同じだ。何事にも原因がある。そこに至る因果が存在する。小さな蝶のはばたきが、回り回って大きな竜巻の原因になることだってあるのだろう。そうやってこの世界の全てを、過去の想いや力のベクトルを完璧に計測し辿ることが出来たのなら、そこから未来を導き出すことは可能だ。そう未来は予測し得るだけではなく、既に決まっている。しかしだ、だからなんだというのだろう。君は君だから、その選択肢を選ぶことが決まっていた。それでも選択肢は無限にあったのだ。ただ君が故にその選択肢を選ぶしかなかった。必然とは運命が決めたのではなく、君が選択をする以前から既に決めていというだけのことだ」

 未来は既に決している。しかしそれは運命ではなく必然によるもの。

 それは運命と呼ばれる何か特別な意思の力が僕の選択に介入しているというわけではなく、僕は僕だからその選択肢を選ぶことしか出来ないということ。

それが必然。

 僕はこれまでの十四年という人生の中で、多くの選択を迫られてきた。それは右足から踏み出すか、左足からにするかといったほんの小さなものから、中学受験をするかどうかといった、今後の人生を左右するような大きなものまでいろいろだった。その中にはほとんど迷うこともなく決めたこともあれば、何日も迷ってやっと答えを出せたこともある。その全てが決まっていたのなら、迷ったことに意味はあったのだろうか。

 いや、違う。そうじゃない。迷うことすら決まっていたんだ。僕は僕だから、迷った末にそう選択すると決まっていた。

「綺麗にまとまったように思うだろうが、運命についてはまだ続きがある。しかし一度、時間について話してしまうことにしよう。運命と時間には密接な関係がある。ということで次は時間についてだ」

 時間……その存在については偉い物理学者や哲学者たちの間でも意見が分かれている。僕もいろいろな本を読んだが、その度に新しい思想に感心し納得してしまい、どれが正しくどれが偽りであるかと自分自身の考えを持つことすらままならない状態だった。

                                   つづく

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