第128話「海原を駆ける者たち(肆)」

 その場にいた全員の視線が至境しきょうに注がれる。

 げんで暴徒を率いて一帯を荒らしまわった張本人。それが博多商人・至境の正体だった。


「ちょ、ちょっと待ってください」


 それまで話を聞いていた重教しげのりが、表情を青ざめさせて身を乗り出した。


「元は国を閉ざしてるって話でしたけど、もしかして、というかどう考えても、その濫妨狼藉が原因なんじゃないですか」

「否定はせん」


 非難するような重教の言葉に、至境は淡々と返した。


「奪われた品に見合うだけのものを取り戻した。そこが潮時と見て、俺たちは暴徒の群れから抜け出して戻った。次に慶元へ行こうとしたとき、船から降りることも許されず、倭人の入港は認めぬと追い返された」

「やっぱり!」


 重教は大きく頭を抱えた。

 元が国を閉ざした元凶は、他ならぬ至境本人だったというわけである。


「どうするんですか、義父上。単に閉ざしてるだけなら良いですけど、元がその件で怒ってまた攻め込んできたら。今は吉野よしの方との戦も落ち着いてないですし、とてもじゃないですが元を相手にしてる余裕なんてないですよ」


 そう。それが目下最大の問題だった。


 元の国力は日ノ本と比べものにならない。

 その全ての力をもって攻め込んでくるとは思わないが、それでも恐るべき相手である。

 後醍醐ごだいごを失って勢いを失っている吉野方などよりも――あるいは全盛期の後醍醐方よりも、元は強大と言って良い。


 かつて元が攻め込んできたとき、鎌倉幕府も単独では対処できなかった。

 御家人と呼ばれる将軍旗下の武士だけでは勝ち目がないと判断し、御家人以外の武士――朝廷に属する武士まで動員して、どうにか撃退することに成功したのである。


 しかし、今の足利あしかが政権にそれだけの兵力を動員することはできない。

 まず国内の勢力が足利方と吉野方に二分されている。加えて、ここ数年の戦乱で疲弊している武士が少なくない。

 召集をかけたところで、まともに戦える兵力がどれくらい集まるか。正直、期待はしない方が良いだろう。


 今再び元寇が起きたら、はっきり言って対抗する術はない。


 ただ、重茂しげもちは重教ほど焦ってはいなかった。

 一つ、気になることがある。


志佐しさ殿」

「なにかな」

「志佐殿の見解を伺いたい。元は報復のため攻め込んでくるか否か」


 尋ねられた志佐たもつは、濃ゆい顎鬚を撫でながら「ううむ」と頭を捻ってみせた。


「その問いかけは、足利方からのものだろうか」


 重教や弥八やはちたちはその意図を掴みかねていたが、重茂は即座に理解して頭を振った。


「いや、今のところは私個人からの問いかけだ」

「そうか。ならば答えよう。俺個人としては、そこまで危惧するものではないと見ている」


 今度はあっさりと応える。有としては、足利方に迂闊なことを言いたくなかったのだろう。


 しかしこれではっきりした。

 元の侵攻について、今のところそこまで危惧する必要はない。


 有だけではない。

 至境や古先こせん印元いんげん等、元という国を直接知っている者たちは、重教ほど慌てていなかった。


 元が再び攻め込んでくるようなことがあれば、真っ先に被害を受けるのは北九州を根拠としている有や至境である。

 そのリスクがあると見ているなら、危機感から行動を起こしているはずだった。それこそ、自分の身を守るため朝廷や足利方に連絡を寄越していることだろう。だが、今までそういう話は聞いたことがない。


「ちなみに根拠はあるか?」

「いや、ない。だから、足利方としての問いかけなら答えられなかった。そこまでの責任を負うことはできないからな」

「慎重なのだな」

「迂闊な言葉で身を滅ぼす。そういう手合いを何度か見てきたからな」


 松浦党まつらとうは武士の集団だが、海を駆けて博多商人と共に商談へ関与することもあるという。

 言葉の応酬は商人にとっての戦である。そういう環境に身を置いているなら、自然と言葉選びには慎重になるのかもしれない。


「なら、根拠とまでは言わん。そう思った理由を聞かせてくれないか」

「強いて言えば空気感だな。俺も追い返されたことがあるが、敵意というほどのものは感じなかった。あれは、どちらかというと厄介者を追い払うような感じだな」


 そういう現場の空気感というのは、元を知らない重茂たちには得難いものだった。

 確かに根拠とするには弱いが、判断材料の一つとしては十分だろう。


「元以外にも、うちには顧客がいる。海の先の顧客がな」


 珍しく、至境が自ら口を開いた。


「そういう顧客から話を聞いた。元は今、内で大いに揉めている。皇帝は次々と交替し、武人は自儘に振る舞い、誰が本当に偉いのか、まるで分からなくなっている有り様だという。他国を攻める余裕は、おそらくないだろう」

「なんだか、異国のことという気がしないな……」


 妙に既視感がある。

 どこも似たような問題を抱えるものだと思わざるを得ない。


「しかし、それは偶々向こうがそういう事情だったから助かった――というだけですよね」


 鋭い指摘をしたのは細川ほそかわ弥九郎やくろうだった。


「国が再び安定したら、その『倭寇わこう』のことを持ち出して攻めてくるかもしれません」

「それ言ったら、そもそも元とこっちは別に和睦なんかしてないんだぞ、弥九郎。倭寇がどうとか関係なく、いつ攻めてきてもおかしくない」

「それは建前の話だろ。戦はとっくに収まってて、貿易とかが普通に出来るようになってたんだ。事実上和睦したようなものと見て良かったんだよ。けど、倭寇によってそれが台無しになる可能性がある」


 弥八の反論をきっちり封じてから、弥九郎は物怖じせずに続けた。


「貿易において至境殿たち博多商人の力は欠かせません。しかし、すべてを委ねていては同じような問題が再発しないとも限らない。そのときも今回のように助かるという保証はないのです。私としては、誰か博多を統括する人間を出した方が良いと思います」


 弥九郎の言葉で、場の空気が一気に硬くなった。

 殺気が室内に充満する。この場で首を獲ろうかという緊張感が、重茂たちにまで伝わってきた。隠すつもりもないらしい。


「俺は」


 殺意のこもった眼差しを向けながら、至境が重茂たちを睨み据える。

 それは、守るべきものが危機に晒されたときの顔つきだった。


「俺は、元の父と日ノ本の母の間に生まれた。どちらの国の人間でもあり、どちらの国の人間でもない」


 複雑な想いが込められているであろう言葉だった。

 誇りを感じているようにも見える。恨みが含まれているようにも聞こえる。

 属さない人間。その生き方というのは、重茂の想像の外にあった。


「ずっと海に生きてきた。共に海を駆ける者は仲間であり好敵手だ。陸の人間は皆顧客だ。それ以上でもそれ以下でもない。他の関係は認めない。俺たちは何も支配しないが、何者にも支配されるつもりはない」


 それは、足利政権の――否、あらゆる権力からの干渉に対する拒絶宣言だった。


 無論、建前では権力と上手く付き合っているところもあるのだろう。

 だが、本音ではあらゆる権力から自由でいることを是としている。

 それを侵そうとする者は決して許さない。そういう覚悟が、至境の双眸から見て取れた。


「なるほど。至境殿が我らに事情を語りたがらなかったのは、我らの介入を懸念してのことだったか」


 暴れ回ったことを知られることは良い。

 ただ、その結果自分たちを統制しようとする者が現れることは避けたい。それが、至境の本音だったのだろう。


 無論、それはあくまで至境側の理屈である。

 弥九郎の言っていることも、まったくもって道理ではあった。

 至境のような気質の者たちを放置しておいて良いのか。足利にとっては、それが懸念事項だった。


「ちなみに、至境のような境遇・考え方のやつはこの博多じゃ――というか、この海じゃ少なくない」


 有が補足するように告げた。

 彼自身もそうなのだろうか。そんな重茂の疑問を察したのか、有はさらに続ける。


「俺たち松浦党はまた少し毛色が違うがな。重茂殿の立場も分かるし、至境たちの立場も分かる。だから、この件について俺たち松浦党は何も言えぬ。できるのはここまでと考えておいてもらいたい」


 半ば大地に生き、半ば海に生きる。

 松浦党は、そういう特殊な環境下にいる集団なのだろう。


「十分だ。感謝する、志佐殿」


 改めて、重茂は状況を頭の中で整理する。

 どのみち、すぐに結論が出せるような話ではなかった。


「正式な方針は、京に戻って両御所(尊氏たかうじ直義ただよし)と相談して決める必要がある」

「アンタはどう思っている」


 至境は重茂の見解を知りたがっている。

 この一団の代表は重茂だった。最終的な方針は京で決めるとして、どういう風に尊氏たちへ報告するかを決めるのは重茂である。

 どういう考えを持っているのか、至境が気にするのも当然のことだろう。


「正直、考えがまとまりきっていない」

「いつならまとまる」


 曖昧なまま逃がしはしない。

 至境からは、そういう強い意思が感じ取れた。


「博多には、明後日まで逗留する予定だ。出立するまでにはまとめる」

「……信じよう」


 しばし重茂の顔を見た後に頷くと、至境は静かにその場を去っていく。

 もはやこの場でこれ以上話すことはない、ということなのだろう。


「明日にこっそり出立します?」


 重教が小声で耳打ちしてくるが、重茂は大きく頭を振った。


「そんなことをしたら我らは二度と博多商人の協力を取り付けられなくなる。それはまずい」

「嘘偽りを述べてその場を凌ぐのも、あまり得策ではないでしょうね。至境殿はその手のことに敏感ですから」


 古先印元の補足に、重茂は笑って応えた。


「大丈夫ですよ、古先和尚。元々その場しのぎの虚言を申すつもりはないですから。そういうのは不得手でしてね」


 信用を投げだす場面ではない。

 むしろここは、信用を勝ち取る場面だった。

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