第195話「西園寺家の事情(肆)」
そう思い立ったは良いものの、
現在の日野家といえば、
いずれも、
他に日野家に縁のある者がいれば良いが、咄嗟に思い浮かぶ顔はなかった。
京で生活するようになり、思いがけぬ形で公家と接する機会もあったが、依然として身分の差は存在している。
出家の身という点で賢俊は俗世の身分差から離れているが、それでも醍醐寺という由緒正しき寺社のトップである。
知ってはいても、遠い存在だった。
「それで私のところに来られたというわけですか」
重教の前で「ふむ」と頷いてみせたのは、
彼は遁世者として身分社会の外におり、更に秀でた歌人として名を馳せている。
そのため様々な要人の歌会に招かれることもあり、重教などより遥かに広い人脈を持っていた。
「何かの折で良い。日野家に縁ある人が出る歌会に招かれることがあれば、俺も一緒に連れて行ってもらいたいんだ」
「出来ないことはないですが、重教殿はどの程度できるのですか」
和歌の腕前はいかほどか。
問いかけられて、重教は答えに窮した。
できないことはないが、宮廷文化の歌壇に乗り込んでも問題ない、などとは口が裂けても言えない。
その様子を見て、兼好は小さくため息をついた。
「歌会に参加する以上、歌は詠まねばなりません。内容次第では恥をかくことになりますが、自信はおありですか」
「いやあ、うん、ないな」
要人たちの前で恥をかけば、それは
さすがにそれを想像すると、安易に「自信がある」などとは言えなかった。失うものが大き過ぎる。
「歌会を通じて人脈を広げたいという考え自体は間違っておりません。ただ、それは一朝一夕でどうにかなるものではありません。きちんとした師について、ある程度の期間みっちりと教えてもらう必要があります」
「そういうの苦手なんだよな。努力とか地道にとか」
「なら諦めるのが良いでしょう」
「いや、すまん。苦手だけど、やってみる」
さすがにこんな理由で放り投げたら、
「そうだ。兼好、良かったら俺に教えてくれないか。京でも有数の歌人として知られてる兼好なら申し分ない」
「ただ教えるだけなら構いませんが、重教殿の事情を考えると私は適任でないと思います」
「どういうことだ?」
首をかしげる重教に、兼好は手を合わせながら言った。
「師事する、ということ自体が人脈形成の第一歩になるのです。私はこの通り遁世者。歌を通じて多くの方々と知り合ってこそおりますが、人と人を繋ぐ力はさほど強くありませぬ。重教殿が武士の身分を捨てて私の後継者になるというなら、紹介のしようもありますが」
「い、いや。さすがにそこまでするつもりはない」
「であれば、相応の身分を持つ歌人に師事される方がよろしいでしょう」
兼好が提供できるのは歌人としてのスキルだけで、人脈形成においてはあまり役に立たないということなのだろう。
確かに、兼好から「私が近頃教えている武士です」と紹介されたところで、宮廷社会の人々からすれば特に刺さるものはない。
達人たちを感心させる和歌を詠めるなら気に留めてもらえるかもしれないが、重教はそこまで自分を買い被っていなかった。
「では、誰か良い人を紹介してもらうことなどはできるか」
「……ううん、どうでしょう。日野家の方々と私は流派が異なりますので」
「流派?」
面倒臭そうな気配を感じつつも、重教は兼好から話を聞いてみることにした。
兼好曰く、今、この京において和歌には二つの流派が存在感を放っているらしい。
かつて京には、
彼は
その定家の流れを汲む家は、あるときいくつかに分かれた。
嫡流とも言えるのが
この家が中心となって形成されているのが二条流という流派で、定家以来の家風を重んじる保守派だという。
兼好は、先年亡くなった二条家当主・二条
「二条派は京でも広まっており、多くの方々に支持されております。五摂家などにも、二条流に親しんでおられる方がおりますね」
「主流の流派、という理解で良いのか?」
「何をもって主流とするか次第ですね」
もう一つの流派は
実際に感じたことを思うまま表現することを良しとする家風であり、保守的な二条派とはかなり様相が異なる和歌を生んでいる。
当然のように二条派からは良く思われておらず、両者の間では対立が存在していた。
「家が分かれて対立するというのは、なんというかどこも一緒なんだな」
「それだけなら和歌の流派同市の諍いで収まるのでしょう。問題は、この両派がそれぞれ
「一気に面倒臭そうな感じが増してきたな」
二条派は大覚寺統、京極派は持明院統にそれぞれ強い繋がりを持っていた。
そのため、政権の状況次第でどちらが優勢か変わることも度々あったという。
そして、そういう構図になっている以上、二条派・京極派は歌人集団としての側面以外に、政治的側面も持ち合わせている。
「西園寺にしろ日野にしろ家全体がどちらかの流派に傾倒しているわけではありません。ただ、今この京では院を筆頭とする京極派の勢いが増しています。院の側近である柳原資明卿、持明院統の後宮に仕えていた日野名子殿などは、私がよく呼ばれる二条派の集まりにほとんど顔を出しませんな」
流派の垣根を越えた歌会も当然あるが、大抵は純粋な和歌好きの集いか、別の目的の集まりのどちらかである。
例えば、先日の妙法院の歌会などは後者に該当するだろう。
いずれにしても、そういう集まりに重教が入り込むのはなかなか厳しそうだった。
「日野家のことを知りたいのでしたら、京極派の誰かに師事するのが良いでしょう。ただ、先ほども申しました通り、私は二条派。京極派にはあまり伝手がありませぬ」
「それで、さっき答えを渋ってたのか」
歌の世界にまで派閥が存在しており、両者が相争っている。
武士も公家も寺社も芸事もそんな事例ばかりで、重教はややうんざりした気分になっていた。
完全に行き詰まった重教は、ひとまず現状を重茂に報告した。
「歌で人脈を広める、か。考え方は悪くない。実際、
乱世も落ち着きつつあり、本格的に京で活動していくことになるなら、歌人たちの世界に触れて人脈を広げておくのも悪い選択ではない。
「それで、義父上の方で京極派に良き伝手がないものかと思いまして」
「直接的な伝手はさすがにない。ただ、接点を作れそうな人物に一人心当たりはある」
「本当ですか」
「嘘を言ってどうなる。さてはお前、どうせこの義父は知らぬだろうが一応聞いておこう、という腹積もりだったな」
図星だったので、重教は「そんなことは」と視線を明後日に逸らした。
重茂は大きくため息をつくと、その心当たりについて話し始めた。
「京極派というのは京極
「その養子というのが心当たりですか?」
重教の問いかけに、重茂はゆっくりと頷いた。
「これは偶然なのだろうが、その養子――
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