第117話「暦応寺建立狂想曲(壱)」

吉野よしの院を弔うための寺社を建立したい」


 ある日、足利あしかが家の主だった家人を招集した尊氏たかうじは、開口一番そう切り出した。

 言われた側の重茂しげもちたち家人衆は、ぽかんとした表情を浮かべるばかりである。


 天皇・上皇等やそれに準ずる人々を弔うため、武家が寺社を建立する。

 そのような事例はこれまでにあっただろうか。前代未聞の沙汰ではないか。将軍とは言え分を弁えない望みではないか。


 皆、口にこそしないが似たようなことを考えた。そして、多くの者が重茂の方を見た。

 尊氏に面と向かって何か物申せる家人はそう多くない。重茂はその数少ない一人だった。

 他の者は先日重能しげよしが謹慎処分を受けたこともあって、尊氏に対して怯んでいるところもある。


 見ると、師直もろなお憲顕のりあきたちすらもがこちらに視線を送っている。

 周囲のそういう空気感を汲んで、重茂はため息をつきながら少し前に出た。


「恐れながら殿。それは殿の立場を鑑みてもなお突飛な話のように思いますが、先例はあるのでしょうか」

「そもそも私のような立場の者などほとんどおるまい」

「それは確かに……」


 しいて言えば後鳥羽ごとば上皇を流罪に処した北条ほうじょう義時よしときが近いが、彼は後鳥羽より先に亡くなっているので、弔うも何もない。

 だが、尊氏の特異性を置いておくとしても、やはり武家が上皇を弔うというのは周囲からの評判が気になるところではある。


大和やまと権守ごんのかみの懸念はもっともだが、その件については夢窓むそう国師と相談して解消するための方策を練っている」


 直義ただよしが兄の方針について補足を入れた。

 さすがに予め相談は済ませているらしい。


「あてはあるのですか」

「院の許可をいただく予定だ。説得は夢窓国師に頼んでいる」


 どうも夢窓疎石そせき頼りなところが目立つが、これは足利氏のコネクションがまだまだ弱いことを踏まえると、仕方がないところもある。

 京近辺の有力な寺社といえば比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじ南都なんと興福寺こうふくじ、少し離れて高野山こうやさん金剛峰寺こんごうぶじなどがあるものの、現状こういうことを相談できるほどの繋がりは持っていない。

 そもそも興福寺や金剛峰寺は地形上吉野に近く、密な連携を取りにくい。延暦寺は先年後醍醐ごだいご方について足利と対立していたこともあって、両者の間にまだしこりが残っている状態である。


 そうなると、頼れるのは鎌倉以来武家との繋がりが強い禅律ぜんりつ宗ということになる。

 その中でも幅広い人脈を形成している夢窓疎石の名前が挙がるのは、自然と言えば自然なことだった。

 尊氏・直義自身もそうだが、足利一門や家人たちの中にも夢窓疎石に師事しているものは少なくない。


「しかし、夢窓国師が院の説得に失敗したときはどうされるのですか」

「そのときは、改めて計画を練り直すしかあるまい」


 直義の答えに、それはそうだろうと思いつつ、何とも心許ないものを感じてしまう。

 そんな家人たちの不安とは裏腹に、尊氏は目に見えてやる気になっていた。




 なかなか大きい話が出てきましたな――。

 書状をすらすらと書きながら、そんな風にこぼしたのは二階堂にかいどう行珍ぎょうちんだった。


 京に戻って以降、重茂は師直の使いをしているとき以外、引付方ひきつけかたという所領に関する訴訟を扱う機関に勤めている。

 そこのトップである引付頭人とうにんが行珍だった。


 二階堂氏は鎌倉幕府の頃から官僚としての技能を振るい続けてきた一族で、家に蓄積されているノウハウもかなりのものである。

 その能力を買われて足利氏に登用された行珍だったが、見事期待に応える形で活躍を続けていた。


「まだ戦乱も収まっていないこの状況、吉野院のための寺社を建立するだけの造営費が工面できるか不安なところですが」

「そこらの寺社建立とはまったく話が違ってくるであろうしな」


 対象が皇族ともなると、相応に立派な寺社にする必要がある。

 それに耐えうるだけの財力が今の足利氏にあるかのかどうか。


「見方によっては、戦乱を収めるための造営とも取れるかもしれません」


 別角度からの見解を提示したのは長井ながい挙冬たかふゆだった。

 行珍同様、文官として足利氏に仕えている重茂の同僚である。


「足利は十分な武力を示しましたが、吉野の勢力はそれでも屈していません。あの北条氏相手にも屈さなかったのが吉野院ですし、力だけでこの戦乱を収めようとしても無理なのかもしれません。だから、別の形で新しい為政者としての正当性を作ろうとしているのではないでしょうか」


 挙冬の言葉には一理ある。

 実際、足利氏は武士層から幅広い支持を得ているものの、大恩ある後醍醐に背いた一族という悪印象も持たれている。

 武家の棟梁としての正当性を強化しなければ、どれだけ力を示しても反発する者はいなくならない。一時鎮めることができても、どこかで不満は残り、やがて足利の支配を突き崩す要因になるかもしれない。


「なるほど。各国の守護に対して寺社を建立するよう勧めがあったのも、そういう事情によるものなのかもしれんな」


 三人の会話にぬるっと入ってきたのは、この引付方の職員ではない男だった。

 重茂たちは揃って困惑混じりの視線を男に向けた。


「なぜここにいるのだ、道倫どうりん殿」


 一同を代表して、もっとも付き合いのある重茂が問い質した。


 道倫。俗名は細川ほそかわ和氏かずうじ

 細川氏は足利支流の一族だが、家格は低く、仁木にっき氏等と同じく家人とそう変わらないくらいの扱いだった。

 こう一族との格の優劣については難しいところだが、重茂はあまり気にせず接している。


 湊川みなとがわの戦いで活躍した細川定禅じょうぜんなどからすると、道倫は従兄弟にあたる。


「なに、私はここにいてはいけないのか。一応古巣だぞ」


 道倫も一時期は引付方に在籍していた。これでも初期の幕政で辣腕を振るっていた逸材である。

 しかし、今は隠居の身だった。頭もつるりと剃っている。


「いけないとは言っていない。なぜいるのだと聞いただけだ」

「そなたの言い方はなんというか、ちときつい。もっと柔らかい話し方を心掛けた方が良いと思う」

「放っておいてくれ! 話が脱線する!」


 道倫は昔からなんともマイペースなところがある。

 ところどころ軌道修正してやらないと、明後日の方向に話が逸れていってしまうのだ。


「なに、暇なので子どもたちを連れて、各所の見学をしているところなのだ」


 確かに道倫の後ろには二人の少年の姿があった。


「和氏の子、弥八です」

頼春よりはるの子、弥九郎と申します」


 どうやら片方は道倫和氏の子ではなく、その弟・頼春の子らしい。

 頼春は隠居した道倫に替わって四国近辺で吉野方勢力を相手に奮戦中の身だった。


「暇とはまた、頼春殿が聞いたら怒るのではないか」

「あいつは出来た弟だ。それくらいでは怒らぬ怒らぬ。それに、こうして弥九郎に京を案内したりもしているのだ。釣り合いは取れていると言って良い」


 本当だろうか。そう突っ込みたくなる衝動に駆られたが、重茂はどうにか自制した。

 おそらくここで口にしたら、更に話が逸れていく。道倫を相手にするときは、適度に流すくらいが丁度良い。


「しかし、守護に寺社建立要請というのは初耳だな」

「重茂殿が武蔵むさし守護から離れた後のことであろうな。私は頼春からその話を聞いた。続く戦乱で命を落とした者たちを弔うための寺社建立だという話だそうだ」

「各国で本当に建立できれば、足利に対する心証はかなり良くなるでしょうね」


 挙冬の言葉に道倫はうむうむと頷いてみせる。

 戦乱によって亡くなった者たちを弔うというのは、戦乱に関わった為政者としての責務とも言える。

 その役目をきちんと果たせば、足利に対する悪印象も薄れるかもしれない。


 また、寺社というのはこの時代においてかなり存在感のある建造物でもある。

 それを建立して保護下に置くというのは、足利氏の基盤の強さをアピールすることにも繋がるだろう。


「ちなみに私はちょうど先日阿波国に寺を建立しようと着手し始めたところでな。夢窓国師にも協力していただいているが、完成にはしばらくかかりそうだ」

「本当に手広く活動しているのだな、夢窓国師は……」


 道倫は大高だいこう重成しげなりと同様、夢窓疎石と親交がある。

 細川氏は他にも道倫の従兄弟、定禅の兄である顕氏あきうじなども夢窓疎石に師事している等、禅律宗との繋がりが深かった。


「まあ政権の基盤強化に繋がるという点は否定しませぬが……それこそ、もう少し足元固めてからにして欲しいというのが正直なところではありますな」


 行珍は財政を司る政所まんどころという機関のトップ・政所執事も兼ねているので、どうにも財源に不安があるらしい。

 実情を知っている行珍のつぶやきに、その場にいた一同は揃って表情を曇らせた。


「そんなに余裕がないのですか?」

「なにしろ遠方の所領などは、まともにモノが届くかどうかも怪しい。戦で物入りだし、京に運んでくる途中で強奪される可能性もある。公家衆などもそれで苦しんでいる者が多いからな」


 ふと、重茂の脳裏に武蔵武士の顔が浮かんだ。

 今はどこの戦乱続きで余裕がない。その実情は重茂も把握している。

 自分たちが生きていくためのもの。戦で必要なもの。それを揃えるだけでも手一杯なのだ。


「近々吉野院の寺社については、造営の担当が決まるという。選ばれた御仁は大変であろうな」


 道倫はどこか他人事のように語る。


「道倫殿が選ばれる可能性もあるのではないか」

「ははは、私は既に隠居の身。さすがに選ばれるようなことはあるまい」

「暇だなどと言っているのが直義殿の耳に入れば、選ばれるかもしれんぞ。今はどこも人手不足だからな」


 なにしろ成り行きで出来てしまった急造の政権である。

 元々足利氏は家政機関が充実しており、そこに鎌倉幕府の官僚武士も取り込んだのでどうにか体裁は整っているが、実態としては様々な仕事が溜まり続けているような有様だった。


「なに、仮に人手不足だったとしても他に人はいるだろう。このような隠居者を呼び出すようなことはあるまい」


 どこか楽観的な調子で道倫は引付方を去っていく。

 相変わらずマイペースな調子の道倫の後ろ姿を、引付方一同は何とも言えない表情で見送る。




 後日、後醍醐のための寺社――暦応寺りゃくおうじ造営の担当者五名が発表された。

 その中には、きっちりと阿波守あわのかみ和氏の名があったという。

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