第116話「竜の余燼(肆)」
今回
用件を伝えると、顕能はいささか困惑したような表情を浮かべる。
「承りました。本日は父がおりますので呼んで参ります。……ただ、もしかすると父は返礼品を受け取らないかもしれません」
「どういうことだ?」
「やっぱり雑紙じゃ駄目だってことなんじゃないですか」
「そういうことなのか……?」
「いえ、そういうことではないんですが」
重茂と
「父は先日兄が紹介状を用意したことについて、ひどく立腹されているのです」
その説明で、重茂たちも事情をなんとなく察した。
重季は重能に断りを入れず、
同じ
中に通された後、見るからに不機嫌そうな面構えの重能が出てきたとき、重茂は「まずいところにきた」という確信を得た。
「先日は所用で外していてな。すまなかった、重茂殿」
「いや、こちらこそ。世話になってしまった」
「ふむ。それについては与り知らぬことだな」
そう言いつつ、重能の眉間のしわが深くなる。声も一層の険のあるものになっていた。
「そのときの礼を持ってきたのだが」
「与り知らぬことゆえ受け取れぬ」
「ならば、重季殿に渡しておいてくれ」
「重季は今謹慎中だ。すまんが現在そういうものは受け取れぬ」
何があっても決して受け取らぬという頑なな意志を感じる。
独断専行に走った重季への怒りもあるのだろうが、その原因になった重茂たちへの怒りも混ざっているのかもしれない。
言動の端々から、チクチクと刺されているような印象を受ける。率直に言って、かなり居心地が悪い。
「……ちなみに、重季殿の行いのどこが特にまずかったのだろうか」
「当主の私に相談せず紹介状をしたためたところだ。貴様や重季はともかく、周囲の人間はその行動を我が家の――下手をすれば上杉一族の意向と取る可能性すらある」
「結果的には、丸く収まったと思うが」
「結果が上手かろうと過程に問題があれば注意はする。それが親としての役目であろう」
ぐうの音も出ないほどの正論だった。正直なところ、重茂の中では言い返せる言葉がない。すべて重能の理屈の通りである。
少し抗弁してみせたのは、ただ黙って引き下がるだけだと礼品を持ってきた立場としての面子が保てないからだった。
引き下がるだけの妥当な理由があれば、大人しく帰るのが良いだろう。
そう思いながら切り出そうとしたとき、意外にも重教が声をあげた。
「あの。確かに重季殿は独断で動きました。それは良くないことでしょう」
重能の鋭い視線に少し怯みながらも、重教は口を止めなかった。
「ただ、あれは重季殿なりに考えあってのことだと思います。少なくとも功名心に逸ったとか、そういう利己的な理由から生じた行動ではないと思います」
「だったらなんだ?」
「いや、だからその……謹慎はやり過ぎではないかというか、もう少し手心を加えても良いのではというか」
さすがに重能の圧に耐えかねたのか、重教の語気が段々と弱まっていく。
そろそろ助け船が必要そうだと判断した重茂は、口を挟むことにした。
「問題の再発を防ぐのであれば、何が原因でその問題が起きたのかの分析が重要であろうな。その点は大丈夫か重能殿」
「一因なら目の前にいるがな」
「俺はただの使い走りだ。大元を辿れば殿や院にまで行き着くことになる。そういう話をしているのではない」
「……ふん。重季の意見をきちんと聞いたか、という指摘なら、答えは否だな」
重能は僅かに視線を逸らした。今の言い分においては、重茂の方に理があると判断したのだろう。ここが落としどころだった。
「ならば今一度話を聞いてみると良い。それもまた親の役目だ」
腰を上げて重教を促しながら、重茂は少し表情をやわらげた。
「まあ、それはそれとして。こちらばかり家に訪問しているのはいささか偏りがある。機会があれば重能殿も我が家に来るといい。重季殿や顕能殿も連れてな」
そのときに今回の件が氷解していれば、改めて返礼品を渡せば良いだろう。
重能は短く「ふん」と鼻を鳴らす。
否定の言葉はない。ならば肯定と取って良さそうだった。
「そういえば重茂殿。ここに来る途中で平一郎(
門前まで見送りに来た重能は、ふと思い出したかのように言った。
「ああ。
「そちらとも顔を合わせたか。……貴様の目から見て、あの二人はどのように映った?」
質問の意図は分からない。ゆえに、重茂は先ほどの情景を思い返しながら素直に答えた。
「憲顕殿は、大分弾正少弼殿に気を使っているように見受けられたな」
「そうか。――ならば良い」
「いや、何が良いのか分からんのだが」
一人で得心する重能に疑問の眼差しをぶつける。
重能はいささか面倒そうな顔をしながらも、その言葉の意味を説明した。
「上杉の次期惣領が近々決まる。その大勢が決しつつある、ということだ」
「すみません、余計なことを言ってしまったかもしれません」
重能邸を出た後の帰路、重教は頭を下げてきた。
「構わんよ。しかし意外だったな、お前が重季殿のために抗弁するとは」
「いや、半ば俺がけしかけたみたいなものなんで。それで謹慎処分を受けてると言われたら、さすがに目覚めが悪いですし」
それは後ろめたさを感じる理由にはなっても、抗弁する理由にはならないだろう。
言わずにはいられない。そういうものが重教の中にはあるということだ。
養子に迎えてからまだ日も浅く、重茂も重教については知らないことが多い。
そんな中、今回はほんの少し、我が子に対する理解が深まったような気がした。
「親の役目か」
かつて自分を見守っていた
亡くなった郎党のことを思い出し、重茂の胸中にかすかな寂しさが生じる。
「何か言いました?」
「さてな。ほら、行くぞ」
往時を振り返るばかりではいけない。やらねばならぬことは、まだまだ山積みなのだ。
「足りぬ」
政務を停止している間も、足利
崩御した
それは、やって当然のことだった。
後醍醐に後ろめたいことがない者であれば、それで十分だっただろう。
しかし、尊氏はそうではなかった。
「こんなものでは足りぬ」
足利宗家の生まれとは言え傍流の身だった尊氏は、紆余曲折あって当主の座についたものの、巨大すぎる一族を率いていけるか非常に危うい立場にあった。そんな彼を名実ともに足利宗家当主まで導いてくれたのは、他ならぬ後醍醐だった。
不幸な行き違いが重なり、心ならずも対立することになってしまったが、尊氏としては未だに得心できていないところがある。
その一念が、後醍醐に対する罪悪感として尊氏を蝕んでいた。
一心不乱に地蔵菩薩の絵を描き続けても、心が晴れることはない。
それでも、じっとしていると押し潰されそうな感覚に陥ってしまう。
「尊氏殿」
ふと、部屋の外から
「少しよろしいでしょうか。近頃はずっとこもりきりのようでしたので、気晴らしにお話でもと思ったのですが」
「ああ、そうだな……。気を使わせてしまったようですまない」
室内に入ってきた登子の顔を見ると、僅かに心が安らぐのを感じる。
家同士の事情で夫婦になった間柄だったが、尊氏は結果的に彼女の実家――北条一族を滅ぼすことになった。
それでも登子は変わらず尊氏と共に行く道を選んだ。
登子に対しても後ろめたさはあるが、彼女は許してくれた。
そういう経緯もあって、余人が思っている以上に、尊氏は彼女に感謝の念と愛情を持っている。
京に着てからの暮らしぶりを語る登子の話に耳を傾けながら、ふと尊氏は思い出したことがあった。
「そういえば登子。
宝戒寺というのは、後醍醐が北条一族の菩提を弔うため
後醍醐は北条一族の打倒を果たしたが、終始北条憎しというスタンスだったわけではない。
自らの血筋で皇統をまとめたい――その目的を果たすため、北条を排除する必要があった。だから戦った。それだけである。
だからこそ、北条宗家である
「今も
「坂東の者たちは皆協力してくれぬのか」
「それだけの余裕がないのです。坂東は北条時行の乱から
「今も
そこまで話したとき、尊氏の中で閃きが生じた。
後醍醐のためにできることが、まだあるではないか。
「そうか。建立だ」
登子に向けて晴れ晴れとした笑みを浮かべながら、尊氏は高らかに宣言した。
「亡き
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