第184話「塩冶高貞の乱(拾参)」

 微かに感じた戦いの気配は、さほど時間を置かず消えた。

 意図してか偶然かは分からないが、追討のための先遣隊が塩冶えんや勢の殿しんがりと遭遇して小競り合いが起きた――というところだろう。


 おそらく、主力はまだ追いついていないはずだ。

 主力が来ていれば、こんなすぐに戦いが収まるとは思えない。


 程なく、重茂しげもちは呼び出しを受けた。

 源長げんちょう源雲げんうんに担がれて向かった先にいたのは、塩冶高貞たかさだである。

 隣には、動きやすい恰好に着替えた早苗さなえの姿もあった。


「気づいているかもしれないが、先ほど追手と小競り合いが起きた」

「割とすぐに収まったようだな」

「向こうも本格的に攻めかかっては来なかった。おそらく先遣隊が様子見で軽く仕掛けてきたのだろう」

「相手が誰かは分かったのか」

「退いた相手を少し追ってみて旗を確認した。二引両紋だったゆえ、おそらく足利あしかが一門の誰かだろう」


 さすがに尊氏たかうじ直義ただよしが直接追ってくるとは考えにくい。

 京にいて比較的すぐに出陣できそうな一門と言えば、石橋いしばし山名やまな桃井もものい辺りだろうか。

 細川ほそかわは南に出陣中、吉良きらは京にそこまで兵を連れてきていないという点で除外して良いだろう。


「いざというとき、重茂殿は交渉材料にさせていただく。そのために人質として連れてきたのだ」

「あらためて言われずとも分かっている。ただ、俺にどの程度価値があるかは知らぬぞ」


 引付ひきつけ頭人とうにんという要職についてはいるが、替えの効かない人材かと言われると、そんなことはない。

 二階堂にかいどう行珍ぎょうちんを筆頭に、鎌倉幕府以来の優秀な官僚は他にもいる。

 経験不足ながら、仕事を覚えていけば頭人を務められそうな若手も何人かいる。


 このまま塩冶高貞を取り逃すくらいなら、重茂くらいは死んでも構わない。

 追討のための将がそのように判断しても、なんらおかしくはなかった。


「そんなことを言うためにわざわざ呼び出したわけでもあるまい。高貞殿、俺に何かをさせたいのだろう」


 高貞はばつの悪そうな顔を浮かべた。


「俺には弟がいるのをご存知か」

「ああ。会ったことはないが、名前は知っている」

「万一のことを考えて、俺は此度の一件を一切弟に話していない。弟は今、何も知らず出雲いずもにいる」


 高貞が何を頼もうとしているのか、重茂はすぐに察した。

 今回の謀反が失敗に終わったときの保険である。

 塩冶氏すべてが滅ばぬよう、高貞は実弟の無実を語っているのだ。


「無論、俺が出雲まで戻れば弟を説得して味方に引き入れるつもりだ。だが、俺がその前に討ち取られるようなことがあれば、どうか先ほどの証言を思い出して欲しい。虫の良い話だとは思うが」

「随分と弱気だな。一度軽い小競り合いが起きただけであろう」

「好きに言うが良い。元々想定外の出奔なのだ。様々な可能性を考えながら、打てる手を打たねばならん」


 重茂はその後、すぐに後方へと戻らされた。


 高貞は、見るからに余裕がなさそうだった。

 足利から離れて吉野よしのにつく。その決断は揺るぎないようだったが、思いがけぬ形で離反することになったので、考えなければならないこと、やらなければならないことが山のようにあるのだろう。


「高貞殿は大変そうだったな。どうも、気の毒だと思ってしまう」

「アンタが言うのか、それを」

「突発的な問題に直面して四苦八苦するというのは、俺も経験があるからな」


 呆れたような源長に対して、重茂は苦笑いを浮かべてみせた。


 鎌倉北条ほうじょう氏からの離反。そして後醍醐ごだいごからの離反。

 主君である尊氏の選択によって、重茂は振り回されてきたと言って良い。

 突然の出来事に対応するため、怒涛の勢いでやらねばならぬことを片付けていく必要があった。

 あのときの忙しさは、正直あまり思い返したくない。


 今の高貞が置かれている状況も、似たようなものだろう。

 態勢が整う前に追手が迫ってきているという点では、より厳しい状態とも言えそうだった。




 高貞の中で、焦燥感が募っていた。

 出雲まではまだ遠い。今は播磨はりま国すら抜けられていない。

 どのルートを進むにしても、あと二つか三つは国を越えていかなければならないのだ。


 だというのに、既に追討の手が迫っている。

 今は先遣隊だけだろうが、数日もすれば確実に本隊が攻めかかってくるだろう。


 それまでに出雲まで逃げ切れるのか。

 無理だという言葉が浮かび上がりそうになる度、「やってみなければ分からない」と無理矢理上書きする。


 近隣の吉野方と連携して追討軍を迎撃することも考えたが、連絡を取ろうとした相手からは未だに返事がない。

 高貞の離反を知っていたのは近衛経忠含む一部のみで、他の吉野方は把握していない可能性が高い。

 そういう者たちからすれば、高貞からの連絡はあまりに疑わしいと言わざるを得ない。

 信用したとしても、あまりに急な出来事で動くに動けない、という者もいるだろう。


「足利の動きが思ったより早い……いや、これくらい早いことは想定しておくべきだった。どうにか、時間を稼がねばならん」

「妙案はあるのでしょうか」


 早苗の問いかけに、高貞は頭を振った。


「重茂殿をここで出しておけば多少は時間が稼げるやもしれぬ。だが、またすぐに追いつかれるであろう。人質が一人だけでは、あまりに足りぬ。出雲の遠さが恨めしい」

「……」


 余計な持ち物は捨てて、より速く逃げていく――というのも難しいだろう。

 既に疲労が顔に出始めている者もいる。そういった者たちをすべて捨てていかねばならなくなる。

 その場合、早苗のことすら捨てなければならない。そんな選択は、高貞には考えられなかった。




 その日の晩。

 重茂を担ぎ続けて疲れた源長が眠りこけているとき、不意の来客があった。


「夜分遅くに失礼いたします」


 そう言って重茂の目の前に腰を下ろしたのは早苗だった。

 彼女の周囲には、護衛と思しき者たちのほか、下女の姿などもあった。


「いかがなされた」

「一言、挨拶をしておかねばと思いまして」


 彼女と言葉を交わすのは、塩冶邸を訪れたときにやり取りして以来である。

 あのときは、まさか事態がここまで急激に動くと思っていなかった。


「挨拶?」

「追手の目を欺くため、塩冶勢は細かく散って出雲を目指すことになりました。そのため、重茂殿とはここでお別れとなります」


 このまま逃げ続けても追いつかれる。

 追いつかれて戦いになれば、数の差で負けるのが目に見えていた。


 それよりは、分散して逃げた方がまだマシだと考えたのだろう。

 少人数での行動になるが故のリスクもあるが、追討する側からすれば、どこに高貞がいるか分かりにくいので手間取りやすい。


「高貞殿から仔細は聞いております。此度このようなことになったこと、申し訳なく思っております」

「気にされるな。これも乱世というもの。そう割り切った方が、互いに楽だろう」


 重茂の言葉に、早苗は少しだけ表情を和らげた。


「恨み言を聞いておいた方が良いと、そう思って来たのですが」

「今回のことは、いろいろと噛み合わせが悪かった。俺にも至らぬ点があった。誰かが少しでも違う行動を取っていれば、まったく違う結果になっていたかもしれない。今は、そのように考えている」

「そのようなことばかりでございますね。この時代は」


 早苗はそれだけ言うと、一礼して去っていった。


「なんだったんだろうな。本当に恨み言聞きに来ただけなのか?」


 不思議そうな顔を浮かべる源雲に、重茂はぽつりと呟いた。


「いろいろ片付けているのであろう」

「片付ける?」

「ああ。やり残しがないように」


 いつ死んでも良いように。

 重茂は、その言葉を呑み込んだ。


 確証もなにもないが、先ほどの早苗のまとっていた気配には覚えがある。

 これが最後になる。そんな風に思わせる、何とも形容しがたい気配だった。

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