第148話「都を駆ける神仏(捌)」
一通り調査を済ませて
師直は近頃
師直邸に到着すると、
どうやら師直は来客の対応をしているところらしい。
青葉丸はまた少し大きくなった。言葉はまだ一言二言発する程度だが、すくすくと成長している。
幼子の成長を直接見守る機会に恵まれなかった重茂にとって、青葉丸の成長は新鮮なものに映った。
「ゆくゆくは青葉丸が
「重茂殿は頼れる古老として青葉丸を支えてくださいませ。父子の絆が強ければ御家は強固なものとなりますが、叔父甥の絆が強ければ一族が強固なものとなります」
「支えることに異存はないが、頼れる古老になっているかどうか」
今一つ冴えないまま年を重ねていくのではないか。そんな予感がある。
そんなことを話していると、師直から部屋に来るようにと案内があった。
来客が帰った様子はない。どうも面倒なことになりそうだと思いながら、菖蒲に会釈してその場を離れる。
師直の部屋の前には、
室内には
「久しいな、公義殿。上総で何かあったのか?」
彼は重茂が坂東を去った後も、上総で守護代の務めを果たしていたはずである。
こうして京で再会するというのは、思いもよらぬことだった。
「
険しい表情で師直が答える。
公義の表情も晴れない。かなり憔悴しているようにも見えた。
「なかなか人が集まらないという話は聞いていましたが」
高四郎左
坂東には師直の猶子、名代として出向している。目的は坂東の
しかし、坂東は古来より続く伝統を持つ雄族が多い。元を辿れば
足利の家人筋でしかない高一族、その名代の言うことなど容易に聞いてくれない。重茂も、散々苦労させられた点である。
「人が集まらないというのは想定していたが、どうも吉野方相手に何度も負けを重ねているようでな。向こうはそれを喧伝していて、四郎左に味方しようという武士がますます減りそうな気配がある」
「そんなに、ですか?」
「そもそも軍勢が少なすぎて勝てる戦ではないのだ。損害は極力出ていないし、四郎左は上手く負けている。ただ、情報戦においては相手に一歩先を行かれているな。このまま放置しておくのはいささかまずい」
師冬の相手というのは、あの北畠
吉野方の重要人物の一角だった。家格・経験という点において、師冬にはやや重い相手とも言える。
「となると、要請というのは援軍の?」
「そうだ。それも、できることなら俺に直接出向いて欲しいと言ってきている」
「なるほど。思い切った要請ですが、悪い案ではないように思えますな」
師直は近頃幕府の要職をいくつか離れており、以前よりは身軽な立場になっている。
「ところが、ことはそう簡単にいかんらしい。そうだな、兼好」
師直に問われて、庭先にいた兼好が頭を下げる。
「近頃は市中も
「妙な動き?」
「はい。私は立場上様々な家に出向いては歌を詠んだり雑務をこなしたりしているのですが、近頃そういう家で見慣れぬ者とすれ違う機会が増えてきまして」
兼好は京を中心に、知己のところを訪ねて回ることが多いので、同様にその家を訪れる人々の顔は大抵見知っているのだという。
「無論、その者たちが新たにその家に通うようになっただけという可能性もあります。しかし、どうもそういう手合いが急に増えたように思えたのです。これほど急に新顔が増えたことは、私の経験上ありません」
兼好が言わんとしていることは、重茂にも分かった。
「吉野方の間者が入り込んできているかもしれぬ、ということか」
「確証はありません。また、確かめるのはいささか恐ろしゅうございます。もし相手が凶行に及んだ場合、私では太刀打ちできませんからな」
確かに、兼好はお世辞にも強そうには見えない。
あまり、そういう危ない仕事は任せない方が良さそうな気がした。
しかし、仮にそうだとすると師直が京を離れるのはいささか危ういような気がする。
吉野方は今かなり劣勢になっている。それこそ坂東などの一部地域では頑強に抵抗を続けているが、日ノ本全土でいえば明らかに押されつつあった。
ただ、足利方も不安要素がないわけではない。暦応寺建立で
「それで弥五郎。これが本題なのだが――お前、道誉殿の一件でちょうどあちこちに出向いていたそうだな」
「ええ。妙法院に
「その中で、なにか不審なものはなかったか。見るからに不審なものでなくとも良い。気に留まったものがあれば話を聞かせろ」
師直も、吉野方の調略による離反を懸念しているようだった。
坂東で苦戦を強いられている師冬を助けるにしても、足元を固めなければそれどころではない。
「気に留まったもの自体はいくつかありますが、正直どれも吉野方の調略に繋がるものとは思いにくいですね。妙法院はそもそも事件のせいで我らを敵視していましたし、延暦寺と協調路線を取っている塩冶殿も思うところはありそうでしたが、それで吉野方に転じるかと言われると、それはなんとも。他のところも、特に気になるようなものはありませんでした」
「妙な訪問者がいたりとか、隠し事をしていそうな節などは?」
「妙法院では
ふむ――と師直は短く頷いた。
そういう事情があると分かっていればもっと注意深く観察していただろうが、さすがに何も知らない状態ではこの程度の情報しか出しようがない。
「分かった。この件に関しては気にするな。お前は妙法院の件で手が回らないだろうしな」
「言っていただければ、やれるだけのことはやりますよ」
「ああ、その必要が生じたら改めて声をかける。一応、気に留めておいてくれ。あと、この件は口外するな」
誰が吉野方に通じようとしているか分からないのであれば、迂闊に触れない方が良い。
こちらが探っていることは、出来る限り相手に悟られないようにする必要がある。
「そういえば」
立ち上がって去ろうとする重茂の背中に、師直が問いかける。
「肝心なことを聞くのを忘れていた。
師直が尋ねているのは、妙法院焼き討ち事件についての話ではない。
吉野方と通じているような気配があるか、ということである。
「偏った見方になるが、
確かに偏った見解だが、十分ありそうな話でもあった。
佐々木道誉は鎌倉と後醍醐が対立したときも、後醍醐と足利が対立したときも、巧妙に立ち回って勝者の側についている。
油断ならない一面を持っているのは確かだった。足利との繋がりも、はっきり言ってそこまで強固ではない。
「……道誉殿は」
しばらく沈思した後に、重茂はゆっくりと口を開いた。
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