第144話「都を駆ける神仏(肆)」
京の都では穏やかな日々が続いている。
各地での戦はまだ続いているが、日ノ本全土で見ると徐々に落ち着きを取り戻しつつあり、京に関しては活気も戻りつつあった。
もっとも、その平和は一部の人々が神経をすり減らすことで成立している。
「そういえば、今年は
登子たちのところで、
今日は近況報告のため、委渡と共に重茂邸に来ていた。
委渡はなにやら
「思ったより早く状況が改善されたな。俺としてはもう少しかかると思っていたが」
「
重茂が畠山の弱味を握ったまま帰京してきたのが効いているのかもしれない。
直顕としては、どうにか自分の忠節をアピールしておかなければ、事が露見したときに為す術がないのである。
そのマイナスを帳消しにするだけの働きをしておきたい、という思いなのだろう。
「またどこぞの寺社領から掠め取ったりしていなければ良いが」
「それは、なんとも言えませんね」
畠山直顕に前科があるから心配――というだけではない。
直顕に限らず、戦乱で不足していたモノを寺社領などから分捕ろうという者は決して少なくない。
領地の差配を任されている代官も窮乏しているので、止めるに止められない。
場所によっては、代官自体が横領行為に走っているケースもあるという。
「横領が繰り返されると、それだけ
「おや。重茂殿は大層やる気を出して仕事に取り組まれているとお聞きしてましたけど」
「やる気があるかどうかと望んでいるかどうかは別の話だ。寺社領の横領となると非があるのは当然横領してる方になるが、それで裁定し続けた結果一部からは不満が出始めてるし、正直あまり持ち込まれたくない。代わりに寺社側の機嫌は多少良くなっているが」
ちなみに、ここで言っている寺社側というのは基本的に顕密側の寺社を指す。
禅律側については、禅律に関する訴訟を取り扱う禅律方という機関があるので、普通引付方に案件が持ち込まれることはない。
「義父上、
話の途中で
訴訟の件かもしれない。ちょうど良いので、この場にそのまま通すことにした。
「先日五番方で扱われた訴訟の件で話があって来ました」
「あれは特に問題なかったと思うが。評定での最終決定の場には
引付方での裁定は、それがそのまま最終決定になるわけではない。
引付頭人や上位のメンバーを交えた評定の場で、トップの直義が最終決定を下す。
秀綱が言っている訴訟の件については、道誉がぶつくさと文句を言っていたが、最終的には反対意見なしで
「親父殿とはまだ喧嘩中でしてね。それに、あれで敗訴したのは俺の子分みたいな奴です。泣きつかれた以上、俺としても動くしかない」
武士には面子というものがある。
面子を保つために大事なことは沢山あるが、自分を頼ってくる相手の期待に応えるというのもその一つだった。
これを怠れば秀綱は親分としての面子を失い、周囲からの人望を損なうことになる。
「なるほど、それは動かねばなるまい。……それで、成果まで御所望か?」
「いえ、さすがにそれは無理があります。俺もその点は理解していますよ」
「なら、その子分殿には『頭の固い五番方の頭が頑として譲らなかった』とでも伝えておけ」
子分のために動いたという事実があれば、最低限の面子は保たれる。
秀綱が欲しかったのはそれだろう。さすがに直義の決定を覆そうとまでは思っていない。
「俺としても頭が痛いんですよ、重茂殿。俺の傘下の連中は
伊勢は
幕府もこれを放置してはおけないと、近場の近江から軍勢を繰り出して攻略に乗り出しているが、正直あまり成果は出ていない。
「伊勢攻略に関しては、なんだ、その、すまぬな」
「なぜ重茂殿が謝罪するのだ」
「攻略の指揮を執っているのが身内なのだ。あいつも懸命に臨んでいるのだとは思うが」
伊勢攻略の指揮を執っているのは、重茂の従兄弟であり、関東に下向した
彼は青野原の合戦が終わった頃から、伊勢攻略を任されている。しかし悲しいくらい結果が出ない。
度々吉野方の拠点の攻撃を仕掛けるなどやる気はあるのだが、失敗に終わり、そのまま反撃を受けることもしばしばだという。
「俺も戦ではまったくと言っていいほど結果を出せていないので、我が身のように感じる。近江の者には迷惑をかけてすまぬとは思っているのだが」
「こればかりはどうしようもないですね。戦ともなればどっちも必死だ。ただ、近江の武士がかなり消耗してるというのは重茂殿からも直義殿に伝えておいてください。あいつらの苦しさや憤りは、俺も十分理解できるんです」
戦に駆り出され続けている上に、訴訟でも負け続けている。
最近の訴訟について一部で不満が溜まっているのは把握していたが、近江武士の鬱屈はこちらが思っている以上に溜まっているのかもしれない。
秀綱の言う通り、一度直義に言っておいた方が良さそうだった。
「とは言え、暦応寺の件で延暦寺も神経をとがらせているところがあるからな……。近江武士を贔屓するとしても、塩梅が難しい」
暦応寺建立騒動は、
しかし、今年になってから再び朝廷・幕府首脳陣が動き始め、顕密側もざわつき始めている。
訴訟で勝ち続けているから不満は大きくなっていないが、ここで訴訟に負け始めると再び問題が表面化するかもしれない。
「昨年からずっと居座り続けていた
興福寺による春日大社の御神木を担ぎ上げての強訴は、朝廷の政務を大いに滞らせた。
その問題がようやく解消されたばかりなのである。
顕密側をいたずらに刺激し過ぎないようにと、朝廷・幕府は少なからず気を使わざるを得なくなっていた。
「そもそも、なんであいつらは強訴して許されるんです。あんなことを許してたら付け上がる一方じゃないですか」
「別に朝廷も許したくて許しているわけではなかろうよ。神仏を敵に回すことを皆が恐れているのだ」
「そりゃ、俺も神仏を敵にはしたくありません。けど、あいつらは神仏を私利私欲のため利用しているだけでしょう。一度ぶっ叩いても仏罰は当たりませんよ」
「まあ、お前の気持ちも分かる」
重茂とて、実弟・
言ってしまえば身内の仇なのである。職務で比叡山の訴えを聞きながら、いろいろと思うところはあった。
「だが、今は堪えろ。近江武士に報いるための方策は我らも考えているし、山門の在り様が今のままで良いとも考えてはいない。ただ、今は吉野方との戦いを終わらせるのが最優先。すべてはそれからだ」
「分かっていますよ。親父殿にも同じことを言われました」
着物を駄目にしたという理由の割に、秀綱と道誉の親子喧嘩はかなり長引いている。
もしかすると、その一因として近江武士や延暦寺に対するスタンスの違いがあるのかもしれない。
口では納得したようなことを言って帰っていった秀綱を見送って、なずなが「はあ」とため息をついた。
「あちらを立てればこちらが立たぬ、ですねえ」
「元から理解しているつもりではいたが、引付
その均衡は、本当に些細なことで崩れる可能性もある。
それを維持し続けなければならないというのは、薄氷を踏むような思いだった。
その年――暦応三年の秋。
重茂のもとに、佐々木道誉・秀綱父子が
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