第197話「西園寺家の事情(陸)」

 先に正親町おおぎまち邸から帰された重教しげのりは、真っ直ぐ自邸に戻る気にもなれず、なんとなく市中をぶらついていた。

 頭の中には、まだ公蔭きんかげからの言葉がこびりついている。


「返す言葉もございません、てのは分かってるんだけどな」


 はあ、と大きくため息をつく。

 重教がこんな調子なので、つけられている郎党の表情も微妙なものになっていた。


「どうしたのですか。往来でそんなため息をついて」


 不意に声をかけられる。

 重教が振り返ると、そこには委渡いとの姿があった。


「なんだ、お前か。どうしたんだよ、お出かけか?」

「御方様の使いです」

「そうか。偉いもんだな、ちゃんと仕事熱心じゃないか」


 途中で帰された自分とは違う。

 そんなことを考えて、重教は再び大きなため息をこぼした。


「辛気臭いですね。何かあったのですか」

「別に、お前には関係ないだろ。誰かに話したところで、どうしようもないことさ」

「聞くだけ聞いてあげますよ。知らぬ仲でもないですし」


 可愛げのない言い方だと思いつつ、重教はぽつぽつと自身の状況を話し始めた。

 一人でもやもやを抱え続けるより、誰かに話してすっきりしたかったのである。


「俺は、元々の家にいた頃から『気骨がない』だの『芯がない』だのと言われててな。義父上の元でならそれもマシになるんじゃないかって養子に出されたんだよ」


 実父であるみなみ宗継むねつぐも、上の兄弟たちも、皆優しくて良い家族だった。

 だからこそ、重教のことを心配して「もっとしっかりしないと駄目だ」と度々口にしていた。


「義父上からはずっとあれこれと説教されてるけど、近頃はそれでもいくらか仕事とか任されるようになってきて、自分でも多少良くなったんじゃないかって思ってた。けど、今日そんなことなかったんだって思い知らされたんだよ」


 成長できていたわけではない。

 せいぜい、重茂しげもちとの親子関係が馴染んできただけだ。


 重茂が重教に仕事を振るようになったのも、重教が成長しているからではない。

 一緒に過ごすうち、重教に何ができるか理解できてきたからだ。できることをさせているというだけだ。

 重教自身は、南家にいた頃から何も変わっていない。


「そんなわけで、少しばかり凹んでるってわけだ」


 重教の話を一通り聞き終えた委渡は「なるほど」と小さく頷いてみせた。

 しばらく待ってみるが、それに続く反応はない。


「……それだけか?」

「それだけとは?」

「いや、何かこう感想というか」

「そう言われても。頑張ってください、成長してますよ、と私が言ったところで説得力ないですよ」


 それはそうなのだが、という言葉を重教は呑み込んだ。

 委渡の「聞くだけ聞いてあげますよ」は、言葉通りの意味だったのだ。

 何か助言をしたり激励したりしてくれるとは、一言も言っていない。


 可愛げのない奴め。

 そう言いかけたとき、委渡が口を開いた。


「重教殿の昔を知らないので、そのときから成長しているかは分かりません。ただ、私が初めてお会いしたときからは、正直さほど変わってはいないような気がします」

「うぐっ」


 可愛げがないどころではない。

 落馬して動けなくなっているところに矢を射かけてくるような凶悪さだった。


「でも、駄目だとは思いませんよ」

「……む?」

「だって、頑張っているじゃないですか。それに、今の重教殿にも良いところはあります」


 委渡が何気なく発したであろうその言葉が、今の重教にはとても沁みた。

 自分で自分を認められなくなっていた心が、少しだけ軽くなったような、そんな心持ちになる。


「ありがとうな。ちょっと元気出たわ」

「そうですか。ではこれからも頑張ってください。成長したと思ったら教えてあげますので」


 そんなやり取りをしているうちに、委渡の目的の家に辿り着いた。

 やや小さいものの、きちんと手入れがされている邸宅である。貧相な印象はまったくない。


「ここは?」

「少し前まで御方様の下で働いていた方の住まいです。私も初めの頃に仕事を教えてもらう等でお世話になりました」


 どうも母親が身体を壊してしまったらしく、その看病をするため登子なりこの下を辞したのだという。

 もっとも、辞した後も登子は何かと気にかけているようで、こうして時折使いの者を出して交流を続けているらしい。


「あら、委渡ちゃんじゃない。お久しぶり」


 その人は庭の手入れをしていたようで、すぐに来訪者の姿に気づいた。

 一緒に汗を流している老人の他に使用人はいないようだった。暮らしぶりは質素なのだろう。


「御方様からの御届け物です」

「ありがとう、いつも助かるわ。この家がなんとかやっていけるのは、御方様たちのご厚意あってのものだわね」


 明るい雰囲気の人だった。

 彼女は委渡の届け物を受け取ると、すぐに重教へと向き直る。


「はじめまして、で良かったかしら。私はきく。少し前まで足利あしかがの御方様のところで務めていました」

「あ、俺はこう重教と言います。こいつの友達の親戚です。今日は偶々付き添いみたいな感じになりましたが」

「重教殿ですね。委渡も、少し休んでいきなさい。大したおもてなしはできないけれど」


 自然な形で縁側まで案内される。

 中の方には、横になっている菊の母らしき姿が見えた。


「菊さんは私に薙刀と歌を教えてくれたんです」

「もしかして結構強いのか」

「少なくとも、私は打ち勝てたことがありません」


 稽古のときの様子を見るに、委渡は年齢の割に相当強そうだった。

 あれが菊の指南によるものだとするなら、かなりの手練れなのかもしれない。


「私としては歌の方が自慢なんですけどね」


 菊が、食べやすいサイズに切られた野菜を持ってきた。

 どうぞと差し出されたので遠慮なくかじる。

 口の中に水分と甘味が広がっていく感じがした。


「菊殿は、どういう縁で御方様に仕えることになったんですか?」

「ある御家に仕えていた父が先の戦乱で消息を絶ってしまいまして。生活に困っていたのでどうしようかと悩んでいたところ、人伝に足利の御方様が人手を欲していると聞きまして。それでなんとなくご挨拶に伺ったところ、そのまま仕えることになりました」


 随分アバウトな就職過程だが、京において登子は伝手もなかっただろうし、人を選別するような余裕がなかったのかもしれない。


「歌は父に教わったんです。腕っぷしは全然駄目な父でしたが、歌の方は仕えていた御家の方々からも好評だったそうで。私も父の名を汚さないよう、日々精進している次第です」

「なるほど」


 歌の話題になると、重教はやや反応が鈍くなった。

 菊はまったく悪くないのだが、今は正直あまり歌について込み入った話をしたくない。

 正親町公蔭から言われたことを思い出して、また気分が滅入りそうになる。


「もしかして、重教殿は歌が苦手ですか?」


 そんな重教の機微は見抜かれていたらしい。

 菊がずばっと切り込んでくる。


「いや、苦手というわけではないんですけど。ちょっと自信を失いそうになってるんですよね」

「自信なんてないのが当たり前ですよ。自信満々な歌人なんて、本当に最高峰の人たちくらいしか知りません」

「いや、でも菊殿は歌が自慢だって言ってませんでした?」

「自信と自慢は違うものなんです」


 よく分からなかった。ただ、適当なことを言っているという感じもしない。


「自信がないなら、結局自信がつくまでやらないと一生自信ないままなんですよ」

「仰る通りで……」


 そのとき、門の方から人の声が聞こえてきた。

 どうも新しい来客らしい。


「ちょっとお待ちくださいね」


 菊が足取り軽く駆けていく。


「歌の良し悪しは私もよく分かりませんが、菊さんの歌は御方様も褒めておられました」

「やっぱり上手いのか」

「上手いかは分かりませんが、私は好きでした。素直で飾らない歌だと思います」


 京極きょうごく派なんだろうか、などということを考えてしまう。


「やあ、先客とは珍しい」


 菊が二人の男を連れて戻ってきた。

 どうやら新しい来客らしい。


「あ、それじゃ俺たちはこの辺で」


 邪魔になるだろうと思い帰ろうとした重教だったが、新たな来客の一人がそれを手で止めた。


「まあ待ってくれ。出会いというのは貴重なものだ。せっかくだし私とも少し話していかないか」

「は、はあ」


 菊に視線で問いかけるも、彼女はにこにこと笑っていた。

 家主としては特に問題ないらしい。


「高重教と申します。大和やまと権守ごんのかみ重茂の子です」

「高――というと武蔵むさし守の家かな。でも、師の字がないから、もしかして別の家?」

「あ、一応武蔵守は伯父になりますね」


 確かに師直もろなお師泰もろやす師世もろよ師秀もろひでと師のつく人は多いが、世間的にも師が一族共通の通字だと思われているのだろうか。


「そうか、失礼した。こちらは我が友・土岐とき頼康よりやす


 喋っている青年の隣にいた若者が、小さくお辞儀をした。

 土岐頼康の名前は重教も知っている。

 青野原あおのがはらで一躍名を馳せた、土岐頼遠よりとおの甥である。


「そして、私は今出川いまでがわ実尹さねただという」


 爽やかそうな空気感を出しつつ、青年はさらりと己の名を告げた。

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