第120話「暦応寺建立狂想曲(肆)」

 重茂しげもち邦省くにみ親王しんのうに突然の招待を受けたのは、亀山殿かめやまでんの敷地が禅宗に与えられると決定してから間もない日のことだった。


 朝廷・禅宗も巻き込んだ暦応寺りゃくおうじ建立計画の発案者は足利あしかがである。

 その影響で亀山殿を取られた邦省親王からすると、足利は許し難い相手として映っているのかもしれない。


 以前会ったときは友好的な対応だったが、今はあのときと状況が大分変わっている。

 正直あまり会いたい相手ではなかったが、あえて自分を指名して呼び出してきたのを断ると、余計に角が立つかもしれない。

 どうすべきか師直もろなおにも相談したが、「いい機会だから行ってこい」と言われてしまったので、退路がなくなってしまった。


 案内役の兼好けんこうという坊主に連れられて辿り着いたのは、堀川ほりかわ具親ともちかの邸宅だった。


「うむ、久しいな大和やまと権守ごんのかみ! 壮健なようでなによりだ!」


 通された部屋にやって来た邦省親王は、開口一番以前と変わらぬ大きな声で挨拶してきた。

 当然のように、堀川具親が隣に控えている。

 先日激烈な抗議文を足利・朝廷に送りつけてきた相手なだけに、余計恐ろしく見えた。


 ただ、恐縮しながら窺った限りだと、邦省親王・堀川具親ともに敵意のようなものは感じられない。

 邦省親王に至っては、むしろ朗らかな様子である。


「本日そなたを呼んだのは他でもない。我々と足利の現状、そして今後のことを話したいと思ったのだ」

「現状と今後にございますか」

「ああ。まず誤解を解いておこうと思うのだが、我らは亀山殿のことについて特に気にしてはおらぬ」


 あまりにあっさりと告げる邦省親王に対し、重茂は目を丸くするしかなかった。

 亀山殿は大覚寺だいかくじ統にとって縁の深い地である。大覚寺統の御所として使われたこともあるし、菩提所ともされていた。

 祖霊を崇敬するのは貴賤問わず自然なことである。菩提所はそのための場所であり、大覚寺統嫡流を名乗る邦省親王にとっては譲れない場所のはずだった。


「手放したくないという思いはある。ただ、正直なところ今の我らではあの地を管理するのは難しい。あのまま所有し続けたとしても『きちんと祖霊を敬っていない』と我らが非難されてしまう可能性もあった」

「……此度の一件は、殿下にとっても悪い話ではなかったと?」

「大っぴらには言えんがな。どうぞどうぞとくれてやるのも世間体が悪い。ゆえに具親を通して抗議文は出させてもらったが、足利に対して思うところはない。鎌倉大納言たかうじ殿も吉野院を敬う気持ちがあるだけで、我に対する敵意などはなさそうだからな」


 結果的に利害の不一致が生じそうになっただけで、最初から敵意があったわけではない。

 利害の不一致も見かけだけで実際は問題ないのだとすれば、親王からすると敵対するも何もないのだろう。


 無論、それはあくまで足利に対しての話である。

 亀山殿の地を選定した光厳こうごん院に思うところはあるだろうし、光厳院側のやり方を非難しているのは、向こうの印象を悪化させたいという意図があるのだろう。


 実際、近頃の市中では邦省親王に同情的な声も少なくない。

 光厳院は後醍醐ごだいごという脅威が消えたので調子に乗り始めている――あからさまな言い方をする者はいなかったが、そういう主旨のことを口にする者も多少出始めていた。


「そういうわけで、亀山殿については我らのことを気にせず存分に活用して良い――そう鎌倉大納言殿にも伝えておいてくれ」

「はっ。承知いたしました」

「禅宗に亀山殿の敷地を交付することについては、我らも承諾する旨を朝廷に申請している。本件に関して我らが口を出すことはもうない。むしろ、必要であれば暦応寺建立については協力しても良い」

「それは、ありがたき御言葉にございます」


 邦省親王としては、今回の件で足利との関係性を悪化させたくないのだろう。

 むしろ、亀山殿を譲り渡したという点で足利に一つ貸しを作った形になる。


「うむ。……そう、我らが口を出すことはない。我らはな」


 邦省親王は、そこで言葉をやや濁らせた。明朗快活なこの親王にしては珍しいことである。


「暦応寺に関する反対派は他にもいるということだ。今後はむしろそちらが本格的に動き出す」


 堀川具親が邦省親王の話を引き継いだ。

 他の反対派と言われて、重茂の脳裏に浮かぶのは一つしかない。


「禅律以外の寺社――顕密けんみつ寺院ですか」

「うむ。明察だな、大和権守」


 古来、天皇家の葬礼については顕密寺院と称される旧来の寺社勢力が大きな役割を担ってきた。

 大覚寺統においては近年やや密教寄りになっているところはあったが、いずれにしても体制に目立った変化はない。


 一方、持明院統――北朝は、近頃顕密よりも禅律という所謂新興勢力を重視するようになっている。

 さすがに天皇家の葬礼という国家的事業に禅律を持ち出す程ではないが、顕密サイドが眉をひそめる程度の状態にはなりつつあった。


 そんな中で、今回の暦応寺建立である。


 建前上、この寺社は足利家が後醍醐を私的に弔うため建立する寺ということになる。

 なので国家的事業である天皇家の公的な葬礼に関わるものではない。よって顕密ではなく禅律に一任したとしても問題ない。

 そういう理屈で、開山として禅僧・夢窓むそう疎石そせきが選ばれている。


 しかし、事実としてこの暦応寺建立には光厳院も関わっている。既に院宣いんぜんも出されているので、公的な事業と言って良い。

 建前はどうあれ、実質的には国家的事業として建立される寺社なのである。

 この一件を前例として天皇家の葬礼に禅律が関与してくるようになると、顕密寺院としては立場を失うことになりかねない。


 そういう状況である以上、顕密寺院は邦省親王一派などよりも遥かに強固な反対派と言える。妥協点というものが、現状存在しないのだ。


「顕密寺院は手強い上に面倒だ。おそらく取り込むことも不可能であろう。彼らは暦応寺建立そのものを快く思っていない」

「開山を疎石殿から顕密の高僧に替えようと提案したところで容易には乗らない――そう見た方が良いということでしょうか」


 重茂の言葉に、堀川具親は大きく頷いた。

 元々、身内でもなく身分で劣る武家が天皇家の仏事に口出ししようというのが大それた話である。古来の伝統を重んじてきた顕密寺院からすると、武家が自らの領分に土足で上がり込んできたようなものだった。


「それに、院としても顕密を暦応寺開山に据えたいとは思わぬだろう。院は花園はなぞの院の影響か、顕密よりも禅律を重んじる傾向が非常に強い。何かと強大な権威を持つ顕密寺院を抑えておきたいというのもあるのだろう。その提案をするなら、まず院を説得する必要がある。いずれにしても難儀なことになろう」


 武家。朝廷。寺社。

 三者すべてが関わっているだけに、暦応寺建立は各勢力の思惑が複雑に絡み合う難事になっている。


「あちらを立てればこちらが立たず――そういうことも今後は増えてくるであろう。我としては宗派にこだわりはないゆえ、禅律であろうと吉野院ともども祖霊を丁重に弔ってくれるなら言うことはない。そういう意味で足利との協調は十分に可能だ。何か困ったことがあればいつでも声をかけると良い」

「今後は、ここまで案内させた兼好という者をときどきそちらに向かわせる。何かあれば兼好を介して連絡してくれれば良いし、何もなければ世間話の相手にでもしてくれ」


 なにやらどんどん話が進められている気もするが、断る理由はないので、重茂としては頷くほかない。

 今は協調関係が築けるとして、いずれこの親王との関係性が厄介ごとのタネにならないと良いが――そう祈るばかりである。




 このまま暦応寺の造営を強行すれば災いがふりかかる。

 造営奉行筆頭である師直の邸宅にそのような落書が出されたのは、それから間もなくのことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る