第145話「都を駆ける神仏(伍)」

 佐々木ささき父子による妙法院みょうほういん焼き討ち――。

 その報が流れた翌朝、早くも重茂しげもち直義ただよし邸に召集を受けた。


 呼び出されたのは重茂だけではない。

 直義邸に向かう途中、やはり呼び出されたであろう人々の顔が見えてきた。


 引付方ひきつけかた一番頭人とうにん吉良きら満義みつよし

 同二番頭人・吉良貞家さだいえ

 同三番頭人・石橋いしばし和義まさよし

 同四番頭人・上杉うえすぎ朝定ともさだ

 侍所さむらいどころ頭人・細川ほそかわ顕氏あきうじ

 問注所もんちゅうじょ執事・太田おおた時連ときつら


 足利あしかが政権の中枢メンバーの多くが、神妙な面持ちで直義邸に向かっている。

 他にも、彼らに次ぐ席次の者たちも集まってきている。

 今回の事件がどれだけ大事なのか、この顔触れを見ただけでも容易に想像がつく。


 集まった面々は言葉を交わさず、直義邸の広間へと集まった。

 重茂も決められた場所に着座する。ふと隣を見ると、朝定が会釈してきた。


「このような形で召集がかかるのは初めてですね」

「佐々木父子のしでかしたことが、それだけ問題視されているということでしょうな」

秀綱ひでつな殿は私にとって良き同僚でした。できることなら、穏便に済ませたいと考えています」


 穏便に済ませられるかどうかは、今から始まる会議次第だろう。

 会議の主導権を握るのは直義である。彼が今回の件をどのように捉えているかが鍵だった。


「失礼、お待たせいたした」


 一同が集まってしばらくした頃、邸宅の主・直義が広間に現れた。

 丁寧な物言いなのは、足利宗家に匹敵する家格を有する吉良の二人に気を使っているからだろう。

 引付頭人という点では重茂と同じだが、この二人は家のランクが段違いなのである。


「改めてお伝えするが、昨日、近江おうみの佐々木道誉どうよ・秀綱が郎党を引き連れて妙法院を焼き討ちした。その件について我らはどのように臨むべきか、御一同も交えて相談させていただきたい」


 直義は自身の見解を述べなかった。

 なにかしらの考えはまとめてきているに違いない。おそらく、各自の見解を聞いた上で最後に話すつもりなのだろう。


「直義殿」


 最初に手を挙げたのは石橋和義だった。

 彼は先日まで備後びんご国の守護として、現地で戦いに赴いていた。

 状況が落ち着いて京に戻ってきたばかりで、どことなく都の空気に馴染み切っていないところがある。


「恥ずかしながら、私はまだ京の事情に疎い。佐々木父子のことは知っているが、焼き討ちされたという妙法院のことはそこまで詳しくないのだ。その辺りのことを教えていただけるだろうか」


 石橋和義は、尾張おわり足利氏の分家筋の人である。

 さすがに高経たかつねや吉良氏には一歩譲るが、足利一門の中ではかなり格の高い家柄だった。


 加えて、和義は尊氏たかうじが九州に落ち延びていたときに赤松あかまつ円心えんしん仁木にっき頼章よりあき等と中国地方で敵を食い止めていた功労者でもある。

 先日まで備後国の守護として現地で任に就いていたのも、そのときの手腕を評価されてのことである。


 自らの無知を素直に伝えて教えを請いつつも、その振る舞いは堂々としたものだった。卑屈なところがない。


 直義は頷くと、今回の事件についての振り返りを始めた。


「妙法院は天台宗てんだいしゅうの寺社で、かの伝教法師(最澄さいちょう)が開いたと伝わっている由緒あるところだ。更に、皇族や有力な公家が住持を務める――所謂門跡もんぜき寺院と呼ばれるところでもある」


 歴史と格を兼ね備えた、顕密仏教における最上位層にいる寺社と言って良い。


「詳細は今も確認中だが、今分かっている限り、佐々木秀綱一行と妙法院の坊主が揉めたのが事の発端らしい。最初は郎党と坊主の喧嘩だったようだが、途中から秀綱自身が乗り出して大きな騒動になったという。そして、それを聞きつけた道誉が駆けつけて妙法院に火を放ったそうだ」


 あらすじを聞いているだけで頭の痛くなりそうな事件である。

 暦応寺りゃくおうじ建立のこともあって、幕府としては顕密側との関係に気をつけていた。

 その矢先にこのような事件が起きたのである。なんてことをしてくれたのだ、というのが重茂の率直な感想だった。


「もう一つ悪い話がある。妙法院の現在の住持は院の御弟君だ。御本人は急ぎ逃げて難を逃れたらしいが、此度の騒動で死傷者が出たこともあって激怒されておられるようだ」


 喧嘩がエスカレートして死傷者が出るというのは、武士同士であれば時折ある話だった。

 ただ、相手が寺社や皇族絡みとなると「そういうこともありますな」などと言ってはいられない。


「成程。つまり、佐々木父子は天台宗・皇族の両方に喧嘩を売った形になる、というわけか」


 石橋和義が状況を簡単にまとめた。


 単純に有力寺社と揉めた、という話ではない。幕府の正当性を保証する光厳こうごん院の身内に手を出してしまった、という話なのである。

 朝廷の反応はまだ分からないが、佐々木父子の処遇について厳しい姿勢で臨んでくるであろうことは容易に想像がつく。


 戦こそ起きていないが――これは非常事態なのである。


「我らは、その前提で今回の件でどのように臨むか方針を決めておかねばならない。それが本日集まっていただいた理由だ」




 静まり返った集団の中から、最初に声を上げたのは吉良満義だった。


「佐々木道誉――みなもとの頼朝よりとも公を助けた佐々木秀義ひでよしの子・定綱さだつなの裔――の庶流」


 やや強調するように付け足された「庶流」という言葉に、満義の意識が表れているかのようだった。


「佐々木氏の惣領は氏頼うじより殿であり、彼も我らに味方をしている。庶流の父子を失ったところで、近江の統治に支障は出ないでしょう」

「道誉父子の責任を問われた場合、要求を呑んで彼らを処罰する――ということかな、満義殿」

「ええ。処罰を望んでいるわけではありませんが、朝廷・天台宗の双方を敵に回してまで庇うこともない。そう考えています」


 満義の意見に、遠戚である貞家も頷いてみせた。

 他にも首肯している者が何人かいる。


「道誉殿は近頃氏頼殿を上回る目立ち方をされていた。惣領の座を奪おうという風聞もあったと聞いています。道誉父子を処罰するとなれば、その問題を未然に防ぐことができるとも言えますな」


 道誉に対してかなり手厳しい物言いだが、満義の言葉は間違っていない。

 佐々木氏の惣領・氏頼からすると、道誉の存在は常に危うさを孕んでいる。

 惣領の座を脅かすような声望、やたらと目立つ言動。どちらも、一歩間違えば氏頼に不利益をもたらしかねない。


「私はそこまで道誉父子のことを知らぬので、特にこれといった見解はない。ただ、まだ各地では戦が続いている。寺社はともかく、朝廷との関係は大事にすべきだと思う」


 石橋和義は、やや朝廷寄りながらも中立の立場を示した。

 京の状況に疎いのであれば、そういう風にしか言えないだろう。


「戦といえば、道誉父子はそこまで良い戦働きをしているようには見えませんな。伊勢いせ国の攻略でも、人を集めるところから難儀しているようです。武勇という点においても、そこまで惜しい人物ではないように思います」


 侍所頭人を務める細川顕氏も、道誉に対しては手厳しい見解を述べた。

 彼は道倫どうりんこと細川和氏かずうじの従兄弟であり、湊川の戦いで抜群の活躍をした細川定禅じょうぜんの実兄でもあった。


 顕氏自身も戦では数多の活躍をしている。

 師直もろなおと共に北畠きたばたけ顕家あきいえとの最後の戦を繰り広げ、その働きを絶賛されたこともあった。


 統治面でも武勇面でも、道誉に対する評価は辛いものばかりが出てくる。

 実際、そういう指摘に反論するのは難しいような気がした。


「道誉殿は、勧修寺かじゅうじ経顕つねあき殿を通して朝廷との交渉役をされていました。京の事情にも詳しく、その道においては得難い人材ではないかと思います」


 ここでようやく道誉を擁護するような意見が出た。

 口にしたのは、同じように朝廷との交渉役をしている上杉朝定である。


「その役割も、朝定殿がいれば十分であろう」

「朝廷との交渉は複雑ですし、同時に複数の交渉をしなければならないときもあります。私だけでは回りきらなくなることもあり得るかと」

「そのときは、どうにか殿を説得して重能しげよし殿を復帰させれば良いと思うが」


 満義は朝定の意見に懐疑的だった。

 もしかすると、秀綱を庇いたいという朝定の心情を見抜いているのかもしれない。


 満義に朝定が押され始めた頃、ふと重茂は視線を感じた。

 真正面から、直義がこちらをじっと見ている。

 何かを促されているかのような眼差しに、やや面倒なものを感じつつ、重茂は頷いて応えた。


「近江統治について考えるのであれば、一つ気になる点があります」

「申してみよ」

「そもそもの始まりは、佐々木秀綱の郎党と妙法院の坊主の喧嘩とお聞きしました。道誉・秀綱父子自らが妙法院に喧嘩を吹っ掛けたのかは、まだ分かりません」


 重茂の言葉に、満義や顕氏は首をかしげていた。

 こいつは何をそんな細かいことを気にしているのか――そう思っているのだろう。


「妙法院は天台宗、つまり叡山の系列です。叡山と近江衆は頼朝公の時代から何かと揉めていました。道誉父子の行動は軽率なものだったと思いますが、それだけが今回の事件の理由かは分かりません。近江衆の長年の鬱屈が今回の事件を引き起こしたという可能性もあります」

「だったらなんだというのだ」

「その場合、道誉父子は近江衆の不満を背負って事に及んだということになります。そんな道誉父子を処罰すれば、近江衆が足利への不満を抱いて吉野よしの方に寝返る恐れがあります」


 満義や顕氏の表情が険しくなった。

 重茂に言われて、道誉父子の別の側面に気が付いたらしい。


「私もその点が気がかりなのだ」


 直義が重茂の言葉を引き継いだ。


「氏頼殿も道誉殿も我ら足利にとっては良き協力者だった。その厚意に甘えていろいろと頼ってきたが、未だ十分に報いることができていない。叡山だけでなく、我ら足利に対しても不満を持っているかもしれない。対応を一つ誤れば、彼らが敵に回る可能性も十分にあり得る。いかに惣領といえど、氏頼殿だけでそれを抑えるのは難しいだろう」

「近江衆が敵に回った場合、喉元に刃を突きつけられるようなものですな。伊勢攻略どころの話ではない。吉野と連携して京に攻め上ってくることも考えられます。それを抑えきれるかと言われると……」


 顕氏は即座に軍事面でのリスクを考えたらしい。

 満義も事の難しさを把握したようだった。ぴたりと口を閉ざして、難しい表情を浮かべている。


「我らは、朝廷・叡山・そして近江衆――そのすべてを敵に回さぬよう立ち回らなければならないということですな」


 石橋和義の言葉に、直義は無言で頷いてみせた。


「事の難しさを考えると、早急に結論を出そうとするのは却って危険です」


 それまで沈黙を貫いていた太田時連が、ゆっくりと口を開いた。

 鎌倉幕府の頃から官僚として第一線で働き続けてきた古老の言葉である。

 何気ないものであっても、他の者たちとは重みが違っていた。


「疑わしき者を罰したものの、実のところそれは冤罪だった。そういう事例は過去にも沢山あります。それによって失われたものも少なくありません。今出せる結論は『まだ結論は出せない』以外にないでしょう。結論を出すためには、この事件についてきちんと調べる必要があります」

「朝廷や妙法院、あるいは叡山が急ぎの処罰を求めてきたらどうする」

「しばらくは『検討中だ』で押し通して良いでしょう」

「強訴をしかけられたときは?」

「強訴をするためには延暦寺としての総意を得る必要があるので、準備に相応の日数がかかります。この件について調べる猶予は十分にあります」


 直義の問いかけにすらすらと明確な回答が出てくるあたり、時連の見識の深さが窺える。

 皆がその様子に感服していた。引付頭人、侍所頭人等体裁は整えているが、皆時連に比べるとまだまだ経験が浅い。


 一通り時連に確認を取り終えた直義は、改めて全員に向き直った。


「それでは、本件についての結論は保留とする。満義殿、貞家殿、和義殿はこのことを周知していただきたい。他の武家が、この件に乗じて勝手な行動をとらぬようにな。朝定は朝廷から連絡が来たら私の下へ知らせて欲しい。小四郎(顕氏)は市中の見回りを強化して、これ以上騒ぎが大きくならぬよう務めよ」


 そして最後に、直義は重茂にこう命じた。


「重茂は、本件の調査をせよ。我らがどのような結論を出すべきか。そのために必要な情報を揃えるのだ」

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