第115話「竜の余燼(参)」

「さすがだな」


 重茂しげもちから事の顛末を聞いた師直もろなおは、極めてシンプルな感想を述べた。

 無論、その言葉は重茂ではなく道誉どうよに対するものである。


「傍流ということもあって、道誉殿は佐々木ささきの本拠ともいえる近江おうみに縛られない活動をしている。鎌倉においては北条ほうじょうに接近して人脈を広げ、京においては公家社会に知己を作り情報収集に勤しむ。此度の一件、事前に情報を集めて上手く立ち回ったのはその成果ということなのだろうな」

「頼りになる人だという気はします。油断はできませんが」

「ほう、どこが油断ならん?」


 師直に尋ねられて、重茂は自分の考えを整理しながら言葉にした。


「すべてが終わったあと、俺にわざわざ内情を説明してきたところです。別に黙っていても問題はなかった」

「では、なぜ説明したと思う」

「自分は足利あしかがに対して胸襟を開いている、ということを誇示するためだと思います。それに、自分の価値を示すことにも繋がっています。自らは足利に忠実かつ有能だということを伝えようとしていたのでしょう」


 それ自体は悪いことではない。実際、今回は道誉のおかげで助かった。

 足利も、北条時行ときゆきによる中先代なかせんだいの乱、そしてその後の建武けんむの乱で多くの人材を失っている。

 頼りになる味方は、多ければ多いほど良い。


「問題は、その立ち回りが上手すぎるという点です。足利が今の立場を維持できていれば良いでしょうが、どこかで隙を見せれば即座に寝返るでしょう。家人でもなし、寝返りは仕方ないと思いますが、有能なだけに寝返られたときの損失が大きくなる。良くも悪くも目を離してはいけない相手だと感じました」

「足利は武家の棟梁として数多の武士の上に立つことになる。今後我らが向き合わねばならんのは、程度の差こそあれ、そういう者ばかりだ」

「その中でも、特に気をつけるべき相手だということです」


 重茂の考えを一通り聞いた師直は、側にいた菖蒲あやめに視線を転じた。


二条にじょう殿も、おそらく宮廷の事情は把握していたのだろうな」

「ええ、きっと分かっていたと思います。分かった上で、こちらに連絡を取ってきたのでしょうね」

「二条殿の意図は、どこにあったと思う」

「特に五郎様を唆すような言葉はありませんでしたし、特に他意はない――もしくは何かあれば面白いだろう、というくらいの御考えではないかと思います」

「後者だな。我ら一族の値踏みもされているのかもしれん」


 考え過ぎのような気もしたが、京の特殊な社会性を垣間見たあとだと、それくらい頭を働かせた方が良いのだという気もする。


「素人の印象論になるが、摂関せっかん家はあまり院に権力が集中するのは好まないはずだ。自分たちの権力を行使する機会が、そのまま院に持っていかれる。院を牽制しつつ、足利の立ち位置を見定めようとしている……というところか」

「はい。私もそのように思います」


 二条家をはじめとする摂関家は、天皇の外戚となって権力を行使することで繁栄してきた。

 一方、院は治天の君として摂関家の影響を受けない形で権力を行使する。

 両者は競合関係にある。相手が力を持ち過ぎることについて、あまり快く思わないだろう。


 師直は菖蒲のことを純粋に女性として好いていると思っていたが、こういうやり取りを見ると、どことなく仕事のパートナーのようにも見えてくる。少なくとも、ただ可愛らしいというだけの人ではない。


「弥五郎、お前も摂関家と接触するときは気をつけろ。今は院の方が優勢のようだが――否、院の方が優勢だからこそ、我らに接近して何かを企もうとするかもしれぬ。我らはこの京の社会においては新参者。どう足掻いても院や五摂家(五つの摂関家)に立ち回りでは敵わぬ。いつ利用され、使い捨てられるかもわからぬ。下手に首を突っ込まず、己の領分を堅持することを忘れるな」

「はい。しかし……」


 それを言うなら、二条家と関係を持った形になる師直こそ危ういのではないか。

 そう言いかけて、重茂は咄嗟に口をつぐんだ。さすがに菖蒲の前でいうことではない。


 しかし、そんな重茂の意図を師直は見通していたらしい。


「無論、俺も気をつけてはいる。菖蒲とのことは殿にも直義殿にも認めていただいた上で話を進めたし、二条殿とのやり取りは常に報告している。ただ、それでも危ういと感じることがあればいつでも言え。菖蒲もその点は分かっているから、遠慮する必要はない」

「こういうことは、当事者だとなかなか気づけないことも多いものです。弥五郎様の方で気づいたことがあれば、いつでも仰ってくださいね」


 二人の言葉に重茂は感嘆した。

 自分自身を客観視することの難しさを自覚できている辺り、冷静というほかない。

 この二人であれば、よほどのことがなければ問題など起きはしないだろう。




 師直に事の顛末を報告した翌日、重茂は重教しげのりと共に上杉うえすぎ重能しげよし邸に向かっていた。

 先日勧修寺かじゅうじ経顕つねあきを紹介してもらったことについて、礼を述べるためである。


「しかし御礼の品、家にあった雑紙の束で本当に大丈夫なんですか」

「他にものがなかったんだ、仕方ないだろう。そんな贈答品をすぐに出せるほどの余裕はない」

「上杉って半ば公家みたいなもんじゃないですか。この程度のものを……って嫌味言われても知りませんよ」

「今は公家も生活が苦しいと聞く。摂関家ほどの家ならともかく、大抵の家は『もらえるものはもらっておけ』と言うだろう」


 ちなみに根拠は一切ない。

 上杉は同じ足利家人という立場でもあるし、こう一族との間には縁戚関係もあるので、そこまで気を使わなくても良いだろう、というくらいの感覚でいる。


 ああだこうだとうるさい重教をあしらいながら重能邸に近づいたとき、ちょうど重能邸から出てくる一団が目に入った。

 その一団の中には憲顕のりあきの姿も見える。向こうもこちらに気づいたらしく、会釈をしてきた。


「久しいな、重茂殿。今日は与次郎(重能)に用事か」

「どちらかというと重季しげすえ殿だな。先日勧修寺経顕殿を紹介してもらったので、その御礼をしに来た」

「勧修寺殿を?」


 まだ事情を把握していなかったらしい憲顕に、軽く経緯を説明する。

 憲顕の側で静かに話を聞いていた若者が妙に気になったが、ひとまずは説明の方を優先した。


「なるほど、それは御苦労なことだった。しかし足利と朝廷の足並みが揃いそうなのは喜ばしいことだ」

「間に立っている身としては、気がかりなところがありましたからね」


 と、若者が頷きながら憲顕に同意する。


「……ところで憲顕殿。こちらの方はどなたかな」


 会ったことはないはずだ。少なくとも重茂の記憶の中にはない顔である。

 見たところ、重教や重季とさほど変わらぬ年に見える。幼いというほどではないが、まだまだ成熟しきっていない年の頃だ。


 肌はやや青白く、どこか脆そうな印象もある。

 どことなく、柳の木のような感じがした。


「申し訳ない。紹介するのが遅くなった。彼は私の伯父・重顕しげあきの子で朝定ともさだという」

「上杉弾正だんじょう少弼しょうひつ朝定と申します。お気軽に弾正とお呼びください」


 弾正少弼といえば位階は正五位下相当で、重茂の大和やまと権守ごんのかみのような国司クラスよりも上位に位置する。

 足利本家に継ぐ家格を持つ尾張おわり足利氏の当主・高経は現在右馬頭うまのかみという官職に就いているが、これも従五位下で弾正少弼よりは下にあたる。


 まだ年若い身でそれほどの高位についているのは、周囲からそれだけ期待されている立場だということなのだろう。


 柔らかな笑みを浮かべたまま去っていく朝定を見送りながら、重教がぽつりと呟いた。


「なんというか、大変そうですね」

「大変?」

「ええ。周囲も厳重に固められてるし、まるで重鎮みたいで。期待されてるんだろうなっていうのが伝わってきます」


 確かに、同じ上杉でも憲顕や重能と比べると側に仕えている家人の数はやや多いような気がした。

 皆、朝定に気を使っているような節が見受けられる。それは、憲顕ですら例外ではなかった。


「俺だったら、窮屈で仕方ないです」

「安心しろ。お前が継ぐ家はさほどのものではない」

「それ、どう反応すればいいんですか」


 重茂の自虐に対して、重教は珍しく言葉に迷ったようだった。

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