第196話「西園寺家の事情(伍)」
「用件は分かった。それでは、適当に庭でも見ながらくつろいでくれたまえ」
「それで良い句が浮かんだら、私に見せてくれ。とりあえず、それを十回くらいやってみよう」
「は、はあ。それで良いのですか?」
ざっくりとした指導内容に、さすがの重教も困惑気味の表情を浮かべている。
「良いのだ。元々歌に関する基礎はある程度できていて、
「まあ、個人的には助かりますけど。しかし、基礎ができていると言っても京の皆々様に比べたら酷いものだと思いますよ」
「どの程度酷いかは見てみないと分からない。実際に作った歌を見てみるのが一番早いだろう。以上、議論は終わりだ」
そう言い放つと、公蔭は縁側でごろりと横になってしまった。
そのまま何をするでもなく、ぼーっと庭だか空だかを眺め続けている。
「遠慮はいらぬ。そなたらも好きに過ごすが良い。この邸宅を出るまで、礼法は忘れて良いぞ」
「は、はあ。それではお言葉に甘えまして」
そう言いつつ、横に寝転がるのはさすがに憚られたのか、重教は庭に向かって軽く足を広げながら腰を下ろした。
重茂は公蔭の近くに、少しだけ緩い姿勢で座り込む。
「公蔭卿はどう思われますか。
公蔭は登子にとって義兄にあたる。
そのため、彼女の身の回りの縁談――特に貴族絡みの話については、よく相談を受けていた。
当然、今回の一件についても既に聞いているという。
ただ、その話を切り出された公蔭は露骨に不機嫌そうな顔をした。
「
「申し訳ありません」
「そういう性分なのだろうというのは分かる。そなたのような人間はときどき見かけるから、分かってやれないこともない。だから、私はあえて言おう。その話は一旦忘れたまえ。それができないのであれば、今すぐここから去るが良い」
重茂からすると歌は本題ではないのだが、公蔭からすればそこを蔑ろにされるのは許せないのだろう。
素直に詫びると、重茂は思考を切り替えることにした。
「少し堅苦しさは感じるが、悪い歌ではない。どちらかというと
重茂がどうにかこうにか捻り出した十首を読んだ公蔭の感想は、思っていたほど酷いものではなかった。
最初に機嫌を損ねていたこともあり、かなり辛辣な評が飛び出てくるものと覚悟していたので、やや拍子抜けですらある。
「おそらく大和権守の中では『こうしなければならない』が沢山あるのだろう。丁寧に歌を作ろうという心構えがよく表れている。それはそれで良いが、京極派を学ぶのであれば『こうしたらどうだろう』をもっと意識するのが良いだろうな」
「今まで学んだことについても、あらためて考えなおした方が良い、ということでしょうか」
「まあ、そうとも言える。『こうすれば良い』という完結された発想の先に進歩はない。それを打破するのが我が歌風よ、と義父はよく仰られていた」
京極派の創始者とも言える京極
伏見天皇は宮中の在り方や幕府との関係を見直そうとする等、現状に満足しない、という一面を持ち合わせていた。
その志向性には、少なからず為兼の影響もあったのだろう。
そして、そのスタンスは京極派の歌風を通して今も光厳院たちに受け継がれている。
「で、重教の歌だが――これはいかん」
重教が提出した十首を一瞥し、公蔭は無表情で淡々と落第を告げる。
重茂も見せてもらったが、正直そこまで悪いものだとは思わなかった。
むしろ、重茂の歌に比べると軽やかで、話に聞く京極派らしい歌に仕上がっているように見える。
「そんなに駄目でしたか」
「駄目ではない。ただ、いかん。これを歌会で披露したら、野次は飛ばぬがしらけるであろう」
重教の歌には個性がない。
それが致命的なのだと、公蔭は告げた。
「言ってしまえば、この歌は『恥をかくまい』『怒られまい』と考えながら作られた歌だ。『これならもしかしたら褒めてもらえるかもしれぬ』という考えも混じっているかもしれぬ。小綺麗にまとまってはいるが、面白味がない。詠った者の心情や背景が何も浮かんでこない」
公蔭はそこまで感情を込めずに淡々と言っている。
ただ、それが却って辛辣さを浮き彫りにしているようにも見えた。
あまりの評価に、重教は呆然としている。
「技術的に拙いところもあるが、まずは心構えから見直した方が良いな。批判を恐れるな。良く見られようとするな。どんな結果になろうと、まずは己を押し出して勝負をしなければ成長する機会が得られぬぞ」
公蔭の重教評を聞いて、重茂はあらためて歌人というものの異質さを感じざるを得なかった。
彼らは歌を通して人を理解し、そして動かす。
それは生活の合間を埋めるくらいのもの――趣味の一環程度のものだと思っていたが、どうもそういうわけではないらしい。
公蔭と重教は今日が初対面のはずだが、彼は十首を見ただけで重教の人となりについて見えてきたものがあるらしい。
それはかなり具体的で、日々重教と過ごしている重茂の見解からもそう離れていなかった。
さすがに堪えた様子だったので、重茂は先に重教を帰らせた。
「言い過ぎただろうか」
公蔭は少しだけばつの悪そうな表情を浮かべている。
しかし、重茂は頭を振った。
「あれには良い薬になったことでしょう。同じようなことを私もよく言っています。身内以外にも言われて、少し動揺しているだけなのだと思われます」
「自信を持てとまでは言わぬ。自信を捨てるなと、そう伝えておくと良い」
確かに、重教はいろいろと器用にこなす割に存外自己評価が低そうなところがある。
そこさえ克服できれば、武士として一段階上に進めるような気はしていた。
「さて、今日の指導は終わった。聞きたいのは、西園寺公重卿のことだったか」
公蔭はさっきのことを忘れていなかったらしい。
歌は歌。他は他。そのように割り切る考え方の持ち主なのかもしれない。
「公蔭卿も公重卿も院の側近としてご活躍なされていると伺っております。公重卿のことも我々よりずっとご存知かと思いますが、どのような御方と見ておられますか」
「ふむ」
公蔭はやや考えた後、重教が歌を書いた紙を指し示した。
「重教と似たところがある。仕事ができぬわけではない。人付き合いも悪くない。ただ、自信がなく卑屈なところがある。そのせいか本人の良いところがまったく広まらず、面識のない人間には『兄を売った男』としてしか知られておらん。……あるいは
「話を聞いていると、どうも兄から家督を奪取したという評判にはそぐわないように思えますな」
「真実は分からぬ。ただ、私はあの一件をいろいろな不幸が積み重なった結果だと思っている。そこで歪んだものが、未だ西園寺家に残り続けているのかもしれぬな」
西園寺公重が公宗から家督を奪取したのは、公重の意図したものではない、ということなのか。
そう聞いてみたかったが、口振りからすると公蔭も断言できるほどのことは知らないのだろう。
公宗は既になく、
公宗の処罰を決定したのは
今京にいて詳しい事情を知っているのは、もしかすると公重当人一人なのかもしれない。
「
「何か企図するものがある、というわけではないのでしょうか」
「ないと断言はできぬが、私は正直あまりそういう雰囲気を感じぬな」
どちらかというと、何か考えていそうなのは
「公重卿から公宗卿の遺児に家督が渡ったことで、事実上今の西園寺家は名子殿の実家である日野家の影響下にある。表向きは西園寺家復興のため力を貸すであろうが、当然そこには見返りを得ようという意図もあるだろう」
「この縁談話を受ければ、日野家からの印象は悪くなるでしょうか」
「表向きはどうぞどうぞと言うだろう。反対する筋合いではないからな。ただ、内心は分からぬ」
外戚にもいろいろスタンスの取り方がある。
それを知っておけば、西園寺家への対応を考える上での判断材料にできるだろう。
「積極的に影響力を持とうとすることもあれば、最低限の義理立てだけに留めようということもある。例えば
突然出てきた名前に、重茂はぎくりとした。
「あの住持殿が、公蔭卿の?」
「姉が院の後宮に入って、幾人かの子を設けた。そのうちの御一人だ。差し支えない範囲であればお助けしたいとは思うが、先日のあれはさすがに手に負えないと判断したのだよ」
「この京は、人の縁が入り組んでいて、私のような余所者には理解が及び難いところがあります」
「慣れれば良い。そなたは強記と聞いている。そのうち家と家の繋がりも覚えていくであろう」
重茂はあらためて公蔭に頭を下げた。
歌のこともそうだが、今日はいろいろと学びの多い時間を過ごせたような気がする。
「あと五回」
「は?」
「あと五回くらい、折を見て重教と共に来るが良い。そこで歌会に連れて行くか判断する」
公蔭は五本の指を立てて言った。
「たまに、京極派での集まりがある。院や近臣たちも参加するような歌会だ。問題ないと判断できたら、私が招待しよう」
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