第127話「海原を駆ける者たち(参)」

 しかめっ面の重茂しげもちの前には、縮こまって正座する重教しげのり弥八やはち弥九郎やくろうの姿があった。

 まだ夜は明けていない。知らせを聞いて、重茂は酔った道猷どうゆうと共に、急遽ここ――至境しきょうの邸宅まで駆けつけたのである。


「なにを考えているのだ、この戯け!」


 開口一番大音声で叱りつける重茂に、三人は一斉に身体を竦ませた。

 命の危機を感じたあとだからか、いつもより大人しい。反論もなにも出てこなかった。


 本当はもっと細々と言いたいことがある。

 しかし、この場にいるのはこの三人だけではなかった。


 重茂は三人から視線を外すと、邸宅の主――至境に頭を下げた。


「まことに申し訳ない。こちらがもっときちんと言いつけておくべきであった」

「構わん。特に不利益を被ったわけではない」


 至境は素っ気なく告げる。

 すると、奥から一人の男が「おいおい」とたしなめるような声をあげ、ゆっくりと姿を現した。


 重茂に知らせを寄越した男――志佐しさたもつである。


「そんな風につっけんどんだから、そこの童どもが何かあるんだと好奇心を抱いたんじゃないか、至境」

「だったらなんだ。こちらにも責任があると?」

「責任はないが、交渉の仕方は良くない」


 どうやら二人は顔見知りらしい。

 有は重茂の方に向き直ると、丁寧に頭を下げてみせた。


「お久しぶりです、重茂殿。多々良浜たたらはまの後に一度会って以来ですな」

「志佐殿。此度は同行者が迷惑をかけたようで申し訳なかった」

「なに。命の恩人の身内ともなれば、恩の一つ二つくらいは返しておかねば」


 そういって有は快活に笑ってみせた。


 しかし、妙な話である。


 かつて有含む松浦党まつらとうは、九州まで落ち延びてきた窮地の足利あしかが勢に敵対し、絶妙なタイミングで降参した。

 尊氏たかうじはその降参を不審に思い、一部からは松浦党の大将を斬るべしという意見も出た。

 そのときそれを諌止したのが重茂だった。なので重茂が有の恩人というのも、間違いではない。

 ただ、重茂は松浦党にそのことを伝えていない。彼らと会ったことはあるが、あくまで足利家人としてしか接していない。


 そのことを有に伝えると、彼はおかしそうに笑って道猷を指し示した。


「そこな道猷入道が、以前ふとした拍子に漏らしたのよ」

「そういえば話したかもしれぬな。取り立てて隠しておくようなことでもなかったし」


 余計なことを――と思ったが、確かに機密情報というわけではない。

 一度は殺されそうになっていたという話ではあるが、有もそれを気にしている様子はなかった。

 とりあえず、この場で道猷の口の軽さを問い詰めるのはやめておくことにした。


「志佐殿は、至境殿と親しいのか」

「ああ。至境に限らず博多の商人は顔馴染みが多い。協力して海に出ることも少なくないからな」


 比較的博多商人は商いを得意とする者が多く、松浦党は荒事に慣れている者が多い。

 そういう特徴もあってか、厳密に担当を分けているわけではないが、松浦党は博多商人の護衛を務めることが多いのだという。


「なあ、至境よ。お前が足利を警戒するのは分かるが、少なくともこの重茂殿は信用して良いと思うぞ。正直に話してしまえ」

「……」


 やはり何かを意図的に隠しているらしい。

 至境は疑わしそうな視線を重茂にぶつけてきた。

 ここは目を逸らすべきではない。これまでのやり取りでそう察した重茂は、真正面から至境の眼差しを受け止めた。


 やがて至境は大きくため息をついて、頭を振った。

 根負けしたということなのだろう。


古先こせんに聞くと良い」

「古先和尚?」


 突然、意外な名前が出てきた。

 古先印元いんげんはここにはいない。今頃宿所でのんびりと過ごしているはずだった。


「あいつはすべて知っている。だが、黙っていて欲しいと頼んだから黙っている」


 至境のまさかの告白に、重茂たち一同は「え?」と間の抜けた声を上げるしかなかった。




「申し訳ありませぬ。頼まれたら嫌とは言えない性質なものでして」


 宿所に戻った一行を前に、古先印元はさらりとそんな風に言ってのけた。


 確かに古先和尚は人が好さそうなところがある。

 重茂たちもそう思ってはいたが、だからこそこういう可能性もあるのだと考えておくべきだった。


 良い人だからといって、一から十までこちらの味方になってくれるとは限らないのである。


「しかし良いのですか、至境殿。私から話しても」

「構わん。お前は当事者ではない。だからこそ、お前が話す方が公平だ」


 これまでのやり取りから、至境が何を隠しているのか、重茂は薄々察しがついてきていた。

 ただ、重教や弥八・弥九郎たちはピンときていないらしい。

 確証があるわけでもないし、素直に古先から話を聞くのが良さそうだった。


「そうですね。ではまず――重茂殿は『わこう』という言葉をご存知ですか」


 わこう。

 聞いたことはない。その旨を正直に告げると、古先は「そうでしょうね」と頷いてみせた。


「大陸の言葉です。『わ』とはこの日ノ本を指します。すなわち、倭人わじんの倭」

「『こう』とは?」

元寇げんこうの寇ですね。すなわち、危害を加える行為を指します」

「つまり『わこう』――倭寇とは、倭人による危害か」


 西国で海賊行為が盛んになっている――という話なら聞いた覚えはある。

 それは近頃始まったことではない。重茂が生まれた頃には既にそういう話があったという。


 しかし、それが独自の言葉を作られるほどのものになっているとは知らなかった。


「元寇があった後も、日ノ本とげんとの間で人々の交流は続いていました。しかし、交流があるということは揉め事があるということでもあります」


 やや極論ではあるが、間違いではない。

 人と人のやり取りは、常に問題が起きる可能性というものを内包している。


 同じ日ノ本の人間同士ですら、些細なことで刃傷沙汰になることが珍しくない。

 言葉や文化の異なる異国の人間相手なら、問題が起きる確率はその比ではないだろう。


「こちらとの往来が盛んな慶元という町があります。貿易の拠点として栄えている、この博多のような都市です。そこには多くの倭人が商いのため訪れていました」


 後世、寧波にんぽうと呼ばれる地のことである。

 この頃から既に、大陸貿易の窓口として機能していたという。


「あるとき、そこの役人が倭人の持ってきた商いの品を無理矢理自分のものにしました」

「悪い奴だな」

「ええ。とんでもない役人です」


 弥八の素直な感想に頷きながら、古先は話を続けた。


「当然、商いの品を取り上げられた倭人は怒り狂ったと言います」

「その怒りはもっともです」


 弥九郎も相槌を打つ。

 同じ立場なら、重茂も激怒して焼き討ちの一つくらいはしたかもしれない。


「はい。そして怒り狂った倭人は、元々売るつもりで持ち込んできた硫黄を用いて、慶元の城中に火を放ちました。――結果、慶元はそのほとんどが燃え尽きたそうです」

「え?」


 誰ともなく声が上がる。

 思っていたより、数倍はとんでもない話が出てきた。


「その役人を襲撃したりとか、そいつの家を囲んで打ち壊したりとか、そういうのではないのか」

「いえ。城中からはじまり、町のほとんどを燃やしました」

「……」


 少し、重茂のなかで倭人の商人というものに対するイメージが変わりそうだった。

 商人は商人。武力に訴えることもあるだろうが、武士や寺社に比べると規模は小さいものだろうと思い込んでいた。


 古先印元の話が事実なら、武士や寺社と同等どころか、それ以上に危険な存在と言えるかもしれない。


「これは特に規模の大きい事例ですが、現地の人々と倭人の間で揉め事が起きて暴動になるというのはさほど珍しくありません」

「今の話に近い事例が、他にも何度かあったのか」

「はい。そして決め手となったのは数年前に起きた事件です。こちらでは、北条ほうじょうの残党が鎌倉に攻め込んだ頃のことですね」


 中先代なかせんだいの乱――北条時行ときゆきが信濃で決起し、日ノ本の視線が東国に向けられていた頃。

 西の方でも、日元関係に影響を及ぼす事件が起きていた。


「舞台となったのは、やはり慶元。そこに訪れた倭人は商いのため、役人に賄賂を贈りました。先年のような問題を避けるため、まず役人を味方につけようとしたのです」


 賄賂と言っても、現代的な感覚で見ることはできない。

 商談をスムーズに進めるための必要経費ともいえる。

 中世の日本でも、特定の相手に話を通すため関係者に予め贈り物をすることは珍しくなかった。


「しかし、その役人は賄賂を受け取りつつその倭人を欺きました。裏で手を引いて倭人の持ち込んだ品を秘密裏に奪い取り、巨利を得ようと画策したのです」


 先ほどの話を聞いたからか、この流れに重茂は嫌な予感を抱いていた。


「倭人が役人の思惑を知ったとき、既に彼が持ち込んでいた商いの品は大部分が失われていました。硫黄のように燃やすためのものもない。向こうは過去に町を燃やされているので、そのあたりのことを警戒していたようです」

「なら、町は燃えなかったのか」

「ええ。燃えはしませんでした」


 しかし、と古先は続ける。


「他に手段はない。しかし、このまま黙って泣き寝入りするのは耐え難い。覚悟を決めた倭人たちは、徒党を組み、現地の者たちをも引き入れて、慶元をはじめとする周囲一帯の町を略奪して回りました」


 暴徒と化した集団が、あちこちの都市を荒らして回る。

 それは、見方によっては一種の乱とも言えた。


 そこまで語ると、古先はゆっくりと視線を至境に向ける。


「今の説明で合っていますか――至境殿」


 その問いかけは、なにより雄弁に物語っていた。

 至境こそが――そのときの倭人なのだということを。

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