第119話「暦応寺建立狂想曲(参)」
中心にいるのは仙洞の主――
「先日のことを踏まえると、
光厳院の言葉に、控えていた近臣たちは揃って表情を改めた。
蹴鞠に長じた者たちの相手をしながら、光厳院は涼しい表情を崩さない。
身体を動かしながら、頭では今後の政治に関するビジョンを思い描いている。
そんな院の言葉に反応したのは
かつて
その兄弟の一人が、醍醐寺の
「先日のことというのは、
「そうだ。
本来の所有者は後醍醐だったのだが、彼が
その現状を踏まえ、暦応寺建立地として使うよう光厳院は足利に伝えた。
しかし、後醍醐不在の中で大覚寺統嫡流を自負する邦省親王は、この決定に異を唱えている。
いかに院とはいえ、大覚寺統伝来の地を勝手に差配するのは無法と言わざるを得ない――それがかの親王の主張である。
事実として管理ができていないのに所有権を主張する邦省親王にも問題はあるが、大覚寺統の所有物を勝手に他者へ与える光厳院の決定にも強引なところはある。この件については、北朝の公家社会においても意見が割れていた。
「雑訴法――所領に関する訴訟に関する法案を整備し、これを我らで運用していく。さすれば邦省親王も従わざるを得ないであろう。今のような白黒つかぬ曖昧な状況は正していかねばならない」
院の中に動揺がないことは、蹴鞠の動きを見ていれば一目瞭然だった。
淀みのない美しい動きは、共に興じる者たちへの圧にまでなっている。
「余人はそれを私の欲深さと捉えるかもしれぬ。だが、それでもやらねばならぬ。ここ数十年がおかしかったのだ。皇統には唯一無二の嫡流を定めるべきであり、法は現実に即したものに整備しつつ執行されなければならない。そうすることで、ようやく世の乱れは収束に向かうようになる」
光厳院の蹴った球を受けようとした
それを涼しい顔でキャッチした資明は、静かに立ち上がって球を光厳院にパスした。
「我らは院の信念を信じて従うのみです。正しい朝廷の在り様を取り戻し、ゆくゆくは武家も統御していく。その理想は遥か彼方にあるのでしょうが、一歩ずつ進んでいくしかありません」
「そうだ。私の味方は朝廷においても少ないが、やれることから手を着けていかねばならぬ。帝こそ勤勉であれ。我が師――叔父上は私にそう教えてくれた」
そういって光厳院は二、三度自ら球を蹴り上げ、最後に落ちてきたところを手で受け取った。
「本日の蹴鞠は、ここまででございますか」
資明の側にいた高僧――
院は少しだけ照れくさそうに笑って応えた。
「あまりのめり込むと叔父上に叱られてしまうからな。やるべきことの妨げにならぬ程度にせよと、厳しく言いつけられている」
「
花園院というのは光厳院の叔父で、半ば育ての親と言っても良い存在だった。
今も健在だが表舞台からは退いており、禅僧としての活動を主としている。
光厳院の人となりを形成したのは、花園院の教育によるところが大きい。
今でも光厳院は、花園院に頭が上がらないところがある。
「それに国師をあまり待たせるわけにもいかぬ」
「お気になさらずとも構いません」
「いや、そうもいくまい。暦応寺の件について、いくつか相談させて欲しいことがある。それで呼んだのはこちらなのだからな」
光厳院は夢窓疎石を部屋へ案内するよう資明に命じると、蹴鞠をしていた者たちに解散する旨を告げた。
それぞれ下がろうとする一団を見送りつつ、光厳院はふと西園寺公重を呼び止めた。
「私の嫡流云々という言葉で不安になったのかもしれぬが、あまり気にするな。西園寺家のことは私も考えている。少なくとも、そなたについて悪いようにするつもりはない」
「は――」
「いろいろあったのだろう。難しい立場だったことは分かっている。これからも私を支えてくれ」
院直々に言葉をかけられ、公重は恐縮した様子で去っていった。
西園寺家の嫡流は本来公重の兄だった。
しかしその兄はいろいろあって横死することになり、今は公重が家督を継いでいる。
ただ、この兄には遺児がいて武家方はこちらを支持している。
西園寺家は公家ながら武家と密接な関わりのある家なので、武家方としてもいろいろと存念があるようだった。
「まったく、家の嫡流を巡る問題というのは、どこも厄介なものだな――」
誰にともなくこぼしながら、光厳院は夢窓疎石を待たせている部屋へと向かっていった。
邦省親王の側近・
堀川具親の見解は書面にしたためた上で、朝廷・武家双方に届けられた。
反対理由は主に二つ。
一つ、暦応寺造営予定地の亀山殿は大覚寺統代々の皇居にして無双の名所ゆえ、寺社造営の地としてはなはだ不適切である。
一つ、昨今は兵乱が続き人々は皆困窮しており、大規模な寺社造営をすることは不適切である。
「その通り過ぎて何も言えない……」
回されてきた書面の写しを見て、
建立によるメリットもあるのだが、現実問題として堀川具親が指摘している点は大きなハードルになっている。
前者については朝廷が決めたことなので、重茂たちはさほど気にする必要もない。ただ後者は切実な問題だった。
ただ、さすがにそこだけでどうにかするのは無理があった。そして他の候補地はなかなか見つからない。
無理な大事業を強行して人心が離れれば、足利政権にとっては大打撃である。
かと言って、朝廷の協力まで取り付けた今になって「やはり中止にします」とは口が裂けても言えない。
そんなことをすれば武家・朝廷双方の面目が丸潰れになる。
「そもそも日向国から本当に年貢が届くんですかね」
ため息をつく重茂に対して、側で仕事をしていた
重茂の跡を継ぐということもあって、最近は
要領は良いので仕事の覚えは早いが、ときどきうっかりミスをしては
「あまりこっちに話はきてませんが、向こうも大変な状況だったりしたら、年貢出すの渋るかもしれませんよね」
「届くことを期待するしかないだろう。なかなか来なかったら、誰かが様子を見に行くしかあるまい」
「俺、ここでの仕事に凄くやりがいを感じてるんですよ」
急に心にもなさそうなことを言い出す重教を、重茂はジト目で睨みつけた。
どうせ行くのが面倒臭いだけだろう。
「そういう意見は考慮しない。お前を行かせるのが妥当だと判断すれば行かせるからな」
「えぇ……」
心底嫌そうな顔を浮かべる重教に、引付方の同僚たちがかすかに笑みをこぼす。
「しかし実際のところ、この指摘にはどう応えるつもりなんだろうな」
「応えようもないでしょう。流すしかないのでは」
写しを見ながら、長井挙冬が苦い顔で言った。
下手に反論しようものなら、向こうに付け入る隙を与えかねない。
幸いというべきか、邦省親王一派は単体でそこまで大きな勢力というわけではない。
黙殺するのが最良の手だろう、というのは重茂も同意見だった。
もっとも、それは向こうの主張に理があるということを認めるも同然である。
そういう意味で、現状にスッキリしないものを感じるところはあった。
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