第149話「都を駆ける神仏(玖)」

 暦応りゃくおう三年、十月二十五日。

 重茂しげもち含む幕府中枢メンバーは、再び直義ただよし邸に集まっていた。

 佐々木ささき道誉どうよ父子に対する処罰を決定するためである。


 集まった面々の顔には、疲労が見え隠れしていた。

 重茂も例外ではない。実のところ、ここ最近は道誉父子の一件以外にも厄介な問題が多発していた。

 興福寺こうふくじ東大寺とうだいじといった有力寺社が、自分たちの所領を荒らされたと憤って訴えを起こしているのである。


 どちらもかなり強気で、神木・神輿といった自分たちの神威の象徴を持ち出してきている。強訴一歩手前の状態と言って良い。

 そちらの問題についての対処も行っていたので、幕府官僚陣はかなり疲れていた。


「どいつもこいつも、強訴さえすれば自分たちの要求が通ると思っているのではないか」


 昨日の業務の締めで、吉良きら満義みつよしがそうぼやいていた。幕府官僚陣の総意であろう。

 引付方の審理で勝ちを収め続けているからか、近頃有力寺社は明らかに調子に乗っていた。

 彼らの唱える理屈は確かに間違っていない。しかし、それはそれとして幕府としてはかなりの鬱屈が溜まっている。


「一同、本日も集まっていただいたこと、感謝する」


 重茂たちより遅れて直義も姿を見せた。

 ただ、普段の定位置である首座にはつかず、その脇に腰を下ろす。

 重茂たちはそのことに疑問を抱いたが、すぐにそれは解決した。


 直義に続く形で、尊氏たかうじ登子なりこ夫妻が姿を見せたのである。

 一同は、やや慌てて頭を下げた。


 尊氏は表向きのまつりごとを直義に委任しており、半ば隠居状態になっている。

 幕府の業務で顔を見せるのは、かなり珍しいことだった。


「この一件は朝廷からも話が来ている。我らがどのような判決を下すにせよ、普段から朝廷とのやり取りが多い直義よりは、この尊氏による決定とした方が今後やりやすかろう」


 尊氏の一言で、一同は彼が姿を見せた理由に得心した。

 朝廷の意に沿わぬ決定になったとしても、直義は「何分兄が決めたことでして」と申し開きができる。

 表向きのことを直義に任せつつ、最終決定権は尊氏が握る。そういう体制のメリットの一つだった。


「では評定を始めるとしよう。まずは、佐々木父子をここへ」


 直義に命じられた小姓が、道誉・秀綱ひでつなを呼びに行く。

 今日の評定は、二人から話を聞いた上で最終的な決定を下すという段取りになっていた。


 調査によって事件の内容は大分明らかになってきているし、二人への聞き取りも既に行っている。

 ただ、改めて公式の場で問題点を整理する必要はあった。


 呼ばれて姿を見せた道誉・秀綱は、一同の中心に位置する場所に腰を下ろした。

 秀綱の方は改まった格好だが、道誉は相変わらず派手な模様の衣装を身に着けている。

 とてもこれから尋問されるとは思えない出で立ちだった。


「佐々木判官はんがんおよびその子息・新判官、揃って参上いたしました。御一同、お勤め御苦労でございますな」


 尊氏がいるというイレギュラーに動じること様子もなく、道誉はいつも通り飄々としていた。

 その様子に苛立ったのか、吉良満義が顔をしかめる。


「あれだけのことをした割に、随分と態度がでかいな。佐々木判官」

「理由があってしたことゆえ、縮こまる必要性を感じておらぬのだ、吉良殿」


 満義の言葉にも平然と反論する。少なくとも、肝の大きさは尋常ではない。


「これで私が足利あしかがの一門や家人なら、お騒がせして申し訳ないと足利殿に頭を下げる。しかし、私はどちらでもないのでな。普段通り、ありのままの佐々木道誉をお見せするしかない」

「細かい理屈を。これは足利云々だけで収まる話ではない。門跡寺院に手を出して、延暦寺えんりゃくじ・朝廷の双方に喧嘩を売ったも同然なのだ。その辺りのことを理解していないのか」

「理解はしているが、そうするだけの理由があったのだ。だいたい、しでかしたことのでかさで言うなら、私などよりよほどとんでもない御方がここにいるではないか。吉良殿はそちらにも文句を言うのか?」


 道誉の言葉に、場の空気が凍り付く。

 彼が指し示しているのは、北条ほうじょう後醍醐ごだいごを裏切った尊氏のことだろう。それを尊氏の面前で堂々と言ってのけたのである。


 道誉と満義の話を黙って聞いていた尊氏も、ぴくりと眉を動かした。手にしていた扇子がかすかに浮かび上がる。


 それを見た重茂は、咄嗟に拳で床を殴りつけた。

 尊氏や満義含め、一同の視線が重茂へと注がれる。


「道誉殿。さすがに今の言葉は看過できんぞ。それは、我らが主に対する侮辱か?」

「おや、重茂殿。いやいや、侮辱のつもりなど毛頭ない。私は権威におもねるばかりが良いことだと思っていないからな。むしろそこで流されず己を貫ける御方へは、尊敬の念を抱いている」

「だとしても、いたずらに引き合いに出すものではない。そうする必要性があったか」

「……いや、なかったな。失礼。この点については、謝罪させていただこう」


 ここが引き際と判断したのか、道誉はようやく舌鋒を引っ込めた。

 重茂が声を上げたことによって、尊氏や満義も道誉に対する言葉が出てこなくなったらしい。


「……それでは、これより佐々木父子に対する尋問を開始する」


 直義の一言により、ようやく今日の本題が始まった。




「まず、事件について改めて流れを確認させてもらう」


 暦応三年十月六日。

 郎党と共に出かけていた佐々木秀綱は、妙法院の側を通った。

 その際、郎党の一人が妙法院の庭から伸びていた紅葉の枝を折った。


「その点、相違はないか」

「はい。相違ありません」


 答える秀綱の顔には、よく見ると切り傷のようなものがあった。

 事件前に会ったときにはついていなかった傷跡である。

 妙法院に焼き討ちを仕掛けた際、僧兵と戦ってできた傷のようにも見えるが、重茂はそこにかすかな違和感を覚えた。


「これまでの調査では明らかになっていないが、なぜ紅葉の枝を折ろうなどと思ったのだ」


 以前、秀綱に対する聞き取りは重教が行っている。

 しかし、最初のきっかけになった枝折りの件について、秀綱は言葉を濁していたのだという。

 直義はその点が気になっているらしい。重茂としても、はっきりさせておきたいところだった。


「風情を感じたので、つい」

「だとしても、いきなり折るというのはいささか乱暴ではないか。それを見ながら一句詠む、ということなら分かるが」


 秀綱は直義から視線を逸らし、それはそうですが、と曖昧な返答をした。

 何かを隠そうとしているようにも見える。


 ふと、重茂は妙法院を訪れたときのことを思い出す。

 折られたという紅葉についても、当然確認はしている。

 庭先まで伸びていて、意外と垂れ気味になっていたのが印象的だった。


「……秀綱殿。もしや、紅葉が折れたのは意図的なものではなかったのか?」


 横から口を挟んだ重茂に、秀綱はぎくりとした表情を向けてきた。


「どういうことだ、重茂」

「件の紅葉は庭先まで伸びていて、意外と垂れていたのです。徒歩であれば気にならないかもしれませんが、馬上であれば、もしかすると顔にぶつかっていたかもしれません」


 顔の切り傷は、もしかするとそのときについたものなのかもしれない。

 確証はないが、傷のついた時期や折れた枝の位置を考えると、そういう可能性も考えられた。


「ぶつかった弾みで折れたということか?」

「いえ。よほど馬を勢いよく駆けさせていなければ、さすがにそれだけで折れるとは考えにくいかと。緊急時でもないのに、市中でそこまで速さを出すということはないと思います。あるとすれば、枝にぶつかった秀綱殿が怪我をして、腹を立てた郎党が叩き折った――というところではないかと」


 こんなところに垂れている枝に問題がある。

 主人の体面を守るため、そういって枝を叩き折る。面子を大事にする武士なら、いかにもありそうなことだった。


 重茂の推測に、秀綱の顔色が青ざめていく。どうやら、その推測は良いところをついているようだった。


「だとしたら、それをそう言えば良いのではないか」

「馬上で枝にぶつかって怪我をした、というのを恥じたのでしょう。余所見でもしていなければ、ぶつかるようなものでもないわけですし。それに、郎党が憤って枝を叩き折ったという話になると、その者への責任も追及する必要が出てくる。秀綱殿は、自らの郎党に責任が及ばないよう庇っている可能性があります」

「重茂殿。推測で勝手なことは言わないでいただきたい」


 たまりかねたのか、秀綱が語気を強めつつ口を出してきた。


「そうだという証拠はあるのですか」

「今はない。が、そなたの郎党の顔と名前は一通り調べてある。妙法院焼き討ちで亡くなった者も六名ほどいたが、他の者にはあとで話を聞くことができる。それではっきりするだろう」


 亡くなった者の数をぴたりと言い当てられて、秀綱は目を見開いた。

 郎党が秀綱と口裏を合わせようとするかもしれないが、こういうのは一人か二人はボロを出すから、だいたいのことは分かる。


「……紅葉の枝を折った理由については、事故がきっかけだったと仮定する」


 直義は、重茂の推測に異論がないようだった。

 秀綱は嫌そうな顔を浮かべたが、良い反論が出てこないようだった。


「そして、それを妙法院の住持が見咎めた。……少し疑問なのだが、住持はこのとき外に出ていたわけではないのだな? なぜ枝が折られたということが分かったのだ」


 直義の問いかけに、重茂が答える。


「私は残念ながら僧兵に嫌われてまともに話を聞けませんでしたが、その場に居合わせた上杉うえすぎ重能しげよしが聞き取りをしてくれていました。どうも秀綱一行は相当騒がしかったらしく、元々警護の僧兵たちは目を光らせていたようなのです。それで、枝を折るのを見た僧兵が住持に報告したとのことで」


 重能の名が出たとき、尊氏はかすかに眉をひそめた。

 四条しじょう家の命令とは言え、自分に縁談を勧めてきた重能にまだ思うところがあるらしい。

 今度の件も重能は四条家の命令で動いていたのだ。それも尊氏としては面白くないのだろう。


「余計な報告をしてくれたものですな。それさえなければ住持殿が命令を下すこともなく、ただ枝が一本折れて終わりという話だったというのに」


 道誉が不快そうに口を尖らせる。

 確かに、僧兵の対応はやや過剰な気もした。


「秀綱殿は、僧兵の中に顔見知りなどはいたか」

「いや。……ただ、俺の郎党の中には僧兵の名を呼んで罵っている者もいた。もしかすると、顔見知りがいる奴もいたかもしれぬ」

「相手が何者か分かっていた。その前提であれば、僧兵の対応は分からなくもない。最初から互いに敵対感情を持っていた、という可能性が考えられる」


 秀綱の郎党は皆近江おうみの武士層で、妙法院の総本山である延暦寺とは浅からぬ因縁を持つ者もいる。

 この事件は一見すると突発的な喧嘩にも見えるが、その実もっと深い縁があって成り立っている可能性がある。


「その後、秀綱殿はどうしたのか」

「枝が折れたのを見て、程なくその場を離れました。こちらとしては妙法院に喧嘩を吹っ掛けるつもりもありませんでしたし、長居する理由がありませんでしたので」

「僧兵が住持に報告している間に離れたということだな」

「はい。ただ、しばらくすると後方から僧兵がなにやら追いかけてきました。何事かと思いましたが、郎党の何人かが『この場はお任せください』と言うので、そのまま立ち去ったという次第です」


 秀綱の証言は、これまで調査で判明した事柄と矛盾していない。

 秀綱自身は、あまり主体的に妙法院に喧嘩をしかけようとしたわけではなさそうだった。


「その後、知人の邸宅に立ち寄って歓談していたところ、残していった郎党が酷い怪我を負って駆け込んできました。話を聞くと、妙法院の僧兵と喧嘩になり、大勢に囲まれて激しく打擲されたとのこと。自らの郎党がここまでされて黙っているわけにはいかぬと、妙法院に向かう準備を始めたのです」

「すぐには向かわなかったのか」

「妙法院の僧兵全部を相手にするには戦力が不足していました。それに、相手が相手ですからね。親父殿には経緯を説明しておいた方が良いだろうと思ったのです」


 しかし、そこで秀綱にとって想定外のことが起きた。

 道誉自身が援軍として駆けつけてきたのである。


「……秀綱殿の話は筋が通っているように見受けられる。こちらが調査した内容との大きな齟齬もなさそうだ」


 秀綱への尋問は、これで一区切りということらしい。

 まとめに入った直義に、道誉がわずかに身を乗り出した。


「ということは、次は私への尋問ですかな」

「そう――と言いたいところだが、片側だけの証言だけで物事を判断するのは公平性に欠ける。一人、有力な証人にお越しいただいているので、先にその御方からの話を聞きたい」


 直義の言葉に、その場がわずかにざわついた。

 まだ見ぬ証人のことは、重茂も聞かされていない。おそらく、この場にいるほとんどの者が知らなかったのだろう。


 直義は小姓に命じて、その証人を呼びに行かせた。


「まさか、妙法院の住持殿ですか?」

「それも検討したが、にべもなく断られてしまった。それに、あの御方からの聞き取りはそなたが十分にしてくれたであろう」


 確かに、あれ以上聞き出せることはなにもなさそうだった。


「では、いったいどなたを?」

「住持殿は、そのとき客人を招いて歌会を開いていただろう。そのときの客人の一人だ」


 そのとき、勢いの良い足音と共に一人の男が現れた。

 現れるやいなや、その場にいる全員を圧倒するような大音声を轟かせる。


「待たせたな、足利の諸君! 我こそは大覚寺統だいかくじとう――そして吉野院よしのいんの跡を継ぎし者、邦省くにみ親王である!」

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