第129話「海原を駆ける者たち(伍)」
昨晩のことが既に広まっているのか、町の人々から向けられる視線が、昨日と比べるとやや冷ややかになっている気がした。
しかし、重茂はそれにめげず露店の主と言葉を交わしたり、道行く人と雑談に興じたりしている。
「義父上、どこに行くつもりなんですか。何をしたいのか、一向に見えてこないんですが」
不服そうなのは重教だけではない。
一緒に連れてきた
「何と言われてもな。見ての通りとしか言えん」
「見ての通りって、だらだら歩いてぺちゃくちゃ喋ってるだけじゃないですか」
「だから、それが目的だ」
「そんなことしてて大丈夫なんですか。大して実のある話をしてるわけでもなさそうですし」
商いは順調か。
今どきの目玉商品は何か。
ここで扱っている商品はどこ由来のものか。
おすすめの店はどこか。
重茂が話しているのは、そんなことばかりだった。
どれもこれも、至境から出された宿題をクリアするために必要な話だとは思えないのだろう。
「ならば逆に問うが、何が実のある話だと思う」
重茂に問われて、一同は全員が口をつぐんだ。
博多商人に対してのスタンスを決めなければならない。
そのために必要なものはなんなのか。それを理解している者は、一行の中には一人もいないようだった。
「そう。答えられん。俺も含めてな。前提として、俺たちはこの博多のことを知らなさすぎる」
「だから、博多のことを知ろうと見聞を広めている……ということですか?」
弥九郎の言葉に、重茂は笑って頭を振った。見聞を広めるというほど大袈裟な話ではない。
「引きこもって頭の中であれこれと考えるよりは、ぶらついている方が思わぬ発見があるかもしれない。それだけの話だ」
「確かに、ずっとこもってるよりはマシだろうけどよ。さっきから露骨に警戒されてる感じがして、どうにも居心地悪いぜ」
「そんなことを気にする必要はないぞ、弥八。後ろめたいことがないなら堂々としていれば良いのだ。そこで委縮してしまうと、余計居心地が悪くなる」
実際、そうやって交流していくうちに町の人々の警戒心は徐々に解けていった。
最初に話しかけていた数人はどうにもぎこちなかったが、直近の数人は皆愛想よく世間話に乗ってくれている。
「最初から思い通りの結果が得られるということはない。少しずつ、思い描いた結果に近づけるよう努めるのだ。上手くいかないからと、短絡的に小狡い方法や後ろめたい方法を採ってはいかん。それでは本当の信頼を得ることはできないからな。手間がかかったとしても、人に認めてもらえるやり方があるなら、それを用いるべきだ」
重茂の言葉に、弥八と弥九郎はばつの悪そうな表情を浮かべた。
昨晩、勝手に抜け出して至境たちに探りを入れようとしたことを考えているのかもしれない。
「一つ言っておくが、至境殿が何かを隠しているということは俺も感じ取っていた。昨晩そなたらを叱ったのは、独断専行でその身を危うくしたからだ。考え自体は悪くない。相談してくれれば良かったのだ」
「本当かよ。子どもの言うことだからって、適当にあしらってたんじゃないのか」
「少なくとも俺は、聞くべきところがあればきちんと聞く。駄目なところがあればそこを逐一指摘する。忙しかったり余裕がないときはともかく、そうでないなら適当にあしらうということはしない」
「ああ、義父上はそういう人ですね……」
相手が誰であれ、基本的に雑な対応はしない。
迂闊なことを口にした相手にはねちねちと説教しかねないところもあるが、反面、人の話にきちんと向き合うところがある。
先ほどまでの雑談もそうだった。
博多の人々の話など重茂からすれば本来どうでもいいことが大半である。それでも、重茂はしっかりと聞いたうえで応えていた。
「重茂殿」
立ち止まって話し込んでいたところに、声をかけてきた男がいる。
「どうだろう。博多という町のことが少しは分かっただろうか」
「これだけで理解できたとは思わんが、試しにいくつか京への土産を買ってみたぞ」
商人と売り物は切っても切れない関係にある。
ゆえに、何かしら買ってみたら分かることがあるのではないか――そう思って試しに買ってみたのだ。
「ほう、そいつは良いな」
「ただ、俺にはあまり品の良し悪しが分からん。志佐殿のおススメなどはないのか」
「俺もそこまで目利きができるわけではないからな。商いのことは専門家に聞くのが一番だろう」
有に言われて、重茂はしばし考えた。
しかし、知己の商人などそんなにはいない。
「ううむ。では、至境殿に少し聞いてみるか」
「昨日あんな別れ方しておいて、至境殿のところに顔を出すんですか?」
「別に駄目というわけではないだろう。喧嘩別れをしたわけでもあるまい」
「いや、ほとんどその一歩手前だったと思うんですけど」
冷や汗を浮かべる重教。
そんな我が子の肩を叩きながら、重茂は「なんとかなるだろう」と気軽に笑ってみせた。
「忙しい。そんなことに付き合っている暇はない」
訪問して用件を切り出した重茂に、至境はにべもない返答をした。
もっとも、これは重茂が悪い。実際、至境は次の出航に向けた準備をしている最中だった。
「ううむ、駄目か」
「駄目だ」
「品のこと以外にも、いろいろと話を聞きたいと思っていたのだがな。誰か一人借りることはできぬか」
食い下がる重茂に、至境は大きくため息をついた。
「
「はいよ」
至境に呼ばれて顔を出したのは、焼けた肌に精悍な顔つきが特徴的な若者だった。
「この御仁がいろいろと聞きたいことがあるそうだ。付き合ってやれ」
「いいんですかい? まだあっしの仕事途中ですけど」
「俺がやっておく。このままここでゴネられる方が面倒だ」
そんなやり取りを経て、重茂たちは至本と共に至境宅から放り出されたのだった。
「それじゃ改めて。あっしは至本。至境は叔父貴です」
「そなたも商いをやっているのか」
「まだまだ至らぬ点が多いと怒鳴られながら、どうにかこうにかやってますね」
どことなく掴みどころのない、飄々とした空気感の男だった。
試しに購入した土産物を見せてみると、「ほうほうほう」と頷きながら、一つ一つ産地や価値の説明を始めた。
「こいつはおそらく大陸由来の品ですが、作られてからかなりの年数が経過してますね。保存状態が良くない。いろいろなところを巡ってこの博多に流れ着いた代物でしょう。珍しいといえば珍しいですが、実用するとなるとあまり長持ちはしないかもしれません。購入費用と比べると……いささか高い買い物をした、というところですな」
そんな調子で次々と重茂が買ったものを寸評していく。
総合的に見ると、全体的にやや高いものを掴まされたという結果になった。
「学びに支払ったものだと割り切るか」
「それが良いでしょう。聞きたかったのはこれくらいでしょうかね?」
「いや、せっかくだから他にもいろいろと聞きたいところだ」
品物に対する寸評を経て、重茂は至本に多少の信頼を置くようになっていた。
至本の話し方は丁寧かつ明確で、相手に理解してもらおうという姿勢が感じ取れる。
こういうタイプから得られる情報は、比較的信用できるものと見て良い。
「はあ。と言っても、何を聞きたいんでしょう」
「至境殿のこと……いや」
至境個人のことを知ったところで、重茂たちが抱えている宿題は解けない。
大事なことは、他にある。
「博多商人――その生き方について、教えて欲しい」
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